- 時間保存則

2007/10/28/Sun.時間保存則

家の中ではまだまだ半袖の T です。こんばんは。

愚痴っぽい日記はもう止めようぜと、ことあるごとに決意するのだが、気付けばまた愚痴を書いている。アホか。

あくまで会話に限定してのことだが、「痩せた」「太った」が問題になるのは、ひとえに「痩せた」という形容詞が定性的であるからだ。「体重が減った」「増えた」であれば定量的であるから白黒がハッキリとする。一般的に、定性的に話すと後でトラブルの生じる可能性が高くなる (例「そのうちやります」)。一方、定量的に話すと今度は責任が生じてしまう (例「今週中にやります」)。

——と書いて気付いたのだが、これではまだ 50点である。「痩せた」が体積を問題にしているのに対し、「体重」は質量の問題である。単位が違うので両者は直接比較できない。例えば筋肉が減って脂肪が増えれば、「体重は減ったけど体積は増した」という現象が起こり得る。厳密に「痩せた・太った」を明示するには MRI の画像を積分するしかないだろうが、こういうことをマジになって語り出すと大抵の人はドン引きするので、日記などに書き殴るわけである。人間って孤独だ。

そういえば以前に元部長氏が、「太っていて体重が減らないとお悩みの方、食べないと確実に体重は減るようになっています」と書いておられたのを読んで爆笑した記憶がある。何だか引用してばかりだが、面白いので仕方がない。妙にツボにハマる。「確実に〜なっています」という係り結び (懐かしい!) が愉快なのだが、ここから「質量保存の法則」という単語を思い浮かべるのは俺だけではあるまい。

質量とエネルギーは保存則があるのに、時間保存則がないのは何故?

研究日記

大学 → 病院 → 大学。

電車の中でプロトコルを立てつつ移動。手帳に升目を引っ張って、ああでもないこうでもないと検討する。ところで寡聞にして知らないのだが、「表」(table) という表現形式の初出は何だろう。これを考え出した奴は天才だと思うのだが。表は単なる項目の羅列ではない。変項や変数という、代数学 (方程式) 的な概念がなければ成立しないことは、少し考えてみれば想像がつく。表がなければ文明の進歩はもっと遅かっただろうなあ。人類って偉大だ。

電車で向かい側に座っていた人が、「福田総理はカタそう」と言っていたのを耳にした。前後の文脈が解らないので、「カタい」の意味するところが硬派なのか堅物なのか頑固なのかは判然としないが、確かにカタそうといえばカタそうではある。

もっと柔らかくできないものかと思って手帳に落書きをする。「福田康夫 (笑)」「福田☆康夫」「総理だもの やすを」。バカバカしくなってきたので止める。総理大臣も大変だよな。