- 良い社会が良いサイエンスを生む

2007/03/31/Sat.良い社会が良いサイエンスを生む

結婚披露宴に行ってきた T です。こんばんは。

朝イチから実験をやって、午後から研究員嬢の結婚披露宴に出席する。職場からの参加者は、ボス、助手先生、私、テクニシャン嬢 2人、テクニシャン君 2人、元臨床検査技師嬢の 8名。ちょっと郊外にある素敵な式場での宴だった。ちなみに新婦の研究員嬢は私より 1つ下、お相手の新郎は 6つ上だった。お幸せに。

サイエンスと共産主義

4月 8日に市議会の選挙があるということで、街中を頻繁に宣伝車が走っている。街頭演説も多い。聞くとはなしに聞いていると、どうも共産党が一番まともなことを言っている。少なくとも、我々の世代の悲惨な就職・労働状況について最も強く問題提起をしているのは共産党である。と同時に、「うーん、共産党ねえ」と思ってしまう自分に気付きもする。要するに偏見なのだが。だからといって、では自分が選挙に行って共産党に票を投じるかと問われれば、やはり心理的抵抗を覚えるに違いない。共産党の最大の敵は、「共産党」という名称それ自体ではないか。などと思ったりする。

サイエンスと共産主義は相性が悪いようで、例えばソ連におけるサイエンスの受難という歴史的実例もある。サイエンスには本質的に自由な発想が必要であること、発見は最初のただ 1度きりであること、研究は計画通りには進まないこと、などなど。サイエンスの進歩と共産主義的な政策は根本的に思想を異にする。アメリカの中国人サイエンティストは優秀なのに、中国本土のサイエンスが大した成績を上げていない例を示せば、この差が人種的 (生得的) なものではなく、単に政策的・思想的 (つまり環境的) な問題であることがよくわかる。自由であること、言い換えればユニークであることが善とされる社会でなければサイエンスは発展しない。欧州においても、教会が社会を牛耳っていた中世の科学は、遠くギリシアやローマには及ばなかった。この例も、サイエンスが時代とともに発展するという信仰を否定する。

良い社会が良いサイエンスを生む。まァ、これは歴史の問題であるが。

Web 日記

4月にはこのサイトも 5周年を迎える。またそろそろリニューアルでもしたいのだが、今考えている事柄をメモしておく。

いつになることやら。