- 書類狂想曲

2007/04/11/Wed.書類狂想曲

初投稿の論文に対するコメントを受け取った T です。こんばんは。

研究日記

終日大学。午前中は情報処理関係の講習を受けた。受講しないと、図書館の機能を十全に使わせてもらえない。電子ジャーナルへのアクセス権は、研究をする上で何よりも必要なものだ。世界中の文献が読み放題。これだけで、学費は充分にペイできるといっても良い。

午後から大学の付属研究所をボスと訪ねる。いずれ、この研究所から細胞を提供してもらうことになる。少し前に書いていた申請書はこのために必要なのだが、これが実に 70ページにも達する (でもまだ不充分らしい!)。誰が読むのだろう? Acrobat でファイルを開くだけでも 1分くらいかかるのだが。狂ってる。この件については後段でも触れる。

先月投稿した論文の返事が来た。Reviewer からのコメントをボスが持って来ていたので、喫茶店にて作戦会議を開く。コメントの内容は限りなく reject に近く、なかなか厳しいものだったが、これは想定の範囲内。投稿した日の日記にも書いたが、この journal はあくまで高望みなのである。そもそも臨床系の雑誌だし……。仮に良い返事だったとしても、個人的にはあまり嬉しくなかったりするのはボスには秘密だ。

色々と検討した結果、今回のコメントを参考に追加実験をして別の journal に投稿し直そうという結論に至った。これは私も愛読する基礎系の雑誌なので気合いが入る。良い返事が欲しい。ので、やはり GW までは休みなしだな。

何がためのデジタル

デジタル・テキストの利点は、記号としての文字そのものを扱うという純粋性にある。例えば私が明朝体で文章を書いたとしよう。読む人が気に入らなければコマンド一発でゴシックにも変えられるし、それでも読みにくければ文字を大きくすることもできる。大事なのはそこに書かれている記号としての文字であって、見た目その他は利用する人が好きにすれば良い。記号としての文字だけを抽出できるところがデジタルの利点であり、アナログとの最大の相違点である。印刷されたものだとそうはいかない。いかにレイアウトが気に食わなくとも、印刷された本はそのレイアウトでしか読めない。

書類をパソコン上で記入してメールで送信すれば、それだけで「デジタル化」、というのは大きな間違いだ。本当にシステムがデジタル化されているのなら、書類ファイルを Word や PDF で作る必然性はない。どうしてこれら特定のアプリケーションが必要になってくるのかというと、最終的に「印刷されること」を前提にしているからに他ならない。そのために Word や PDF で綺麗に枠が作ってあって、記入者は、そのレイアウトで見栄えがするように文字の大きさだとかを調整して埋めていく。これ、果てしなく無駄じゃないか。そろそろテキストと装飾を分離しようよ。Web サイトでは何年も前から実現されている。

そんなに印刷したけりゃ、レイアウトは役所の方で整えれば良い。申請者は、必要な情報をプレーンなテキストとして書くだけで良い。記述形式さえ決めておけば、後はそれを特定のレイアウトに流し込むなんて簡単だろ? なぜそうしない。日本の研究者の頭脳が、このような愚かな作業のために、年間どれだけ無駄に使われているかわかっているのか。それを思うと情けなくなってくる。何で私が。と思うと、今度は腹が立ってくる。役人ってどんだけアホなの?