- 大日本は神国なり

2009/03/05/Thu.大日本は神国なり

継続し続けることは難しいと思う T です。こんばんは。

日本が神国である理由は簡潔である。

大日本 (おほやまと) は神国 (かみのくに) なり。天祖 (あまつみおや) はじめて基 (もとゐ) をひらき、日神 (ひのかみ) ながく統を伝給ふ。我国のみ此事あり。異朝には其たぐひなし。此故に神国といふなり。

北畠親房『神皇正統記』

「国を開いた神の系譜が続いているのは日本だけである。だから日本は神国である」。極めてロジカルで、形式的とすらいえる。「国を開いた神」を科学的に否定することは容易だが、この立場を取るならば、天地創造に代表される世界中の神話の否定、ひいては全宗教の否定 = 前提の否定につながるのでここでは論じない。上記引用の最後の一文は定義であるから、やはり問題にはなり得ない。

すなわち論の対象となるのは以下の「事実」である。

ゆえに日本はユニークなのだ。それを「神国」と定義しているだけで、ラベルは何でも良い。重要なのは、国としてのアイデンティティである。

「神の系譜が続いている」ことを担保するのが、男系男子の継承と三種の神器の伝世である。前者は継続を、後者は正統を証明する。これを国体という。

以下はポツダム宣言受諾に関する昭和天皇の聖断である。

当時私の決心は第一に、このまヽでは日本民族は亡びて終ふ、私は赤子を保護する事が出来ない。

第二には国体護持の事で木戸も仝意見であつたが、敵が伊勢湾附近に上陸すれば、伊勢熱田両神宮は直ちに敵の制圧下に入り、神器の移動の余裕はなく、その確保の見込が立たない、これでは国体護持は難しい、故にこの際、私の一身は犠牲にしても講和をせねばならぬと思つた。

『昭和天皇独白録』

この発言は昭和 20 年 8 月 9 日のものとされているが、広島や長崎に関する言及はない (「私の決心」の「第一」が広島・長崎を含むという解釈はできるが)。代わりに述べられるのは神器による国体の護持である。

「日本は神国」という言説は、実は倒錯している。神国は唯一なのだから、「神国である日本」が正しい。神国でなくなれば日本でなくなる。ゆえに日本国の存続を目的としたとき、国体の護持が最優先課題となる。女系天皇の誕生が大問題なのは、それが国体の喪失を意味するからである。

我々が日本人であるのは、日本が神国だからである。