- 人生とは孤独であることだ (1)

2008/01/31/Thu.人生とは孤独であることだ (1)

たまにはこういう日記も良いだろう、と開き直った T です。こんばんは。

タイトルはヘルマン・ヘッセの言葉。

現在 3時。どうも眠れないので、恥ずかしげもなく長々と書く。

昨日の朝、突然ボスに呼び出された。研究会の打ち合わせかと思ったら、唐突に「大学院を出てからどうすんの?」と訊かれた。いや、まだ修了するまで丸三年あるんだけど。ぶっちゃけ考えてねえし。これはアレか。来年度から研究費も減るしオマエ辞めてくんない?っていう遠回しの肩叩きか。アンタらは医者だから研究を降りても喰えるけど、俺の経歴って全く潰しが効かないんだよね。わかんないかもしれないけど、そこんとこよろしく。

——と、本気で思ったわけではないが、そういうことがチラッと頭を掠めるくらいには、私はスレている。断っておくが、別に私は、研究者を取り巻く境遇に憤慨しているわけでも悲嘆に暮れているわけでもない。こんなことは就職する前からわかっていたし覚悟もしていた。仕事なんか独力で探すものだと思っている。当たり前の話だ。私にとっては。

個人的な話になるが、私の両親はともに文系で、父は家業を継ぎ、母は望んで専業主婦になったから、2人とも研究のことはサッパリわからないし、そもそも一般的な就職活動すらしたことがない。なかなか仕事が決まらず、いたずらに長引く就職活動の最中も、私は彼らから助言を頂戴したことはないし、また私から相談したこともない。これも別に嘆いているわけではなくて、単にそういうものだと認識している。ただ、私が孤独であったことは事実だ。ああ、だからその孤独も苦しみなどではなくて、あくまで私にとって普通の状態として受け入れている。っていうことを書きたいのだが、どうも表現が愚痴っぽくなるな。重ねて書くが、これは愚痴ではない。諦観でもない。

さて、将来について「ぶっちゃけ考えてねえし」と書いたが、正確には「今はあんまり考えていない」である。少し以前の俺は、自分でも信じられないくらい功利的に仕事と進路を考えていた。1年半ほど前には結婚を考えていたので、家庭を作るなら金がいるよなあ、金を得るにはある程度のポジションに就かなきゃなあ、それには学位がいるなあ、ということで (無論それだけではないんだけど) 大学院へ進むことに決めた。色んな人に相談して、物凄く悩んで、でも結果的に、給料を貰いながら学生を兼業するという形にして頂いた。望外の幸運だったが、結構大変だったんだぜ。イヤなこともあった。

「ある程度のポジション」といっても、アカデミズムの会場にそれほど席はないわけで、企業の方が勝ち目がありそうに観察された。ES 細胞の実験をしていた俺は、「これは使えるよなあ」と思ったものである。現在、私企業がヒト ES 細胞を扱うことは非常に難しいが、何やら規制緩和の動きもある。これはいずれ俺の知識と技術が火を噴くぜ! などと思いながら毎日実験していたものだ。ES 細胞ってのは、毎日培養液を交換してやらないといけない (マウス ES 細胞はそうでもないけどね)。付き合っていた女の子とは遠距離だったし、どうせ会えないのだからと土日も ES 細胞を顕微鏡で眺めていた。ここで培った俺の眼力がいずれ火を (略)。一方、元来メンタルの弱かった彼女は寂しくて寂しくて仕方なくなって、大学院の入学式の前日に僕を捨ててしまった。可哀想なことをしたなあ、とは今になって思うことで、当時の僕はプリプリと怒っていた。

俺「何のために休日も働いて、大学院にも行くと思っとるねん」
女「自分のためでしょ」
俺「正解」

言い訳はするまい。これだよ、この孤独。

手段が目的をブッ潰すことで始まった今年度、僕は自分が作り出した多忙に、しかしもはや何の理由も見出せぬまま飲み込まれ続け、そして——カーズのように——考えるのを止めた。長くなったが、これが「ぶっちゃけ考えてねえし」の含意である。もちろん、考えていないのは将来のことであって、日々の仕事にヤル気がないわけでは決してない。論文も頑張ったし。まだ accept されてないけど。

時間を昨日に戻すと、ボスに「大学院を出てからどうすんの?」と訊かれて僕の脳裏を走ったのは、ダラダラと上に書いたようなことだった。いやあ、と私は呟いた。「研究、続けるんか?」。はあ。「まァ大学院に行くくらいやからな」。いやだからそれは。言えるかボケ。「大学院はあと何年や?」「残り 3年です」。あと 1年くらいだったら、今クビになっても何とかやっていけるんだけどね。

続く。