一人のときにモノマネの練習をするのは普通のこと、と思っていた T です。こんばんは。
どうも違うらしい。
酒はやめたけれども、何もする気にはなりません。しかたがないから書物を読みます。しかし読めば読んだなりで、うちやっておきます。私は妻からなんのために勉強するのかという質問をたびたび受けました。私はただ苦笑していました。しかし腹の底では、世の中で自分が最も信愛しているたった一人の人間すら、自分を理解していないのかと思うと、悲しかったのです。理解させる手段があるのに、理解させる勇気が出せないのだと思うとますます悲しかったのです。私は寂寞でした。どこからも切り離されて世の中にたった一人住んでいるような気のしたこともよくありました。
(夏目漱石『こヽろ』)
などと、昨日の日記を踏まえた思わせ振りな引用をしてみた。無論、冗談である。昨日の日記について少しだけ触れるならば、人生ってわからんもんだな、ということ。当たり前だが。逆にいえば、俺にもそろそろ何か良いことが起こってもおかしくはないというわけで。などとポジティブに考えてみたりする。
話が逸れた。さて、思わせ振りといったら太宰だろう。そんなことを考えながら頁をめくっていたら、次の文を見付けて椅子からひっくり返った。
自分はことし、二十七になります。
(太宰治『人間失格』)
うわぁ、とうとう俺も葉ちゃんと同い年かよ。参ったなあ。
大学 → 病院。
大学院に進もうかと考えているテクニシャン君が、「過去問をもらってきました」と言って、私に見せてくれた。「来年の夏まで勉強ですよ!」と息巻いている。違うよ、一生勉強なんだよ。まァ、その事実を学ぶのが大学院という場所なのだが。ともあれ、彼には頑張ってほしい。
学会の抄録を 2つ書く。その他に申請書、広報用の研究紹介などなど。行き詰まりつつあるテーマを適当にまとめ上げるにはどうすれば良いか、新たなプロジェクトの勉強、共同研究者から頂戴したサンプルを実験に使用するにあたっての検討、明日のセミナー発表の準備……。延々とデスクワークが続く。来週は中国の学会で発表する予定。その翌週は、文部科学省へのプレゼンテーションをボスから依頼されている。あと、別のセミナーでの発表が 2回。こういうものは、当たるときはイヤに固まるものだ。
エレベータの中で「ありがとう、浜村淳です」とモノマネの練習をしていたら、不意に隣の研究員嬢が入ってきて、気まずい空気になった。彼女が気まずいのは、見てはいけないものを見てしまったという想いから。私が気まずいのは、練習中のネタを見られてしまったから。こういうモノマネは、唐突に 1回だけやるからこそウケるのであって、何度も繰り返せるものではない。1回きりだからこそ、似ている必要があり、一発で決めるための練習が要求される。その鍛練をこんなところで見られるとは!
——とりあえず謝っておいた。
「ヘンな人で申し訳ない」
「いえ、そんなこと思ってませんよ」
「ありがとう、浜村淳です」
テクニシャン S嬢の恋人が遠方へと勤務地を変えるらしい。「付いて行こうと思うんですけど」。彼女がいなくなればかなりの戦力不足になるが、それはこちらの問題だ。自分が幸せになれると思った方向に、彼女は進めばよろしい。というのも私の考えに過ぎないから、彼女には「どちらにせよ何か決まったらボスと私には早めに報告するように」とだけ伝えておいた。
人生も色々だな。浜村淳のモノマネをしている俺が一番アレだが。