- Diary 2007/11

2007/11/30/Fri.

ゲームのページでも作ろうかと思った T です。こんばんは。

似非ゲーマーだから感想や覚書以上は無理だけど。

研究日記

大学 → 病院 → 大学 → 病院。

大量の初代培養細胞にウイルスを感染させ RI を取り込ませるという実験が上手くいって小躍りする。Primary culture と RI という組み合わせは手間暇と金銭がかかるから絶対に失敗したくないが難度も高いので緊張する。

Primary culture は cell line とは違って培養毎のクオリティに違いがあるから系を安定させるには普段よりも工夫が必要になる。とはいえ、いくら実験者が知恵を絞ったところで最も重要なのは細胞の質であり、これなくしては実験が成立しない。そこで要求されるのは純粋な技術である。いつも素晴らしい細胞を供給してくれる大学のテクニシャン君には感謝している。ありがとう。

一般的に RI は高価な材料であり、入手にも使用にも手続きが要る。実験も RI 施設に引きこもって行わなければならず、面倒ではないといえば嘘になる。おまけに微量とはいえ放射線を浴びるわけで、文字通り命を削っての実験といえよう。論文のための追加実験だから否やはないが、血で文字を書いているような気分だ。というのは大袈裟だけど。

世の多くの論文がこのように書かれているのかと妄想すると涙がこぼれそうな気持ちになることがある。人類知の拡大ってスゴい営為なんだぜ……。

今日のニコニコ動画

ジワジワくる。

先日の日記で「ある時点でのコメントの状態を保存する機能があれば良いと思うんだけど」と書いたが、その直後にそれそのままの機能があることを知ったのは秘密だ。スゴい損をしていた気分がする……。

2007/11/29/Thu.

自分も共著者となっている論文が accept された T です。こんばんは。

ある時期以降の漢字は部首を合成することによって新たな字を生み出し、その数を増やしてきた。「たいと」はやり過ぎだとしても、二十一世紀の日本人である我々が新字を造っても別に構わないと思うのだが、コンピュータで文章を書くことが当たり前となってしまった現在ではそれも難しい。今や全く聞くこともなくなった「国字」という言葉がある。日本で造られた漢字のことである。「峠」「働」「襷」なんかが有名だ。もうこんな素敵な文字は生まれないのだろうか。

近頃の日本では外国語をそのままカタカナで書くことが多くなったが、外来語の翻訳は長い間、特に学問の分野では極めて重要な仕事であった。現在使われている自然科学および人文科学の基礎的な訳語の多くは明治期に作られた。中でも西周にしあまねが果たした役割は大きい。彼らの存在があったからこそ、日本人は日本語で世界を学ぶことができたし、今もできている。これは凄いことなのだ。母国語で最先端の教育ができる国は世界的に見ると驚くほど少ない。

ところで、日本で鍛え上げられた数々の用語が中国に輸出されていることはもっと知られても良いだろう。「科学」「哲学」など、明治の日本で作られた翻訳漢語の数々は中国の教育・研究分野でそのまま使われている。これにより中国は、自ら翻訳する手間を省きつつ母国語で近代西欧の学問を吸収することができるようになった。中国の近代化に日本語が大きく貢献していることはもっと誇っても良い。

もちろん中国から日本への輸入も多数ある。特に現代の日本は外来語の翻訳を疎かにしているから、新しい分野の魅力的な訳語には(カタカナを持たず漢字を使わざるを得ない)中国産のものが多い。「電脳」なんかはその最たる例だろう。とても印象的な言葉だ。

新字はともかく、漢字を組み合わせて新しい(そのくせ昔から存在しているように思える)造語を作るのは少し努力すれば達成できそうな課題である。そのような俺語が上手くできたらコッソリ日記に混ぜてみるのも面白いかもしれない。

2007/11/28/Wed.

自炊して早寝早起きが続いている T です。こんばんは。

一昨日あたりから 1つの文を長くした上でかつ読みにくくならない程度に句読点を省いた文章を意図的に挿入しているが別にこの文体が昨日の日記で触れた「中毒性のある文章」だとは思っていない。個人的な趣味である。

日本語に句読点が導入されたのはつい最近だったはずだ。「句読点研究会」というマニアックなサイトによればそれは 1906(明治39)年の「句読法案」以後のことだという。それ以前の文章、特に中世以降の公文書に使われた候文などは極めて奇ッ怪な文体で、「候ば」「候ども」「候ところ」と延々とつないで始めから終わりまでがワン・センテンスであることも珍しくない。区切りなしで連文複文を書くのは良くないと国語の時間に教えられるが歴史的および言語的根拠のない妄説であることがわかる。

文を書くときに読点の位置で悩むという話はよく聞くが文章の上達を望んでいるのなら騙されたと思って一度読点を封印して書いてみると良い。どうも読みにくいなと思ったら読点を打つのではなく句点を打って文章を分割しよう。その長さが貴方にとって最も書きやすい文の長さなのだというのは割と説得力のある仮説である。それを把握した上で「どこまで自然に一文を長くできるか」という課題へ挑戦するのも面白い。長いセンテンスを書けるようになったら長文と長文の間に極端に短い文を挿入することでその短文の印象を操作するといった小手先のテクニックも使えるようになるが今日はそういう話をしたいのではない。本題に入る。

いまだに読点には「、」と「,」が、句点には「。」と「.」の 2種類が存在し使い分けにも曖昧な部分が残っている。鉤括弧「」二重鍵括弧『』小括弧()中括弧{}大括弧[]山括弧<>二重山括弧《》隅付括弧【】などの使い分けは一層不分明である。段落の最初の 1文字は空白にせよというルールもあるが括弧から始まる段落には最初の空白を入れるのか入れないのかという問題もある。括弧内の最後の文章については「〜です。」と「〜です」のどちらが正しいのかも謎だ。

これらの設問が大切なことのように思える一方で無意味な気もするのは現代日本語の歴史がせいぜい百年未満しかないからだ。ましてや一部の人間が口を酸っぱくして布教する原稿用紙的な規則、例えば三点リーダ (……) は 2マスを使って 6つの点を打てだのダッシュ (——) は 2マス分引っ張れだの、こんなものはここ数十年の間に成立した約束に過ぎない。本当に遵守しなければならないルールなのだろうかという疑念の方こそ抱かれてしかるべきである。

最近の私は日記の中で「私」と「俺」を混在させたりして遊んでいるが、それは「一人称を統一しなさい」という要請に論拠を見出せないからである。「I」という一人称しか持たない英語では一人称の統一という問題は発生しないのであり逆にいえば日本語の一人称には英語にはない可能性が開けている。それをちょっと覗いたところでバチは当たるまい。

文法はつまるところ慣習法にしか過ぎない。現在は個性の時代とやらなんだから慣習も人それぞれだろう。

今日のニコニコ動画

古典的な恐怖譚において年寄りは年寄りというだけで恐怖の対象だった (平均年齢が現在ほどではなかった = 長命の老人というものが珍しかったのが 1つの原因だろう) が、最近のホラーではそのことが忘れられていると思うんだ。この動画のヴェルタース狂翁が泣き叫ぶ子供をガッシリと掴んだままこの台詞を繰り返している様を想像すると結構怖いのだが。

2007/11/27/Tue.

自分の名前は気に入っている T です。こんばんは。

「DQN ネーム (子供の名前@あー勘違い・子供がカワイソ)」というサイトを見て脱糞しそうになった。昨今の子供の名前はヒドいという話はよく聞くが、まさかここまでだとは思っていなかった。いわゆる暴走万葉仮名 (「夜露死苦」みたいなやつ) はまだ可愛い方で、さらにトンデモないものがゴマンとある。

全部実在の名前なんだぜ、コレ……。

どこのアホ親がこんな名前を付けているんだ。でも、最近の子供を命名をしているのって俺と同世代の人間なんだよな。やっぱり女の子は「〜子」っていう名前がイイよね、などと思っている俺は異端児なのか。頭が痛い。

どうでも良いが、「dqname.jp」っていうドメイン名は DNase みたいだな。かなり興味深いので、これから色々と読んでみよう。気分が悪くなって挫折するかもしれないが——。

退屈と中毒

面白い「コト」を継続的に書くのは退屈な日常を送っている多くの人間には無理なことであり必ず限界が来る。それを克服するためにテキストサイトの黎明期から大して面白くないことでも「面白く」書いて読ませるという技術が無数に編み出されてきたが、いずれも浮沈が激しく一過性のブームに終わってきた。流行の到来と終焉というのはすなわち新奇性と飽き、インパクトの探究とそれへの順応に他ならない。このパターンの後にはいつも退屈が訪れるし、しかもその周期は短くなっていくばかりだ。これが Web 上の文章に限った話でないことは例えば探偵小説の愛好者は痛いほどよく知っている。

退屈とどう闘うかという問い掛けは娯楽の消費者にもコンテンツの提供者にも非常に切実である。一つの解決として実利に走ることが考えられる。書籍なら絵空事 (フィクション) ではなく事実 (ノンフィクション) を読むとか、そういう方向。今のブロゴスフィア (笑) のかなりの部分がこのベクトルと少しズレたところを指向していて右を向いても左を向いても「〜を……する X の方法」(笑) だとかライフハック (笑) といった「役に立つ」エントリーで溢れ返っているばかりか、あまつさえ炎上までする始末。お前らどれだけヒマなんだよと思ってしまうが本気でキレているのは一部の白痴だけであって加担している人間の大部分は単に退屈なだけだったんだろうなあ。

実利とは正反対の方向性で退屈と対決するには中毒に罹るという方法が考えられる。何度も何度も同じ時間を繰り返しているにも関わらず退屈を感じないという過ごし方。得るものは恍惚以外に何もないがとりあえず退屈は回避される。この夏からニコニコ動画を意識的に集中的に観てきたけど最後に落ち着くのはやっぱり中毒系のコンテンツである。最初は一つの作品として完成度の高い動画インパクトのある動画に心が動くのだが結局は恐るべき飽きが来る。

音楽や動画やあるいはそれらと指先の運動を組み合わせたゲームなんかは中毒性と相性が良い。しかし文章はどうだろう。中毒性のある文章ってどういうものだろう。「何が書いてあるのかよくわからないがとにかく最初から最後まで読んでしまった。面白かった」「内容はないがまた読みたい」ということはあり得るのだろうか。あり得るならばそのような中毒文章 (というか文字列) を日記なり blog として定期的に生産することは可能なのだろうか。量産には中毒性の生成を技術として確立する必要があるが果たしてセンスや幸運に頼らない毒といったものがあるのだろうか。

読むことそれ自体に悦楽が伴う文章というのは現実に少なからず存在する。まずはそのへんを勉強してみるのが早道かな。

今日のニコニコ動画

忙しく働いている方が楽しいのかもしれんな。

2007/11/26/Mon.

牛丼屋の店員に「ごゆっくりどうぞ」と言われても冗談にしか聞こえない T です。こんばんは。

たとえ日本人であっても一定の年齢になってしまえば非関西人が新たに関西弁を修得するのは不可能であることを考えると日本人が英語を喋るのなんておよそ絶望以外の何物でもないのではないかと思えてくる。生粋のバイリンガルが言語をスイッチする感覚とはどういうものだろう。

ところで、脳をコンピュータに喩えるのは正直どうなんだと思うときがある。脳は紛うことなきハードウェアであるが、一体ソフトウェアに相当するものは存在するのだろうか (「刺激と反応の関数論」)。脳は自らの配線を動的に変化させることによって新たな環境に対応する。プログラムを書き換えることによって、ではない。もちろん脳とコンピュータが似ている部分もある。ただ、比喩を完結させること自体が言説の目的となってしまう愚は避けるべきだろう (「比喩の功罪」「意志疎通」)。

などと書いていたら、同じようなことを書いた過去の日記がボロボロと出てきたのでヤル気がなくなった。進歩がないなあ。話がループしてくると自分がアホに思えてきて途端に嫌気が差す。他人が同じことを二度話すのを聞くのもとてもイヤだ。イラッとくる。昔は特にそうだった。最近はそういうこともなくなってきたのだが、それはそれで自分が鈍くなったような気がして情けなく思うこともある。「お前の話つまんねえよ」と腹の底で思いながら顔だけはニコニコして相手の話を右の耳から左の耳へ垂れ流すのは優しさなのか? 相手をバカにしているだけなんじゃないのか? という問いもある。私は、私の話がつまらないときは即座に指摘してほしい人間なのだが、こういう人種はあまり一般的ではない (少なくともそのように観察される)。

「俺つまんねえよな」と思える人間だけが面白いことを為せるのだ、という仮説は一つの希望ではある。「無知の知」みたいなもんか。

今日のニコニコ動画

バックがアホ過ぎる。

2007/11/25/Sun.

ようやく 10月の中国と 11月のフロリダの写真をアップした T です。こんばんは。

中国の写真は、ボスや研究員嬢と一緒に足を運んだときのものなので、1人のときのようにじっくりと撮影することはできなかったから、クオリティは今一つかもしれない。でも、万里の長城の写真は結構気に入っている。フロリダは忙し過ぎて写真は 1枚だけ。

ゲーム日記

PSP がアツくなってきた。

PS3 は「Devil May Cry 4」が 1月 31日、恐らくその前後に「アサシンクリード」、4月以降に「METAL GEAR SOLID 4」

今日のニコニコ動画

ドナルドの声って無駄にイイよな。

2007/11/24/Sat.

来月の連休は四日市に工場を見に行こうかと考えている T です。こんばんは。

四日市の東は海に面しているのだが、その岸に沿って埋め立て地が続き、工場が密集林立している。Google Map で見ると、海山道のあたりなんてスゴいことになっている。映画『ブレードランナー』は四日市の工場地帯をイメージしたという話を読んだ記憶がある。工場を眺めるなら夜に行きたいものだ。写真を撮るのが難しくなるかもしれないけれど。昼は温泉にでも入ってノンビリしたいが、四日市の近辺にあるのだろうか。

まァ、ゆっくりできたら何でも良いのだけど。

今日のニコニコ動画

ニコニコ動画の半分はコメント (タグと市場を含む) でできているから、同じムービーでも視聴する時期で面白くなったりつまらなくなったりする。「コレ面白いから後で日記に書こう」と思ってマイリストに放り込んでも、そのまま忘れちゃったりすると、数日の間にコメントが変わって動画の印象も変化してしまう。もちろんそれが魅力でもあるのだが。

ある時点でのコメントの状態を保存する機能があれば良いと思うんだけど。

2007/11/21/Wed.

吉田戦車『伝染るんです。』を大人買いしてきた T です。こんばんは。

本でも漫画でもゲームでも何でも良いんだよ。楽しい時間を過ごしたいだけ。

情理は結果であって現象ではない

情と理などといったところで、しょせんは脳髄を走る電気にしか過ぎなくて、情を理で割ることもできるし、理から情を感じることもできる。数学者が数式を美しいと感じるのはその典型だろう。もちろん双方の交換・交感が無理なこともあるが、それは両者が遠く離れているからであって断絶しているからではない。ある程度の役割分担はあるのだろうが、峻厳な区別があるようには思えない。数学者には数式と美が (恐らく位相的な意味で) 近しくあるのだろうし、そうでない人はまた別な構造の脳を持っているのだろう。情理二面から脳を解くのは、心身二元論の新しい同工異曲のような気がしないでもない。

MRI の画像やら脳波計のグラフやらを持ち出し、情と理をいかにも科学的に説明しようとする言説に限って、感情とは何か、理性とは何かを定義しない。臨床はあくまで「ある 1例」にしか過ぎなくて、私の頭が貴方の頭と同じであることを保証するものではない。それが複雑な現象であればあるほど。

そもそも「この感情」に対応する「脳の活動」を見出そうとする方法が本末転倒なのではないか。脳髄の特定の活動に対して便宜的に何らかの付箋を貼る、それを情と呼び理と表しているのであって、その逆ではない。情理は結果であって現象ではないのだ。「怒っているときに脳波はこうなっています」という説明は、どう考えても順番が逆様だ。まず最初に情やら理やらを出してしまうのは、脳に前提する心を仮想していることに等しい。だから心身二元論なのだと先に述べた。別にそれでも構わないが、自覚せずに論を振り回すとよくわからないことになる。

などということを最近は考えている。証拠のないことばかりだが。あはは。

ゲーム日記

「アサシンクリード」がスゴく面白そうだ。アクティブな MGS みたいな感じか。先日紹介した「HEAVENLY SWORD」もそうだけど、次世代機のためにじっくりと開発したことが伺えるクオリティである。「Oblivion」もそう。PS3 の和ゲーはまだ「真・三國無双 5」しかやっていないけれど、もう日本のゲームが (少なくともコンシューマでは) 世界一、と強弁するのも本当に無理になってきた。悲しいことである。これから出る日本のタイトルで世界的に売れそうなのは「Devil May Cry 4」「METAL GEAR SOLID 4」くらいか。日本の底力と巻き返しに期待したい。

「アサシンクリード」が 18禁というのは極めて興味深い。日本のメーカーなら売り上げを気にして表現を抑えようとするだろうが、海外では「面白さ」を求めて 18禁を選ぶ。この違い。この傾向が続くならば、いずれバイクと同じ道をゲームも辿るようになるんじゃなかろうか。つまり、日本国内の自主規制が厳し過ぎるので、海外で開発・生産して逆輸入というパターン。それで面白いゲームができるのならば構わないけれど。

次世代機で映像のリアリティが格段に向上すると、これまでは引っかからなかった描写でも年齢制限がやかましくなる可能性がある。ただの虫だって、リアルに表現すればそれなりにキモい。アクション・ゲームがリアルになればなるほど、中身は同じでも見た目は残虐になっていく。そのときにどうするのか。ちゃんと考えているのかなあ。

2007/11/20/Tue.

『蒼天航路』を読破した T です。こんばんは。

ここ数日は早めに帰宅して料理を作って『蒼天航路』を読み耽っていた。そして早寝早起き。平和じゃのう。

今年は紅葉がイマイチらしいが、確かに私の周りでも、緑の葉を残したまま一部だけが色付いて散り始めるという不細工な光景が目に付く。しかしまァ、樹は美しくあろうとして葉を色付かせているわけではない。この点、花弁と紅葉は決定的に異なる。花はエネルギーを使った色素の合成によって色付くが、紅葉の色は葉緑素が分解され老廃物が蓄積されることによって人の目に届く。まさに生 (性) と死。アポトーシス (apoptosis) の語源が「落葉」であることはもっと知られても良い。

『蒼天航路』は大人買いによって手に入れたのだが、改めてみると第12巻だけが歯抜けになっていたので、欠番を埋めるために日曜日は本屋に出かけた。しかし近場の本屋に求むる巻はなく、店から店へ、思わぬ (というほどでもないが) 遠征となってしまった。某大学の近辺まで足を伸ばして、そういえば例のバーのバイト嬢はこの大学で庭の研究をしているとか言っていたなあ、などということを思い出す。

ところで、自分の名前を検索すると同姓同名の方が 1人ヒットするのだが、彼もまた庭の研究をされておられる (現在そのページはなくなっているが)。庭の研究ってメジャーな分野なのだろうか。あと、庭というのは建築に分類されるのだろうか。石庭ならばともかく、花や樹は日々移ろいゆく。その点、千年に名と形を残す芸術とは違う。むしろ賞味期限の長い料理に近いような気もする。また、どういうキャリアを積めば作庭できるような人間になれるのだろう。この世は自分の知らないことばかりだ。

そんなことを考えながら落葉を眺めていたのだが、それにしても地面がアスファルトだと葉を落とす意味が半減するな。土に還らぬ葉を愛でて「紅葉狩り」というのは、いささか偽善的であるように思う。上ばかりを向いて歩いていると、いずれ地面に蹴躓 (けつまづ) くぞ。

2007/11/17/Sat.

よく遊んだ T です。こんばんは。

研究日記

早起きしたので、珍しく朝食を摂ってから職場へ。午前中に実験を終わらせ、いつもの喫茶店でいつもの昼食。寒くなってきたが、陽が照っているので店内は暖かい。コーヒーを啜りながら本を読む。何という平和。体調も気分も上々。実験の結果も良かった。

ゲーム日記

『真・三國無双 5』でボタンを連打するのにも飽きてきたので "HEAVENLY SWORD" を買ってきた。何コレ、めっちゃ面白いんだけど。とにかくグラフィックがスゴくて、さすが次世代機!という感動を味わえる。その上 (というより、そのクオリティによって実現される)、完全にシームレスなプレイとイベントによって、まるで 1本の映画を見ているような気になる (クリア後特典のメイキングも、ほとんど映画レベル)。演出や演技、特にキング・ボハン (King Bohan) のそれは素晴らしいの一言。ストーリーも良かった。

ゲームとしても充分に面白い。問題はボリューム不足な点くらいか (初回プレイで 1周 6時間だった)。30億円かけて 3部作を作るらしいが、是非続編を遊びたい。そのためにも売れてほしいが、洋ゲーだから日本ではどうかなあ。プレイヤーの分身たるヒロインのナリコ (Nariko) も、ナンチャッテ・アジア・テイストで、日本の感覚からすれば微妙だったりする (実際にプレイしてみると美人に見えたり、不細工に見えたりするのが愉快でもあるのだが)。

HEAVENLY SWORD, ナリコ (Nariko)

「マルシアに似ている」という掲示板の書き込みを目にしてから、もうマルシアにしか見えないのは困ったものだが、日本語の吹き替えは秀逸だった (これはナリコに限らず)。英語 + 字幕にしようかと迷ったけれど、きっちりと口パクも合わせられた吹き替えにして正解だった。あと、特筆すべきは各ボスのキチガイっぷり。これには爆笑した。必見。

今日のニコニコ動画

これはヒドい。でも麻生閣下は怒らないだろうな。

読書日記

書評が溜まっている。早く書かねば、いつまで経っても机の上が片付かない。

『蒼天航路』を少しずつ読んでいる。その影響で、久し振りに横山三国志も読みたくなっているのだが、あまりの長さに二の足を踏んでいる。

2007/11/16/Fri.

今週は割と実験をした T です。こんばんは。

隣のバイト君は工学部の計算機科学だか情報処理学だかの学部生なのだが、彼がしきりに「実験が〜実験が〜」と言っていたので不思議に思ったことがある。訊いてみると、計算機でシミュレーションすることを彼の分野では実験というらしい。わからんでもない。が、ピペット土方である実験屋の私としては何となく違和感を覚えたりもする。

生物学にも in silico という言葉はあるが、それは prediction であったり screening であったりする感が強い。何かを言わんとすれば、最終的には「実験」が求められる。あくまでシミュレーションはシミュレーションであって、fact ではない、というのが基本的な姿勢。バタフライ効果がある限り、シミュレーションは科学的ではあっても科学そのものにはなれない。これは「統計学は手段として『科学的』ではあるが、それ自体は決して『科学』ではない」のと同じことだ。だからといって価値がないわけではない。そこははっきり断っておく。

さて、それでは私が従事する「実験」にも批判の矛先を向けてみよう。「実験」を「何らかの自然現象を捕捉する行為」と定義する。その上で、私が日々励んでいるような「実験」がシミュレーションや統計とどう違うのかと問われれば、実のところ咄嗟には返答しかねる。

例えば、細胞から抽出したタンパク質を SDS 化して立体構造を破壊し、抗体と反応させることによって視覚化される小汚いバンド 1本。果たしてこれは fact なんだろうか。非常に心許ない。何らかの現象の反映ではあるだろう。でも、現象そのものではない。現象から一歩離れることによって目にできる、一瞬の煌めきのようなものだ。シミュレーションが、メキメキと高度かつ複雑化することによって現象そのものに近付こうとするのとは逆のベクトルである。私の「実験」観というのは、どうやらこのあたりに源があるらしい。

それで、だ。ここでいう括弧付きの「実験」も「心許ない」ということになると、「じゃあ科学って何よ?」という話になるのだが、長くなりそうなので、それはまた今度。

2007/11/15/Thu.

しっかり睡眠しているのに眠たい T です。こんばんは。

風水というのは占術と同時に地相学であるから、南 = 朱雀 = 火という対応はもちろん日照とも関係している。そこで疑問なのだが、太陽が北中する南半球で風水を実践するときはどうすれば良いのか。あくまで山は北なのか、それとも南半球であることを考慮して南北を逆にするのか。そして、どうして俺はこんなことまで心配しなければならないのか。

2007/11/08/Thu.

アメリカから帰ってきた T です。こんばんは。

色々と大変な学会だった。詳しくはまた後日。この学会が終われば、今年の大きな仕事は終わったようなもの。しばらく遊ぶぜ。

PC とかゲームとか

出張中のニュースにざっと眼を通したが、気になったものを幾つか。

俺も Leopard と一緒に Vista を買ってきて Boot Camp で動かしてみようかな。

発売日は 11日で、私もその日に購入する予定。既にフライング情報が出回っているが、報告を読む限りかなり期待できそう。

MGS4 は PS3 only ということで開発が進んでいるが、マルチ化の噂が絶えない。三國無双 5 が売れれば事態も好転するのだろうが。

そういえば新型 PS2 も発売になったな。下位互換性のない新型 PS3 40 GB モデルを売るためか? 三國無双と発売日がかぶるが、HEAVENLY SWORD も面白そうである。ボリュームは少なめらしいが、グラフィックは美麗らしい。続編の予定があるらしいので、頑張ってもらうために購入するのも悪くない。

2007/11/07/Wed.

それでも行くたびにアメリカが好きになる T です。こんばんは。

日本に比べて、というのではなく、アメリカはアメリカで良いよなあ、という感じ。

5時に起きてタクシーで空港へ。アメリカ・クオリティの厳重なセキュリティ・チェックをくぐってフロリダを発つ。フロリダ滞在、実に 40時間。明らかに移動している時間の方が長い。「ほとんど罰ゲームだな」と笑われたが、本当にそんな感じである。体内時計は完膚無きまでに破壊された。

往路と同じく、デトロイト経由で関西国際空港へ。本もなく、どうやって時間を潰そうかと不安だったが、ほとんど眠っていたので退屈はしなかった。

ところで、Sky Mall とかいう機内販売の雑誌がある。アメリカの路線では、これが結構面白い。

などなど、どのページもツッコミ所が満載である。大いに楽しんだ。

それにしても疲れた。大半は飛行機のせいだけど。今回の顛末を色んな人に話したが、「Northwest はそんなもの」という意見が多かった。やっぱりそうなのか? 去年も遅れたしなあ。

United Airline は割と好意見が多かった。とにかく、次は Northwest はやめようと固く決意した学会であった。

2007/11/06/Tue.

日本の Budweiser は美味くないが、アメリカで飲む Budweiser は美味いと思う T です。こんばんは。

同じことを誰かが言っていたように思う。羽留氏だったろうか。あと、HEINZ のケチャップも好きだ。これまでに、アメリカで美味しいと思ったのはこの 2つ。庶民的だなあ。

7時 30分から registration 可能ということなので、ほとんど眠らずに (というか時差ボケ + 飛行機で爆睡したので眠れなかった) 学会場へ。受付に駆けつけるが、「7時 30分からです」と言われて追い返される。腕時計を見ると 7時 27分。ふふ、時間厳守か。10分ほど待って再度受付に行くと、「7時 30分からと言ってるだろ。英語わかんねえのか」と怒られる。「7時 30分になってるじゃないか」と反論したら笑われた。何でも 11月 5日から winter time で 1時間ズレているらしい。知らなかった。ということは、私が泊まったホテルの時計は全てズレているということだな……。

仕方がないので発表の練習をしながら待つ。まあ、summer time で逆向きに 1時間ズレていたら間に合わなかったところだ。などと考えて自分を慰める。

1時間後、無事に registration を済ませ、PowerPoint ファイルのチェックをし (speaker がチェックしないと発表する部屋の PC にファイルが送信されない)、自分のセッション会場に駆けつけ (とにかく会場が広いので、文字通り走り回るハメになる)、ようやく一息つく。

セッションでは、一番手が我がラボの大学院生 N先生、次が私。恵まれた順番だったので、落ち着いて発表することができた。最も心配していた質疑応答も、相手の英語がよく聞こえたので無難に回答。何を言っているのかさえわかれば、質問には何かしら答えることができるんだよね。質問者が何を言っているのか聞き取れないときが最悪だ。

セッション後、助教の先生、大学院生の先生方と一緒に、日本の製薬企業が設けた昼食会で歓談。午後は 1人でセッションに潜り込んで居眠り。さすがに疲れた。夕方からポスターを回る。

夜はボス、M先生夫妻、大学院生の K先生一家、昨春に卒業された M先生、研究員君と一緒に晩餐。この時間にはもうフラフラで、Budweiser 1本で船を漕ぎ出す有り様。M先生夫妻と一緒のタクシーに乗せてもらい、何とかホテルに到着。もう明日には帰らないといけない。何と慌ただしい。

フライトは 8時だから、6時に空港……ということは 5時起きか。大丈夫だろうか。と思いながら眠る。

2007/11/05/Mon.

ようやくフロリダに辿り着いた T です。こんばんは。

6時にホテルをチェック・アウトということだったので、4時に起きる。散歩でもするかと思ったら、ドアに航空会社 (Northwest Airline) からの手紙が。「チェックアウトは 7時に変更になりました」。おいおい。朝食はなく、バスに乗って再び関西国際空港へ。予定より 2時間ほど遅れて、それでも今度は無事に離陸。デトロイトへ。

デトロイトからフロリダへの乗り継ぎは Northwest が新しい便を用意してくれたのだが、空港での待ち時間が 6時間とか……。なかなか目的地に着かない。

フロリダへ着いたのは夜。空港からタクシーでホテルへ。学会場も閉まっている時間だったので、どうにもこうにもすることがない。明日の朝一番で発表なのに、registration も終わっていないという始末。

どうでも良いことだが、ずっと「Orland」だと思っていたけれど、正しくは「Orlando」なんだな。イタリア語っぽいね。

2007/11/04/Sun.

アメリカに出発……する予定だった T です。こんばんは。

午前中に関西国際空港。午後には経由地のデトロイトに向けて離陸……のはずだったが、搭乗後、いつまで経っても動かない。エンジンの整備不良らしい。夕方までずっとそのままだったが、結局「本日のフライトは中止。ホテルを用意するからそこに泊まれ」というアナウンスが。

飛行機を降りて空港を退出し、バスに乗って大阪のホテルへ。飛行機に積んだ荷物は取り出せなかったので、着替えもない。仕方なく本を読んで眠る。飛行機で待機中もずっと読んでいたので、用意した本は全て読破してしまった。帰りはどうやって時間を潰そうか……。

2007/11/03/Sat.

飛行機の中で読むための本を物色している T です。こんばんは。

書物はバッテリーの心配をしなくても良い。だから「無人島に持って行く 1冊」というアンケートが成立する。メディアとしての耐久性において、本を上回る媒体を人類はまだ獲得していない。CD なんて、登場してからまだ 20年ほどなのに、早くも劣化し始めている。何て脆弱なんだ。

少し話は変わる。「デジタル情報は劣化しない」と一般的に言われる。これは原理的に正しいが、現実にはそうでもない。「情報」は抽象的な概念として扱われることが多いが、必ずや何かの「実体」を伴う具体的なものである。このことは忘れられがちだ。CD に物理的なキズが付けば情報は損なわれる。

文字情報が優れているのは、記録される「文字」が既に抽象化されているという点にある。手書きの「あ」という文字も、ディスクに記録された「あ」を示す文字コードも、物理的な存在のあり方は異なるが、意味のレベルでは全く同一のものである。ここに本の耐久性の秘密がある。文字がかすれていようと、一部が欠けていようと、それが「あ」であると判別できる限り、意味レベルの情報は全く損なわれない。

これは他の種類の情報にはない特色といえる。例えば絵画で、肉筆と印刷されたものが意味のレベルで同じだと考える人はいないだろう。また、元色の絵と色褪せた絵は別物である。音楽も同様。ライブと録音は違うし、新品の CD とすり減ったレコードは異なった音を発する。音楽には楽譜という記号化された記録も存在するが、そこに楽曲の本質が宿っているわけではい。

さて、「文字情報」と書いたが、これは要するに言語であり、つまるところは記号である。記号は一度「抽象化」というフィルターを通しているため、ヴァーチャルであることを免れない。「百聞は一見に如かず」。経験は言語化できるが、その逆はない。

研究日記

アメリカ出張中にできるだけ仕事が溜まらないようにアレコレと手を打っておく。

2007/11/02/Fri.

呑んできた T です。こんばんは。

研究日記

4日からアメリカの学会に行ってくる。帰国は 8日の夜。何だ、この慌ただしさは。ずっと仕事のターン!

論文の revise は死ぬ気でやらんとイカンぞ」とボスにハッパをかけられる。ふむ。死ぬ気でやるかどうかはともかく、publish されるまでは死んでも死に切れないのは確か。

2007/11/01/Thu.

ニコニコ動画の会員になってみた T です。こんばんは。

いきなり回線事情が劇的に改善されて爆笑した。よく観る人には 500円/月の価値はあると思う。

研究日記

大学 → 病院。

テクニシャン K嬢が月曜からゴホゴホと咳き込んでいる。私の風邪 (?) が移ってしまったのかもしれず、少しく反省している。かくいう私もいまだに咳が治まり切らずに、週末からのアメリカ行きに憂いを残している。フロリダは暖かいらしいが、あまり日本と気温差があるのも良し悪しだろう。フライト時間も長いしなあ。

しかし、帰国後の 11日には「真・三國無双 5」が発売されるので、意地でも体調は整えておかねばならない。ずっと楽しみにしていたんだぜ……。