- 感情を届ける手段について、あるいは郵便のこと

2008/01/04/Fri.感情を届ける手段について、あるいは郵便のこと

「郵便」って素敵な日本語だと思う T です。こんばんは。

研究日記

仕事始め。といってもテクニシャン諸氏は年休を取っていて、ラボには私と研究員嬢のみ。細胞を起こして、事務仕事を少し。

隣のラボはバリバリに始動していた。来年度からはこのラボが幅を利かしそうな勢いがある。新しいバイト君も来ていたようだし (来年度からテクニシャンとして雇用されるらしい)。栄枯盛衰ではないが、ラボの規模や勢力にも波がある。私が今の職場に就いたときは、別のラボが肩で風を切っていた。留学された先生と私は、2人きりでエチブロを購入するところからラボを立ち上げ始めた。そのうちに我がラボも人員が増え、ここ 2年ほどは研究所で最も活動的だったように思う。よくぞここまで、などと私なんかは感慨深いものを覚えるのだが、当時の寒々しい研究室の状況を知る人間はもう私だけだ。

受け取る

早めに仕事を切り上げ、大学に寄って挨拶をしてきた。留学された先生からプラスミドのリクエストがあったので、郵便にて発送。たった 110円でアメリカまで届くんだな。郵便制度って普通にスゴいと思う。近代国家の証だなあ。文明バンザイ!

今年も年賀状の遅配問題が起こったようだが、頭を冷やして考えると、20億枚もの葉書をたったの 1日で全て間違わずに人力で届けるというのは誇大妄想的な発想のように思える。こういう「大動員・大事業」は前世紀でやり切ったでしょうに (その究極が戦争である)。そろそろこの種の仕事はコンピュータに任せるべきなんじゃないか (つまりメールに切り替えるとか)。人間がすることは他にある。

手書きの文字じゃないと心が伝わらないという人がいるが、逆にいえば、この人は手書きの文字からしか愛情を汲み取れない人間であるともいえる。これはとても貧しいことだ。活字になった文学からは何も感じないとでもいうのか? 違うでしょう。聖書は写本の方が尊いだなんていったら、クーベルタン男爵が泣くぞ。人間、そんなにバカじゃない。ディスプレイの文字からだって充分に感動は伝わる。伝わらない伝わらないと喚く前に、伝える努力、感じる努力をするべきじゃないのかな。

話は逸れるが、郵政民営化が問題になるのは郵便局が貯金やら保険やらを展開しているからであって、郵便制度に瑕瑾があるからではない。と感じている。たった 110円で封書を配達するような事業が黒字であるわけがない。だからこそ郵便事業は国営だったのだ。そのあたりの議論が曖昧ではなかったか。

ところで、他国の郵便局は金融に関わっているのだろうか。はなはだ疑問である。