- Jargon

2008/01/16/Wed.Jargon

この 1ヶ月の生活費は学生時代並だった T です。こんばんは。

ほとんど食費だけ。

コンビニで弁当を買うと、体感 5割くらいの確率で「暖められますか?」という珍妙な日本語を耳にする。そのことを云々するつもりはない。この奇妙な言語は「店員である私は客である貴方に丁寧な言葉を使っていますよ」という記号なのであり、つまるところ、コンビニエンス・ストアという効率重視の場における符牒のようなものだと理解している。

日本語はいつも効率を求める。発音がしやすいからという理由だけで、「新しい」の読みが「あらたしい」から「あたらしい」に変化する。あるいは「牛耳を執る」という故事成語が「牛耳る」と短くなって、新聞に載り電波で放送され辞書に採用される。恐らくこれらの乱れた (!) 変化も、最初は口やかましく指摘されたことだろう。けれども今は原形を知る人も少ない。そう遠くない将来、多くの人が一般的な会話で使う「事故る」なんかも同じ道を歩むんじゃないかと私は予想する。言語の進化はいつも民主的だ。

最も基本的な日本語である「こんにちは」「こんばんは」という挨拶も、「今日は〜ですね」「今晩は〜ですね」の主語を言い放っただけに過ぎず、真面目に考えると意味不明瞭である。「ご機嫌よう」などもそうだな。ちなみに「もしもし」の語源は「申し上げる、申し上げる」だといわれている。

話は少し変わるが、「暖められますか?」など、特定の時と場で使われる変形語はジャーゴン、つまり隠語の一種だと考えられないこともない。ジャーゴン (jargon) は元々「専門語」の意であるが、専門語を「専門語」と書かず、わざわざ「ジャーゴン」と記すあたりに、ジャーゴンが持つ秘教的でメタな性質がある。このことは以前から考えていたので、良い機会だから書いておく。

何らかの理由で、正式には「A」と表されるべき言葉を、別の形「B」に置き換えて用いる。このとき、B は隠語と呼ばれるわけだ。B が誕生した瞬間、意味レベルにおいては A ≡ B である。しかしその内、「A と表すべきところを意図的に B と表している」という運用状況そのものが、付加的な意味を B に与える。「隠語である B」「B で通じる俺達」「B を知らない人、B を知っている私」などという権威主義、連帯意識、優越感が隠語の行使者に生じる。そこから A と B の使い分け、すなわち A ⊂ B という現象が出来する。そして一部の B は最終的に、「A とは少し異なったニュアンスを持つ新語」に昇華されるだろう (そうならない場合は廃れて死語になる)。こうして語彙というものは増えていく——、少なくとも語彙の増え方の一つではあるだろう。以上がジャーゴンについて私が思うことである。

現代日本における隠語の典型例は、いわゆる「2ちゃん語」だろうか。例えば「ワロス」は「笑った」とは明らかに別の状況を指示している。個人的に素晴らしいことだと思う。表現できる現象の襞がより細かくなるのだから (まァ「ワロス」は死語になるだろうが)。その反面、全ての人が理解できるわけではないという、隠語が隠語であるが故の欠点もある。私が日記で隠語略語新語死語を可能な限り使わないようにしているのはそのためだ。たまに使いたくなるんだけどね。