- 情報化社会における情報の摂取

2008/12/22/Mon.情報化社会における情報の摂取

「情報化社会」というのもよくわからん日本語だなァ、と思う T です。こんばんは。

最近考えている、「検索して出てくる情報」について。

「情報化社会になって、人々は日々情報に追われて生活している」というのは、全くの間違いである。いかにも文弱な輩が考えそうなことではないか。

例えば辞書というものがある。これは最初の一頁から読み進めるものではなく、必要なときに必要な箇所を読むものだ。「検索して出てくる情報」もそれと同じで、大切なのは、必要なときに必要な情報を引き出すことができる技術である。決して、ライフ・ハックとやらを駆使して膨大な情報を摂取し続けることではない。そんなことをしなくても済むのが情報化社会——いつでも必要な情報にアクセスできる社会——ではないのか。今の世界が本当に情報化社会なのか、という疑問はさておき。

重要なことなので何度でも書くが、大事なのは「検索しても出てこない情報」である。皆が触れている情報にはほとんど価値はない。「乗り遅れないようにしなきゃ」という発想がダメなんだよな。逆に考えるんだ、「皆が触れている情報には自分が触れる必要はないさ」と考えるんだ (©ジョージ・ジョースター)。それに気付くことができれば、「時間が足りない」という事態にはそうそうならない。

無論、余暇の過ごし方として「皆が触れている情報」にアクセスするのは結構なことである。無駄こそが趣味であり文化であり快楽であるからだ。要は峻別だよな。そこを混同して、趣味に実用を求めたり、実用的な能力を趣味的に獲得しようとしたりするのは、情報の区別ができていないからであり、であるからこそひたすらに情報を追い求めるハメになる。で、時間が足りなくなるから趣味に実用を求めたり……と、以下ループに陥る。

——などと、いかにもライフ・ハック的なことを書いてしまったわ。この日記にも何の価値もない。もし仮に、貴方がこの日記を真剣に読み、「なるほど」などと思ったりしようものなら、もうその価値判断がおかしいと僕は断ぜざるを得ない。なんてな。