ひとまず論文を書き上げた……と思ったけど、ボスに提出するのは明日にしようと考え直した T です。こんばんは。
日本最古のツンデレは葵の上。異論は認める。
論文を書きながら、ハッと気付いたことを。
考えたことを文章に落とすのと、文章をもって考えることとは、似ているようで全く別の行為だ。正反対といっても良い。
「文章をもって考える」行為は、そのことによって得られる文章それ自体に価値がある場合、つまり小説を書くときなどには非常に有用であると思われる。私も、日記を書いているときは「文章をもって考える」ことが多いような気がする。
しかし、例えば論文を書くときに「文章をもって考える」のは極めて危ういんじゃないか。論文は、文章そのものに価値があるわけではない。論文の価値は、研究によって得られた事実や仮説に存在する。文章は、これらを伝達するための手段でしかない。こんな場合、文章で物事を考えてはいけない。自分の文章に思考を誘導されてはいけないんだ。
危うい危うい。
言葉尻なんて幾らでも捕まえられるし、ひっくり返せるものである。
例えば「優しさ」というのは抽象的な概念であり、そういうモノが確固としてあるわけではない。「優しい人」なんて存在しないんだよね。その人から優しさを感じている自分がいるだけ。なんて書くと冷笑的に思われるかもしれないが、これを能動的な行動と解釈できるなら、意外に応用が利く。
「感じる」という単語は自動詞でもあり他動詞でもある。行使するのか受け止めるのかは自分次第だ。