- Diary 2007/03

2007/03/31/Sat.

結婚披露宴に行ってきた T です。こんばんは。

朝イチから実験をやって、午後から研究員嬢の結婚披露宴に出席する。職場からの参加者は、ボス、助手先生、私、テクニシャン嬢 2人、テクニシャン君 2人、元臨床検査技師嬢の 8名。ちょっと郊外にある素敵な式場での宴だった。ちなみに新婦の研究員嬢は私より 1つ下、お相手の新郎は 6つ上だった。お幸せに。

サイエンスと共産主義

4月 8日に市議会の選挙があるということで、街中を頻繁に宣伝車が走っている。街頭演説も多い。聞くとはなしに聞いていると、どうも共産党が一番まともなことを言っている。少なくとも、我々の世代の悲惨な就職・労働状況について最も強く問題提起をしているのは共産党である。と同時に、「うーん、共産党ねえ」と思ってしまう自分に気付きもする。要するに偏見なのだが。だからといって、では自分が選挙に行って共産党に票を投じるかと問われれば、やはり心理的抵抗を覚えるに違いない。共産党の最大の敵は、「共産党」という名称それ自体ではないか。などと思ったりする。

サイエンスと共産主義は相性が悪いようで、例えばソ連におけるサイエンスの受難という歴史的実例もある。サイエンスには本質的に自由な発想が必要であること、発見は最初のただ 1度きりであること、研究は計画通りには進まないこと、などなど。サイエンスの進歩と共産主義的な政策は根本的に思想を異にする。アメリカの中国人サイエンティストは優秀なのに、中国本土のサイエンスが大した成績を上げていない例を示せば、この差が人種的 (生得的) なものではなく、単に政策的・思想的 (つまり環境的) な問題であることがよくわかる。自由であること、言い換えればユニークであることが善とされる社会でなければサイエンスは発展しない。欧州においても、教会が社会を牛耳っていた中世の科学は、遠くギリシアやローマには及ばなかった。この例も、サイエンスが時代とともに発展するという信仰を否定する。

良い社会が良いサイエンスを生む。まァ、これは歴史の問題であるが。

Web 日記

4月にはこのサイトも 5周年を迎える。またそろそろリニューアルでもしたいのだが、今考えている事柄をメモしておく。

いつになることやら。

2007/03/30/Fri.

久々に買い物をした T です。こんばんは。

浮き世のこと

明日は研究員嬢の結婚披露宴に招待されているので、色々と浮き世のものを準備せねばならぬ。

まず、2年間も履きっぱなしだった靴を買い替えた。これは以前から (結婚式云々に関わらず)、早く買い替えろと何度もテクニシャン嬢から指導されてきた一品である。研究室に来たらサンダルに履き替えるからエエやん、といつも反論するのだが、それにしてもボロボロ過ぎるというのが彼女達の意見である。サンダルもまたボロボロだから、私の反論には何の説得力もないのがまたツラい。

仕方がないので 2足ほど買ってきた。1足で 2年は耐えられるから、4年は安泰だな。大学院を卒業するまで靴を買う必要はない……、という考え方それ自体が批判の対象であることは理解している。と同時に、女の子に身なりを直接批判されている内はまだ大丈夫、という変な余裕もある。何も言われなくなったら終わりだからなあ。いやホント、女性が多い職場での、男に対する悪口はちょっとスゴいものがある。

白いネクタイを買ってきた。これとスーツがあれば、とりあえず出席できるから男は楽である。

御祝儀袋を買ってきた。金と銀のヒモ (これは何という名前なのだ?) が上手く付けられなくてキレる。銀行が閉まっているので、ATM にて、綺麗なお札が出るまで「お引き出し」→「お預け入れ」のルーレットを繰り返す。いざ包み終わった段階で、文字は筆ペンで書かねばならぬことに気付き、コンビニに買いに行く。

浮き世のことだから仕方がないけれど、このクリエイティビティのなさはどうだ。という考え方から、私もいい加減に卒業せねばならんとは思う。しかしまた、この感性を失った瞬間にダメになるだろうな、という予感は恐らく正しい。浮き世の事柄に忙殺されて、ではその後に何が残る? 人生は短い。

研究員嬢の結婚を祝福する私の気持ちは純粋なものである。だがその気持ちを、浮き世のフォーマットに則って表現しないといけない、そうでないと、そもそも「表現した」ことにならない、というシステム (というか幻想だろう) に私は疑問を持つ。

幻想は、それが幻想であると気付いた瞬間に崩壊する。現在の日本で崩壊しているのは、教育だとか、就職だとかの具体的な事象ではなくて、それらを支える幻想なんだよね。断っておくが、全ての幻想を否定しているわけではない。古き良き幻想、悪しき幻想。色々な幻想が同時多発的に崩壊している。その後に立ち上がってくるものは何だろう。やはり幻想ではないか。

私達の世代は旧い日本の幻想を全く信じられなくなってしまったけれど、だからといって、ブーブー不満を垂れるだけなら誰でもできる。一歩進んで、自らの幻想を立ち上げないと。我々より若い世代は、かつて私達が知っていたような幻想を最初から知らない。これは非常に楽観的な予想なのだが、次の日本を何とかするのは、バブル時代の世代でもなく、ゆとり教育の世代でもなく、その狭間にある我々の世代なんじゃなかろうか。ネット上では既にそうなっているよね。

……結婚式の話からだいぶ逸れてしまったが。

研究日記

学会が終わってから、新しい系の予備実験を繰り返していたのだが、結果はどれも良好。来月からは本番かな。

9月の学会に演題を出したばかりだが、今度は 7月の研究会に抄録を出す羽目に。行き過ぎだろ、どう考えても。医学系には細分化された小さな学会や研究会が星の数ほどある、という話は以前にも書いた。それらをドサ回りするのも私の仕事の 1つなわけで、最近は大袈裟に考えずに、ハイハイと引き受けて 10分ほど喋って帰ってくることにしている。

「ドサ回り」という言葉は悪いかもしれないが、医者でない私にはやはりその程度の意味しかない。基礎分野はともかく、臨床系の研究会の半分以上は、専門を同じくする医者の社交の場である。そのような交流に意義があることは認めるけれども、しかし私には何の関係もない。仕事だから行くけど、それだけ。まァ、年度末報告書の業績欄が無駄に膨れ上がるという効用はある。枯れ木も山の賑わい。

2007/03/28/Wed.

更新を滞らせている T です。こんばんは。

ファミコンが登場して以来、ゲームのコントローラーというものは、基本的にボタンが増える以上の進化をしなかったわけだが、そう考えると Wii リモコンって画期的だよな。コントローラーの 3次元的な位置がコマンドとなるわけで、これまでのコントローラーに比べ、操作を表現する方程式の次数が上がっている。

これまでのコントローラー操作は、決められた手順でボタンを押すだけであった。これは 1次元である。アナログ・スティックは平面だから 2次元ではないのか、という気もするが、あれは一度に単一のベクトルを指示することしかできないので、結局は 1次元である。スティックを傾けながらボタンを押せば 2次元だが。

最近のゲームでは 3D が当たり前になっているが、映像が画面に映されている限り、それはプレイヤーにとって 3次元的に観える絵、要するに 2次元に過ぎない。

別に、次元の高い方が高級であるという主張をするつもりはない。例えば全ての小説は、どうしようもなく 1次元である。あれはただ、順番に文字が並んでいるだけで、DNA よりは幾分、文字の種類が多いというだけに過ぎない。

全ての言語表現における問題は、まさにこの点に帰着する。多次元の事象を 1次元に変換する試み。これが文章を書くということである。でも、人類にとって最も効率の良い変換方法がこれなんだよね。音楽を言語ではなく絵画によって批評することを考えてみれば良い。まァ、「考える」時点で言語を使っているわけなんだが。また、「批評」という概念自体が言語的束縛の産物にしか過ぎない、という可能性もある。どだい無理なのだ。考えられないことは考えられない。

この不可能が、根本的なものなのかどうなのか。仮に根本的に不可能ならば、それは脳というハードウェアが言語以外の思考ができない仕様になっている、ということを意味する。もしそうであれば、それは何を意味するのだろう?

2007/03/23/Fri.

読みにくい本を読むというのは、ただそれだけで一種のマゾヒスティックな快楽であると思う T です。こんばんは。

もちろんこんな趣味は特異なものであって、一般的には、読みやすいものが読まれる。

Web 日記

少し前から、このサイトの Win 用フォントにメイリオを指定している。Vista のフォントではあるが、XP でも使えないことはない。文字の表示が少しは綺麗になるので、Win マシンを使うストレスが若干軽減した。

レポートを書いたり、PowerPoint でスライドを作るときに、明朝系かゴシック系のどちらを使うかは、個人の趣味による。Manuscript は明朝系を使うのが一般的なようで、先日論文を投稿した先の journal では Times New Roman が指定されていた。このような場合は従うしかないのだが、私はゴシック系の方が好きなので、PowerPoint や、テクニシャン嬢に渡すプロトコールなどは Arial を使う。理由は (あくまで個人的な感覚だが)、読みやすいからである。これは英字の場合であって、日本語なら明朝系の方が読みやすいこともある。しかしこれも印刷した場合のことであって、パソコンのディスプレイ上であれば、日本語は明らかにゴシックの方が読みやすい。

だから何なのだ、という話なのだけれど。しかし PowerPoint やプロトコルや Web の日記などは、「誰かに読んでもらうこと」が前提のものなので、可読性を考慮するのは当然のことともいえる。

例えばこの日記は、「正統的な」日本語の文章とは少々異なるルールで書かれてある。段落ごとに 1行程度の隙間があるし、段落の最初の 1文字を下げていない。一応、読みやすさを考えてのことである。

とはいえ、鬼のように文字だけが並んでいるというサイトの性質そのものを変えないと、根本的な問題の解決にはならんよなあ。解決する気もないけれど。

研究日記

テクニシャン嬢の 1人がインフルエンザで昨日から欠勤。タミフルを飲んだとかいう話を聞いたが、大丈夫なんだろうか。

2007/03/21/Wed.

書評を溜めている T です。こんばんは。

本日は休み。日曜日も休んだばかりなのに……と思ってしまうのは間違いなんだろうな。

PSP を買ってきた。ソフトは「Monster Hunter Portable 2nd」。MH は PS2 の無印をやっただけ (それ以後のシリーズはオンラインの比重が大きくて手を出さなかった) だが、非常に中毒性の高いゲームである。レベルという概念がないアクション・ゲームなので、難しいクエストをクリアするには純粋に自分の腕を上げるより他はない。で、また自分の成長というものが如実に感じられる作りになっているんだな。かなり難しいけれど、やり甲斐はある。

研究日記

来週から始める実験のための勉強を少し。

それとは関係ないが、ES 細胞 (embrionic stem cell; 胚性幹細胞) と成体幹細胞 (adult stem cell) の違いについて書く。昨日、テクニシャン嬢に説明したことなので、何となくついでに。

どちらも様々な細胞に分化するという多分化能を持つが、ES 細胞が身体を構成する全ての細胞になり得る (全能性; totipotency) のに対し、成体幹細胞は限られた種類の細胞にしか分化できない。ES 細胞の多分化能は胚葉の区分を越えるので pluripotency といい、成体幹細胞の多分化能は特定の胚葉に限定されるので multipotency と呼んで区別する。これらの述語に相当する正式な日本語は、今のところない。

さて、以下は将来、細胞移植による再生療法を考えたときに問題となる話である。

例えば心筋細胞は分裂・増殖しないので、貴方の心臓が梗塞などによってダメージを受けた場合、現在では根本的な改善は望めない。そこで、ES 細胞あるいは成体幹細胞を分化させて心筋細胞を作り、それを心臓に移植すれば心機能も回復できるんじゃないか、というのが再生医療の基本的なアイデアである。大勢の研究者が、ES 細胞あるいは成体幹細胞から特定の細胞へ分化する仕組みを一生懸命に研究している。

では、移植のソースとして ES 細胞と成体幹細胞のどちらが有利なのか。これには一長一短がある。

ES 細胞の利点

ES 細胞の問題点

成体幹細胞の利点

成体幹細胞の問題点

とまあ、一方のメリットが他方のデメリットであるような関係である。したがって、それぞれの細胞の利点を伸ばし、弱点を克服するような研究が必要になってくる。また、両方の細胞の良い点だけを持つ細胞を作ってしまおうという研究もある。体細胞の再プログラミングによる疑似 ES 細胞化なんていう、ビックリするような仕事がそれである。簡単にいえば、ES 細胞のゲノムだけを貴方のゲノムと入れ替えれば、貴方の ES 細胞ができるんじゃね? という話である。発想はわかりやすいが、ちょっと勉強した人ほど、「無理だろ」と思ってしまうアイデアである。ところが、これも少しずつ技術が進んできている。

これらの中で、将来どれが有望になってくるのかは今のところ判然としない。恐らく、必要となる細胞種によって使い分けがなされるのだろう。そのときに重要となるのが再現性なのだが、幹細胞の研究ではとにかく再現性を取るのが難しい。だから捏造なんかも出てくるわけで……。

2007/03/20/Tue.

学会が終わって少しまったりモードの T です。こんばんは。

今朝も寒いと思っていたら、雪が降り始める始末。3月 20日だぞ!

研究日記

銀行から大学院の入学金を振り込み、書類を調えて事務に郵送。次は学費の支払いか。やれやれ。

とはいえ、学費が高いとは全く思わない。まとまったお金が必要ではあるけれど、得られる物事の対価としては驚異的に安いと思う。例えば国立大学の場合、現在の学費は年額 50余万円である。仮に貴方が東京大学の学生であれば、たったこれだけの金額で、世界有数の研究施設が使い放題となる。設備の乏しい施設で頑張っている研究者に、次のような提案をしてみることを考えれば良い。「東大の機器を年間 50万円でリースします」。喜んで研究費を払う学者は山ほどいるだろう。学生は恵まれている。

書籍とかも本当に安いと思う。例えば 500円玉 1つで、アインシュタインの相対性理論が日本語で読める。価格破壊っていうレベルじゃねえぞ。相対性理論に特許があったら……という想像は、恐ろしくてとてもできない。これまでの学者が、その成果をささやかな名誉とだけ交換してきたからこそ、私のような庶民でも、学問の道を歩んでみようかと考えることができる。

そんなことを思えるようになったのも、就職してからのことなんだけれどね。大学院に行きたい、でも学費が高いし……。そう思っている人は、積極的な選択肢として、一度働いてみるというのもアリではないか。それでも大学院に行きたければ改めて進学すれば良いし、やっぱり向いてないや、ということがわかるかもしれない。それはそれで新たな道である。日本でも、大学以降の進路はこれから多様化していくだろう。重要なのは、たくさんの進路があるということをまず知ること。

年度末の報告書を 3つほど書いてボスに発送。これで書類関係の仕事はひとまず終わり。

明日は休み。休み明けから本格的に実験を再開する。テクニシャン嬢 2人に、これからの実験計画とその背景を簡単に説明する。どこまで理解してくれたかはわからないが、ただ漫然と細胞培養や Western を繰り返すだけでは、やっぱりモチベーションが続かないと思うわけだ。自分の出した結果が good job であるかどうか。それくらいは判別できるようになってほしい。実験のクオリティにも直結する、大事なところだと思う。

学会も終わったので、研究員嬢、テクニシャン嬢 2人、隣のテクニシャン嬢と一緒に食事に行く。学会で Dr. T にお会いした話をする。研究員嬢が、Dr. T の就職先にエントリーしていたことを知る。なんて狭い世界なんだ。

2007/03/18/Sun.

今日は何もしなかった T です。こんばんは。

昼過ぎまで爆睡してから、掃除と洗濯。書評でも書こうかと思ったが、どうも上手く書けそうになかったので止める。夕方に再び寝る。ウトウトしながら色んなことを考える。

「まどろむ」は「微睡む」と書くんだな。素敵な字だ。

2007/03/17/Sat.

学会に行くたびに「英語を勉強せねばならんな」と思う T です。こんばんは。

学会が終わるたびに忘れてしまうんだけどね。

研究日記

学会 3日目。午後から神戸へ。

夕方にポスター発表。これも英語。発表が終わった後、Dr. T に名前を呼ばれて驚いた。昨日の私の発表も聴きに来て下さったとか。もったいない、もったいない。

Dr. T は、私が大学の研究室に配属された春に、学位を取られて卒業されたラボの先輩である。私の最初の仕事は、彼女の引き継ぎであった。大変短い期間ではあったが、私が最初に指導を受けた方でもある。学生の間は、ときどき助言を頂いたりもした。私が就職してから使い出した ES 細胞株が、Dr. T のポスドク先で開発されたものと知ったときには、奇妙な縁を (勝手に) 感じたものである。

今回、久し振りにお会いし、近況などを伺えて非常に楽しかった。色々とお話を聴いて、やはり学位は要るよなあ、と改めて思う。4月からの学生生活に、ヤル気が湧いてきたのであった。

夜は先生方と食事。その後、京都に戻る。電車の中で爆睡。

明日は休み。来週から、今回の学会で発表した系を最適化するための予備実験。この系が確立できれば夢が拡がる。Stable な段階には達しているが、optimize すれば、まだ何か出てきそうな気がするのだ。それから、今月中に始末するべき事務が幾つか。これさえなければなあ。でも仕事だからなあ。学位があればこんなことをしなくて済むのかなあ。それも幻想かなあ。

Submit した論文は reviewer に回った模様。コメントが帰ってくるのは GW 前か? イヤなタイミングだな。

2007/03/16/Fri.

日本の学会で英語の口頭発表をするのは初めての T です。こんばんは。

最近はどの学会でも英語化が進んでいる。滑稽な気もするが、別に何語でも良いという気もする。どちらにせよ論文は英語で書かねばならないし。プレゼンテーションだって、聴衆はほとんど話を聞かずにスライドを見つめているだけだもんなあ。いや、トークも大事なんだけどね。

研究日記

学会 2日目。6時半の電車で実家から神戸へ。

この時間帯の電車に乗るたびに思うのだけど、やっぱり私には普通のサラリーマンは無理だわ。私の職場の勤務開始時間は 10時で、最悪 9時に起きれば間に合う。なので、毎晩 (毎朝?) 3時か 4時に寝るという、本当にヤクザな生活を繰り返している。終わってる。まァ、朝が遅いだけで、真面目に働いてはいるんだけど。

8時半からの session で発表。口頭で英語を 10分。時間が時間なので、人もあまりいない。私の研究はバリバリの基礎なので、医学系の学会では、そもそも人が集まるような session に割り振られることがない、という事情もある。気楽ではある。

ところで、全く気付かなかったのだが、私の発表に意外な方が聴講に来て下さっていたのだ (つづく)。

ポスター発表などをブラブラと見学して、早めに帰宅。テレビを観ながら家族で食事。現在の私の生活には全く存在しない風景である。たまにはこういうのも良いな……。

2007/03/15/Thu.

学会自体は非常にラクだと思うようになった T です。こんばんは。

研究日記

今日から学会。病院に行って準備をしてから、テクニシャン嬢 2人を連れて神戸へ。彼女らには三宮で遊んでもらい、私は学会場で、参加登録や発表受付を済ませる。3月 6日に入籍された研究員嬢へのプレゼントを皆で選ぶ。

夜は我がラボと隣のラボで神戸牛の焼き肉。本日発表の人が多かったので、早くも打ち上げムード。私の発表は明日の早朝なのだが……。深夜に実家へ帰って就寝。

今日は何もしてないなあ。

2007/03/14/Wed.

終日実験しても疲れないけれど、半日事務をしたら疲れる T です。こんばんは。

研究日記

明日から学会。

後回しになっていた論文だが、今日ようやく、 cover letter を書いて submit した (submit したのはボス)。Copyright transfer agreement だとか、disclosure だとか、果てしなく面倒臭い書類がまだ残っている。投稿先の journal は reject 覚悟の高望みだから、もう適当で良いよ、などとボスは言う。この高望み journal のコメント通りにすれば、一つ格下の journal には確実に通る、というのがボスの経験則らしい。Revise が来たら頑張ってみようかという方針。

9月の学会に演題を出した。YIA (young investigator's award; 若手奨励賞) に出せ、とか何とか、一々ややこしい。初めての学会だから、会員登録だとかでまた書類が必要になってくる。

その他、年度末に提出する報告書の打ち合わせとか。夕方には疲れ果てる。

明日から学会。発表は明後日と明明後日。今から練習するか……。

2007/03/12/Mon.

学会が終わったらやりたい実験が山ほどある T です。こんばんは。

結果を予想して、あれこれ計画を練っている段階が一番楽しいよな。

研究日記

学会でポスター発表。国際学会だが、会場は京都国際会館。2年前の生物物理学会で 1度訪れたことがある。

今日で 1つ学会が終わったし、週末の学会を乗り切れば一息つける。そう思っていた時期が私にもありました。ボスから、「今月末までに学会の演題を 1つ投稿、来月の研究会で 1つ発表せよ」というメールを頂戴する。その他、雑用が諸々。やれやれ。例えば昨日の 2人は、こういう事態に耐えられるのかな、なんてことを考える。

夜は病院に取って返し、セミナー。週末の学会の予行。先週出た結果を報告して、色々と議論して頂いた。詰めねばならぬ点はまだまだある。しかし、突っ込みもあるけど夢もある、というくらいの方が学会発表は盛り上がるんじゃないか。聴衆から質問がないのも寒いし。

さすがに疲れた。今月の文庫版『ゴルゴ13』はまだ読んでいない。週末の学会中にホテルで読もうかな。そういえば、16日は誰も遊んでくれないのか。ゆっくりできるのは学会のときくらいなんだ……。今思い出したが、まだホテルを予約していない。最悪の場合は実家に泊まるから良いけど。

2007/03/11/Sun.

2年前の自分を思い出した T です。こんばんは。

研究日記

先月いっぱいで退職した大学のテクニシャン嬢とは別に、もう 1人、大学のテクニシャン嬢が退職するらしい。戦力を補うために研究員を 1人雇うことになって、今日が面接。私も臨席する。男性が 1人、女性が 1人。ともに農学部の修士を今春で修了されるという。

真面目そうで好感が持てる人達だったが、私の感想は正直いって「微妙」。ボスも「う〜ん、イマイチ」と溜め息を漏らしていた。2人からは、サイエンスに対する好奇心だとか、情熱だとか、そういったものが感じられなかった。女の子の方は、「スキルを付けて、どこでも通用する技術員を目指したい」とか言うし。個人の志望だから別に構わないのだけど、それはボスが求めている人材ではない。我々は、率先して research をしてくれる研究員が欲しいのだ。

我がラボにはテクニシャンの方々が、もう既にたくさんいらっしゃる。イヤな話だが、修士卒の技術員を雇うなら、専門学校卒のテクニシャンを雇った方が安い。今春から博士課程に行く私も肝に銘じておかねばならないが、学歴とスキルと志望のバランスが取れていないと、下手に修士なんかに進学した人は、価格競争で負けてしまうんだよね。私もそうだが、修士を出たからといって、すぐに何かができるわけではない。新卒研究員に対する評価には、彼らが持つ潜在能力、向上心、それらがもたらす期待値が多分に含まれている。したがって、何はなくとも「研究をやるんだ」というアピールをしなければ通らないよ。研究職なんだから。

例えば定番の質問に、「博士号を取得される考えはありますか?」というのがある。今日の 2人の回答は「No」。それも個人の志望だから、否なら否で構わない。でもこれは面接なのである。ウソでも「将来的には考えてます」くらい言えないのか。どう見ても、「研究で身を立てていくんだ」という覚悟が感じられない。そんな覚悟がエラいわけでも何でもないが、でもそうじゃないと、この仕事はできないぜ。

2007/03/08/Thu.

BBS をスレッド式にしようかと考えている T です。こんばんは。

スレッドに需要があるかどうか、というところで悩んでいる。作成するのは技術的に難しくないのだけど。

今年は暖冬で、もう桜が咲くとか何とか報じられているが、今週に入って無闇に寒くなった。

人前で話すということ

人前で話すというのは大変なことだなあ、なんてことを今更ながらに思っている。

例えば日本という国のマン・パワーには上限があって、およそ 1億2千万人 × 24時間/日である。これが国力の最も基礎になる。私が 100人の聴衆の前で 10分間話す場合、それは日本 (世界といっても良いが) から 1000分という時間を独占することを意味する。自分の話に 1000分の価値があるかどうか。はなはだ疑問である。

大勢を前にしての長時間の無駄話や、遅刻というものが「悪」である理由がここにある。要するに、自分の価値が他人の時間よりも低価値だから糾弾されるわけだ。これが逆であればどうだろう。人々は行列を作ってでも待ちわびることになる。ここまでになれれば大したものだが……。

研究日記

細胞へのウイルスの感染方法を変えたら、笑ってしまうくらいに感染効率が上昇した。今までの苦労は何だったのか。しかも RNA を取って調べたら、脳汁が出そうな結果。学会まであと 1週間だから、n = 2 くらいしかできないが、もう学会とかどうでも良いと思った。

2007/03/06/Tue.

悩んでいる人は、悩むヒマもないくらいに働いてみれば良いんじゃないかと思う T です。こんばんは。

いや、皮肉じゃなくてマジで。突き抜けた所に見えてくるものもあるぜ。覚悟はいいか? 俺はできている。

研究日記

大学の研究会で発表。コーディネーターはボス。

捏造データや、捏造ではなくとも再現性に乏しいデータが乱舞する再生業界だが、一方で、コツコツと堅実なデータを溜めてきたラボは今やスゴい地点に到達している。分化マーカーがどうこうってレベルじゃないよ、もう。去年の研究会もそうだったけど、実りある 1日だった。

昨年同様、PC係を拝命する。普通、発表者はこういう雑用を免除されるんじゃないの? 仕事だから良いけど。しかし私と同年の、発表者ではない研究員君がのんびり聴講してるってのはどうなんだ。気の利かない奴め。腹が立つとかいう以前に、そのあまりのボンヤリが羨ましかったり、哀れに思えたりする。こいつは一生こうなんだろうな。実際にそうなるかどうかは知らないが、他人にそう思われた時点でそういう扱いしかされなくなるんだよね。怖いことである。以上、自戒を込めて。

夜は講演者の先生方と打ち上げ。いつものことながら、医者にあらずは私のみ。ここでも雑用が諸々。逆に気を遣ってもらったりして恐縮する。やっぱりこういう点で医者はしっかりしていると、いつも思う。

雑用、雑用と書いているが、これは「研究以外の仕事」という程度の意味であって、私としては仕事半分、社会勉強半分、という感じで淡々とこなしている。むしろ研究一筋というのも危ない。などと、理学部出身の私は思ったりもする。営業や接客に比べれば何でもないよね。蛇足だが、どの仕事はどうこう、というレベルの話をしているのではない。どの仕事も特殊である。それらを貫ける普遍性が社会性である、と仮に定義しても良い。そういうことが、ほんの少しずつわかってくる。

日付が変わってから帰宅。駅までボスと歩く。論文のこと、人事のこと、お金のことをポツポツと話す。難しいな。でも、難しさを知らなければ問題を解決はできない。問題があることすら知らない人間とは、見ているものが違ってくる。ホント難しいよ、仕事は。

2007/03/05/Mon.

明日から 12日間で 4回も研究発表する予定の T です。こんばんは。

電車の窓が一つ開いていた。珍しいなあと思いながら閉めたんだけど、20年ほど前は、バスや電車の窓を乗客が自由に開け閉めしていたんだっけ。車窓が締め切りになったのは安全を考えてのことなのかな。昔はよく、車窓から手を出していたら対向車とすれ違った瞬間に腕がもげた、とかいう都市伝説めいた話を聞いたもんだ。今の車窓は、締め切りどころか、最初から嵌め殺しになっていたりするから、変われば変わったものである。

車も締め切りが多くなったような気がする。車の性能が上がって、エアコンも快適に動作するようになったからかな。

そういえば、冷房が効き過ぎて寒いだとか、逆に暖房が効き過ぎて暑いだとかいう建物や乗物も少なくなったような気がする。大きな部屋には業務用のバケモノみたいなクーラーが置いてあって、そこから吹き出る、もはや寒風といってもよい風が書類をバタバタいわしている、という光景はここ 10年、目にした記憶がない。

社会って、地味に進歩しているな。

研究日記

夜はセミナー。学会発表の予行なんだけど、皆まだ「スライドができてない」「解析が終わってない」とか言ってパスしやがる。で、発表したのは私だけ。途中までしかできていないんだったら、途中までで発表したら良いんじゃない?

2007/03/02/Fri.

また頑張って日記を書いていこうと思う T です。こんばんは。

気付けば 3月。どんなに忙しくとも、日記が書けないほどに忙しいということはないのだが、要するに時間の問題ではなくパワーの問題なんだな。こんな日記でも、書くのにはそれなりのパワーがいる。

書きたいことも書評も溜まっているのだが、またおいおい。比較的時間ができるのは 19日からの 2週間。4月からは再び大学院生となるので、生活の予想がつかないところもある。今よりヒマになることはない、ということだけは確実。PhD に関する paru氏の日記に大いに励まされる。本当にありがとうございました。

6日に大学の研究会、12日に国際学会 (開催地は京都だけど)、16, 17日に神戸の学会で発表するというスケジュール。16日は神戸泊なんだけど、誰か遊んでくれる人いない? にはふ兄とか。忙しいかな。年度末だし、みんな大変だよなあ。

研究日記

実家通いのテクニシャン嬢が、春から一人暮らしをするというので、我が家のテレビと炬燵をあげた。どちらも私には必要のないものだ。テレビは PS2 のディスプレイとしてしか使っていなかったし、その PS2 も売ってしまった。PS3 を買う際にはまたテレビが必要になってくるが、そのときは HDTV を購入するつもりである。やっぱり PS3 は HD 画質で遊びたい。問題は、そこまでヤル気にさせてくれるソフトが出ていないことなのだが、まァ、買わないなら買わないで構わない。余った時間と空間をまた本に割くだけである。

通常の実験に加え、学会の準備とか、ボスの申請書の手伝いとか、年度末の事務的な仕事とか。ボスは「中間管理職がおらんからなあ。スマンなあ」などと気を遣ってくれるが、もちろんそれで仕事が減るわけではない。結局、留学された先生のポジションは埋まっていない。我がラボは、ボス - 先生 (留学帰りの PhD) - 研究員・テクニシャン、という構成のグループが複数ある、という構成なのだが、私のグループだけはボスと一介の研究員である私が直結している。

私が抱えているのと同じ理由で、ボスもまたストレスを抱えていると思われる。幸い、ボスと私は人間的に気が合うので問題は起こっていない。変則的な仕事を頼むときのボスは気を遣ってくれるし、私達もできるだけ応えようと頑張っている。でもそれは、厳しい言い方をすれば誤魔化しであって、根本的な課題の解決ではない。適切な構成というものはやはりある。4月から私が大学院生も兼ねるようになって、それでもまだ現在の体制が維持できるかは保証できない。仕事をしながら大学院に行かせてもらうわけで、もちろん私は全力を尽くすけれども、1日 24時間という壁はいかんともしがたい。

やれやれ……っていうレベルじゃねえぞ。