- 書斎論 (2)

2007/01/06/Sat.書斎論 (2)

出かける前に時間ができたので更新している T です。こんばんは。

場としての「書斎」

「書斎論 (1)」で、「知的生活」という言葉がキーワードとして出てきた。書斎とは知的生活の場である、としよう。「書斎」というのは古い語であるから、私は別に、その字に拘らなくとも良いと思う。書斎が本で埋まっている必要はないんじゃないか。その人にとっての知的生活を送る空間であれば、それは全て「書斎」であろう。例えば数学者やプログラマの書斎は、とても面白い部屋なのではないかと想像する。「書斎」に替わる良い言葉があれば固定観念も払拭されよう。もっとも、「書斎」という日本語の持つ雰囲気は、捨て難い魅力ではあるのだが。

そもそも論になるが、「知的な生活」とは何であろうか。そんな大それたものではないと私は思う。「自分の頭で考える生活」、せいぜいその程度の意味だろう。考える縁 (よすが) になるものが、たまたま私にとっては「本」であったに過ぎない。これは昨日の「媒質論」にも通じるが、書斎だから本を揃えるというのは、悪しき媒体論ではなかろうか。求めるものがネットの向こう側にあるのなら、書斎にもパソコンが必要だろう。「部屋の雰囲気が……」というのでは本末転倒だ。

世のオッサンの夢の 1つに、「書斎を持つこと」というのが、どうもあるらしい。「書斎特集」なんて文字は頻繁に見かける。あれはあれで興味深いのだが、どうも根本的なところで違和感を覚える。とにかくまず、「書斎かくあるべし」という観念 (これは「商品」と読み替えても良い) があって、例えばそれはマホガニーの机であり、革張りの椅子であり、重厚な本棚である。しかしそれはハードであって、ではそこで何をするのか、何をしているのか、というソフトは一向に語られない。「書斎」という筐 = 媒体が、まずある。それを見て、「これは良い」「いやちょっと」となるわけだが、こういう姿勢そのものが、「自分の頭で考える生活」とは対極のものではないのか。

自分の頭で考える

「自分の頭で考える」というのは恐ろしく難しい。最も厄介なのは、「自分の頭で考えている」と思い込んでしまうことである。思い込むというか、気付かない、気付けない。この問題については「言説を自動化する仕組み (1)」と同「(2)」という文章にも書いた。上記の例でいえば、最初からパッケージングされた「書斎」のサンプルが幾つか提示されている、と。その中で好き嫌いを論評するのが「自由な」「選択」だと信じている状態である。これは非常にわかりやすい例であるけれど、世の中はもっと巧妙にラップされた「考え」の断片に満ち溢れている。「考える」という行為の大半は、これらのフラグメントをブロックのように組み立てる作業であるといって良い。この比喩でいえば、「本」は思考のブロックの 1つ 1つに相当しよう。

私はこのような思考を否定しているわけではない。既に存在する、まとまった「考え」の 1つ 1つは、サブルーチン化された関数と捉えることもできる。数学の定理を思い起こせばよろしい。これら先人の知恵があるからこそ、全てを一から証明せずとも、最低限の労力でより遠くに思考を馳せることができる。科学の営みがその典型だ。

と同時に、そのような「ブロック」を疑うことが大きな発見につながる、という経験知 = 歴史を我々は持っている。何でも疑えば良いというものではないが、ときにはブロックを手に取ってじっくり眺める必要もあるだろう。それが「知的生活」ではあるまいか。この行為は、日々の仕事ではなかなかできない。職場を代表とする公的な場は、「常識」という力学に支配される世界であり、既に提出された「ブロック」で築き上げられた殿堂である。だからこそ世の中は、まァ一応はスムーズに回っている。

逆にいえば、だからこそ「書斎」という背徳的行為の場は、私邸の中に設けられる。図書館に行けば良いではないか、とは決してならない。

Web 日記

昨日気付いたのだが、BBS の内部的な改変に引きずられて、携帯電話用の BBS が見れなくなっている。申し訳ない。早くメンテナンスしなければ……、と思ったところで、もう一つ気付いた。

携帯電話で本家のトップページ (http://shuraba.com/) へアクセスしても、ほぼ完全に読める。

最近はページ左側のメニューや、Archive のカレンダーを JavaScript で吐き出している。これらは携帯電話に搭載されている標準的なブラウザでは表示されない。したがって、カテゴリーへのリンクと本文だけが、ほぼ携帯端末用「shuraba.com Mobile」と同じ状態で表示される。「Mobile」と違い、本家へアクセスすれば、パソコンと同様に全てのコンテンツが読める (当たり前だが)。いらねえじゃん、「Mobile」。

本家を簡素で標準的な HTML で記述してきた結果の、良い意味での副産物だと勝手に納得する。これからも「Mobile」は保守するつもりだが、携帯電話で読まれている方は、一度本家へアクセスしてみてはいかがか。多分、そっちの方が便利なんで。御意見がありましたらお聞かせ下さい。

毎日使っておられる方もいらっしゃる「Mobile」だが、いかんせん私が携帯電話を使わない人間なので、忘れた頃に思い出しては、その都度問題が発生しているという状態である。深謝。