- 「漫画」「マンガ」という表記

2007/07/28/Sat.「漫画」「マンガ」という表記

板垣恵介先生の新連載が楽しみな T です。こんばんは。

連載が再開された井上雄彦『バガボンド』が、最近ますます神がかっている。マガジンは『はじめの一歩』くらいか (しかも休載がち)。ジャンプも終わっている。

読みたい連載だけを集めたオーダーメイド雑誌をネットで配信、というシステムができたらなあ。黄金期のジャンプのように、「全ての連載の続きが楽しみ!」という雑誌を手に取りたい。

話を変える。

私は「漫画」という表記を使っている。これは、戦前の非常にプリミティブな漫画や、ジョルジュ・ビゴーの政治風刺画 (日本史の教科書に必ず載っているアレだ) のような 1コマ漫画までをも含んだ概念、として使っている。実際、これらの漫画は当時も「漫画」と書かれた。もちろん、現代的なコミックも「漫画」に含まれる。

手塚治虫は「マンガ」という表記を使った。彼の自伝のタイトルは『ぼくはマンガ家』である。手塚が目指した「マンガ」には、風刺画や安直な 4コマは含まれていない。初期の彼が力強く提唱したのは「ストーリー漫画」であり、これがいわゆる手塚のいう「マンガ」であると理解して良い。この思想の系譜は大友克洋『AKIRA』によって完成を見るというのが一般的だ。実際、手塚は大友に最大級の賛辞を贈っている (そして大友は『AKIRA』を手塚に捧げている)。

手塚治虫が目指した「マンガ」が、実はアニメーションの妥協であり、アニメもまた映画の代替であったことはよく知られている。「マンガはアニメの資金を稼ぐために描いている」という手塚の言は有名だ。大友がアニメーターでもあることは興味深い。一般的に、アニメや映画が成立するには物語が必要だ。だから「マンガ」と「物語」には密接な関係がある。

手塚の系譜が大友で完成するのは、これ以後、「マンガ」が再び分業体制へとシフトしていく傾向を見せたからではないか。漫画家の画力の向上には目を見張るものがある一方で、「マンガ」を描けない漫画家が多くなった。「1枚絵を描かせたらメチャクチャに上手いが、コマ割もできずストーリーも作れない漫画家が増えている」という事実は、大塚英志がよく指摘している。と同時に、「マンガ」という表記もあまり見かけなくなった。

まァ、現状において漫画を分類するのは下らないことだと思うけれど。手塚治虫論は一度書いてみたいけどね。調べることが多過ぎて、総論は無理だと思うが、各論をコラム程度にまとめるくらいはできるかもしれない。