- Diary 2006/12

2006/12/31/Sun.

結局は書評を残してしまった T です。こんばんは。

今年最後の更新。今日の夜に実家に帰って、3日の夜には戻ってくる予定。4日から仕事。

回顧 2006

2006年を回顧する。今年の日記はほとんど仕事の話ばかりだった。

1月に下鴨神社に初詣をして始まった 2006年。2月は心身共に最低な状態で、あまり更新がない。愛犬シロが逝った。3月には、今の職場での成果を初めて学会で発表する。4月からは新テクニシャン K嬢が採用される一方、5月には指導して頂いた先生が留学される。私の生活も大きく変わった。6月からは、もう仕事の話ばかりである。

7月には製薬会社主催のフォーラムで発表。8月には大学院の願書を出す。腹を括ったのだろうか。研究室を立ち上げてから 1年。もはや連休は、年始、GW、夏休み、年末くらいしかないことを悟る。9月からは読んだ本を全て記録し始めた。10月は入試と国際学会の準備に費やす。11月には 1週間の内に入試とシカゴの国際学会を済ませた。海外で口頭発表するのは初めて。良い経験だった。しかしその後に体調を崩している。12月は論文を書いて終わり。

私的なことでは、特に変化はなかった。本はよく読んだ。学生時代の量には及ばないが、生活に慣れたせいか、就職 1年目の 2005年よりは確実に読んでいる。ただ、その中に小説はほとんどない。評論、ノンフィクション、随筆などが多い。

サイトについて。5月からはラジオを始めたが、7月末までに 7回を数えただけで頓挫。来年は再開したい。11月にはちょっとしたリニューアルを行った。以前のように、ガラッと一変する形でのそれはもはや不可能になっている。これからも少しずつ改良という形で行われていくだろう。まだまだやりたいことは残っている。

抱負 2007

来年の抱負を書いておく。サイトに関しては昨日の日記で書いたので、主に仕事や生活のことを。

それでは皆様、良いお年を。

2006/12/30/Sat.

今年最後のゴルゴ13 を読んだ T です。こんばんは。

ついに文庫ゴルゴも第99巻。来年は第100巻からスタートか。

『テニスの王子様』と『北斗の拳』をパロった、『テニスの霸王様』というのを見付けた。

漢字の話

思い付くままに書く。

「先生」というのは「先に生まれた」という意味で、非常に儒教臭い。医師・教師・講師。「先生」と呼ばれる職業には「師」の文字がつく。これは良い字だと思う。税理士・計理士・弁護士・保育士なども「先生」だが、何故か「師」ではなく「士」である。警察官・自衛官・刑務官と似た職分の消防士も「士」だ。「消防官」ではない。

医者・学者・記者は「者」だが、軍人・俳人・歌人・職人は「人」である。王者と名人、どちらが強いのか。画家・音楽家。「家」という字は、職業というよりも「属性」というニュアンスが強い。愛妻家・読書家しかり。また、「家」というだけあって、何となく世襲めいた雰囲気もある。政治家・芸術家・宗教家など。「家」が「者」になると、職人というイメージが出てくる。例えば「研究家」は趣味っぽいが、「研究者」は仕事でやっている。演奏家と演奏者もそう。指揮者は「指揮家」とはいわない。趣味で指揮をやることはないからだろう。

会社員・役員・研究員・委員などは「員」である。等質の同僚がいる、という印象がある。身も蓋もない言い方をすれば、「代わりはいくらでもいるぞ」という感じ。その分、パブリックなイメージもある。これが「屋」になると、私的な感が強くなる。個人商店は屋号で呼ばれる。「家」よりは字格が低いので、総会屋のように、揶揄のニュアンスを含むときにも使う。と同時に、職人に対する敬意が込められることもある (「タンパク質は化学物質」)。

歌手・名手・助手・聞き手・語り手・書き手は「手」である。人足・飛脚は「足」である。

王の妻は「妃」である。天皇・皇帝の妻は特に「皇后」という。これらに相当する男性の名詞はない。女性天皇を論ずるならば、まずは日本語の整備が必要であろう。こういうことに気付いている人がどれくらいいるのか。

shuraba.com 2007

年末なので、来年このサイトでやりたことをメモしておく。

まァ、最低ラインは「とにかく続ける」だけど。仕事が忙しいのか、昔から運営を続けている同世代のサイトが次々に姿を消して行く、という悲しい事実もある。自分の自由になる時間が減る一方、金銭的に余裕が出てきたりするものだから、他のことで時間を過ごしたいという気持ちはよくわかる。サイト運営なんて、何の見返りもないしな。

このサイトは「私の記録」ということで続けているから、上記のような理由で止めることはないと思う。若干の愛着もある。4月には 5周年を迎え、当初の目標であった 10年の折り返し地点に達する。私の 20代前半のほぼ全てがここにある。そう思えば、まだまだ続けられそうな気がする。これから面白くなるわけだから、実際。

2006/12/29/Fri.

ファミコンがしたくなった T です。こんばんは。

初雪。ちらほらと、道路が濡れるくらいだが。洗濯。クリーニングを出すついでに買い物。今日と明日はゆっくりして、大晦日に帰省する予定。

『トランスフォーマー コンボイの謎』

懐かしくて涙が出た。

この Flash、実に再現度が高い。本当にこんなゲームなんだよな。

2006/12/28/Thu.

最近の『テニスの王子様』は本気で危ういと思う T です。こんばんは。

と書いたのが先月 6日。そこから更なる飛躍を拝めようとは、誰が想像しただろう。まさか『範馬刃牙』がタルく思える日が来るとは。

研究日記

病院。

仕事納めの大掃除。共通のスペース (検体保存室、共通機器室、低温室など) を徹底的に片付ける。空箱や、明らかに誰も使わない試薬、その他諸々を鬼のように捨てる。我が職場には女性が多いせいか、何かとモノが捨てられずに残されている。大掃除ということで各人に部屋を割り振っても、窓枠などは実に細かく掃除してくれるのだが、うずたかく積まれた段ボールを処分したりはしない。まァ、テクニシャン嬢達からすれば、何を捨てて良いのか判断が難しいということもあるんだろうけれど。そんなわけで、私は捨て役に徹し、ちょっとあり得ないくらいの量の廃品を始末した。

低温室のカビが凄まじいことになっていたので、気合いを入れて清める。白衣が 1枚、クリーニング不可になってしまった。鼻からキノコが生えるのではないかと思うほど、カビの胞子を吸う。明日の体調が心配だ。

夕方頃に一通り片付き、テクニシャン嬢 2人、研究員嬢、大学のテクニシャン嬢と晩飯。

2006/12/27/Wed.

シカゴより帰ってきてから、クレジット・カードを頻用している T です。こんばんは。

「アメリカはカード社会」ということは日本人にもよく知られているが、それにしても本当にその通りである。特に、チップもカードで払うというのは合理的なシステムだと思った。学会中に使用した現金は、空港とホテルの行き来に使ったタクシー代くらいだろうか (タクシー代もカードで済ませられると思うが)。諸々も含めて、現金が 50ドルもあれば、数日なら充分に過ごせるという印象だった。シカゴという場所柄もあってのことだとは思うけれど。

あまりに便利だったので、日本に帰ってからはできるだけカードを使う生活を試みている。私の買い物の 9割以上はコンビニと本屋でなされるから、特に不自由はない。現金を使うのは昼飯のときくらいだろうか (飯屋に行かず、病院の売店で済ますならカードが使える)。慣れてしまうと、現金を使うのが鬱陶しくなる。銀行や ATM のことを考えなくても良い、というのも快適だ。

で、1ヶ月が過ぎた。クレジット会社からの請求がスゴい額になっていたが、生活費のほとんどなのだから当たり前ではある。別に浪費が増えたという気もしない。明細が家計簿代わりになるので、bromophenol blue のように不透明だった我が家計が、phenol red 程度には透き通った。

……それにしてもコンビニに通い過ぎである。普通のスーパーに行けば約8割の値段に押さえることができるはずだから、……かなりの節約になる、な。具体的な数字というものは恐ろしい。来年度からは授業料も払わねばならないので、せいぜい倹約に励むとしよう。

研究日記

病院。

論文をボスに送信。帰宅する前に、「Introduction は直したけど」と言われる。早っ。もっとダメ出しをされるのかと思っていたのだが、特にそういう様子もない。とにかく、これで私の今年の仕事は終わった。

明日は仕事納め。大掃除をしてから、皆で晩飯を食べに行く予定。

2006/12/26/Tue.

またもや書評する本が溜まってきている T です。こんばんは。

年内に読んだものは年内に片付けたい。

YouTube Today

これはヒドい。動きが無駄に機敏なところなど、非常にムカつく。

嫌いな人間にプレゼントするのが実用的かもな。

研究日記

病院。

一通り論文を書き終わったので、ボスに送信。……する前に最後のチェックをしたのだが、色々な所が気になり出して、結局は 1日中イジるハメになってしまった。良くなっているのかどうか、自分でもわからない。諦めて、明日はボスに見せるつもり。私 1人がこねくり回したところで、いずれ限界がある。

References (論文のタイトルも書き上げるタイプ) も含めて 5000語あまりなので、1ヶ月も向き合っていると大概は暗記してしまう。夢にも出てくる。「あの文の主語は単数形なのに、動詞は複数形になってはいなかったか」。ムクリと起き上がってパソコンを開くと、本当にそうなっている。人間の脳髄とは大したものだ。覚醒しているときに気付いてくれれば、さらにありがたいのだけれど。

2006/12/25/Mon.

切り替えるのが下手クソな T です。こんばんは。

日が照って暖かい。鴨川を散歩する。餅とたこ焼きを買って川べりで食べる。平和だ。仕事用に、スタンプのような印鑑を買った。入ったことのない古本屋も発見したが、ちょうどたこ焼きを持っていたときなので、入店を見送った。また今度訪れよう。

来年は、このような時間をもう少し増やしたい。仕事の量は減らさずに、である。減らそうと思っても減りはしないだろうし、私としても、減らす気はない。これからの数年間が極めて重要であることはよく理解しているつもりだ。ままならぬものだが、そこを何とかするのが工夫というものだろう。

財布に新札が何枚かあったので、ポチ袋を買って従妹へのお年玉を入れる。ポチ袋の絵柄を見て、来年は猪年であることに気付く。年賀状はもう 10年くらい出していないから、干支を意識することがない。どうでも良いが、ポチ袋の「ポチ」は、「これっぽっち」の「ぽち」だそうだ。

やりたいことが沢山ある。もちろん、急いでやる必要のないことばかりだ。最近、これらを少しずつ消化する楽しみを身に付けてきたように思う。楽しみが長引くのは良いことだ。

2006/12/24/Sun.

明日はアイザック・ニュートンの誕生を祝うつもりの T です。こんばんは。

今日も街中をブラブラ。凄い人出である。百貨店の入り口で煙草を吸っている間にも、飛ぶように時計や宝石が売れて行く。何が不景気なんだろうか。結構なことではある。

私は腕時計が (というか時計全般が) あまり好きではないのだが、公的な場所に出かける機会が多くなったので、新しいものを求めることにした。車やコンピュータと違い、腕時計という古典的な機械の技術は既にプラトーに達している。つまり、腕時計の価格を決定する大半の要因は付加価値である。機能的には何ら変わりがないので、(私の) 選択基準はデザインの一択しかない。人によっては、ブランドも考慮するのだろう。

私が「これは良い」と思ったものは、全て値段が 1桁違っていたので苦笑する。健全な資本主義ではある。また、自分のセンスがそれほど世間のものとはかけ離れていない、という確認もできた。別にそれで安心するわけではないが。「私のセンスも世間並か」と思うだけである。

「他人と同じものが欲しい」と、自然に競争率が高くなる。PS3 や Wii は品薄になり、ブランド品は高騰する。卑近な例でいえば、美人をゲットするのは難しい。逆に、例えばブス専であれば、自分の望むものが容易に手に入るだろう。一方、工業製品は「世間並」のものを大量に生産するという一面もある。選択肢も多い。したがって、この手の分野では「他人と同じもの」を欲しがる方が簡単に手に入る。バイクより車の方が、どう考えても割安である。それと同じ。

自分の趣味、嗜好、こだわりが、高くつくこともあれば、安く済ませられることもある。なんて、そんなことを考えるよりも、クリスマスの激流に身を任せたら、もっと手軽に楽しめることもわかっているんだけど。なかなかできない性格なので往生している (というほど困ってはいないが)。この場合、私のこだわりが、「楽しむ」ために必要なコストを上げている、ともいえる。

牛を喰って梅酒を呑んで帰宅。

2006/12/23/Sat.

久々に出歩いた T です。こんばんは。

「Tennou」という英語がないわけでもないが、「天皇」の正式な、つまり外交文書などで使用される表記は「Emperor」である。したがって英語のカレンダーでは、今日は Emperor's birthday と書いてある。その直後に X'mas とあるのだから、何だか凄まじい。外国人が見たら、何事かと思うのもわからないでもない。

恐らく現在、Emperor と呼称される人間は今上天皇陛下ただ 1人である。King や Queen はたくさんいるけれども、外交習慣上、Emperor は King/Queen よりも上位に位置付けされる、という話を何かで読んだ (だから天皇は世界で 1番エラい、という笑える主張もある)。この上下関係は欧州のそれを想定したものだろうが、果たして天皇というものに適用できるかどうかは疑問である。もっとも、過去の日本には、King に相当するものとして征夷大将軍があった。しかし、将軍を素直に訳せば General でしかない。官位も、徳川将軍で二位ほどである。左大臣や太政大臣より低い。やはり King ではないよなあ。

話は飛ぶが、「姫」に対応する男性の名詞は何だろう。Princess の男性形は Prince で、これは大抵「王子」と訳される。だが、王子には「王女」という対語が存在し、「姫」とはセットにならない。また、「妾」に対応する男性を指す単語もない。「愛人」は両性に対して使う。「婦人」に相当する男性を指す言葉もない。「売春婦」という単語がある。売春を男がやれば「売春夫」になるのだろうか。「春」は女性のみに相当するような気もするが、「思春期」というくらいだから、男性のそれも「春」といえるのかもしれない。昔は「売笑婦」というスゴい言葉があったが、最近では見かけない。

外出日記

街中をブラブラ。やや暖かい。思ったよりも人出は少なかった。今更だが、PSP の液晶の美しさは ニンテンドー DS を遥かに凌ぐことに気付く。衝動買いしそうになる。携帯ゲーム機としての PSP が欲しいというよりも、PSP 用のメタルギア・ソリッドがやりたいだけなんだけれど。

バーから葉書が来ていたので久し振りに飲みにいくことにした。マスターからは夏と年末、それから正月に葉書が届く。宛名はいつも手書きで、大変な達筆である。鶏を喰ってから店に訪れると、普段は閑散としている店内が賑わっていた。

2006/12/22/Fri.

今年はよく泣いた T です。こんばんは。

これ読んで泣いた。

読むんだったら、最後の最後まで読んだ方が良い。

研究日記

病院 → 大学。

細胞の培養を全て止めたので、やるべき実験がなくて時間が余る。仕方がないので大掃除第1弾。オートクレーブがおぞましいことになっていたので、ドブをさらうようにして掃除する。どんなオートクレーブなんだと思われそうだが、正直、これで「滅菌」していたのかと思うと私も頭が痛くなる。そもそも、オートクレーブの排水孔が詰まっていて水が交換できないというのだからヒドい。

掃除の合間に論文を書き上げる。週末に修正して、来週にはボスに送信する予定。ボスは正月に論文をチェックするつもりらしい。

2006/12/21/Thu.

新しい実験にチャレンジするのは久し振りの T です。こんばんは。

研究日記

大学。

テクニシャン氏に gel shift assay を教えて頂く。先週 labeling した probe とタンパク質を結合させ (実際には混ぜて放置するだけ)、SDS-PAGE と同じ要領で泳動する。作業としては大したことはないが、RI 施設に出入りするため、若干面倒である。検出時、フィルムの露出に 2時間もかかるので時間がかかったが、見事に成功した。今回は練習ということで、絶対に上手くいくサンプルを使ったので当然ではあるけれど (実験が失敗すれば、手技に問題があるということになる)。とはいえ、完全に 1人でやるとなると、また何かしら問題が起こるかもしれぬ。もう 1度くらいは練習が必要だろう。

丸1日、病院の方を空けねばならぬ実験なので、スケジュールの組み方がシビアである。Probe の放射能はドンドン減衰していくので、やるときは集中的にやる必要がある。背反するこれらの要素が悩ましい。

2006/12/20/Wed.

たまには以前のように、唐突な日記を書こうと思う T です。こんばんは。

墾田永年私財法の話をする。743 (天平15) 年に発布されたこの法律が荘園の根源であることは歴史の教科書に太字で大書されている。今思えばマルクス史観以外の何物でもないが、墾田永年私財法も荘園も「悪」として教えられた記憶がある。

例えば、当時の律令体制から見て墾田永年私財法が法学的に「悪法」であるとか、あるいは貴族だけが肥え太る制度が倫理的に「悪」であるとか、そういう議論は成り立つ。また、積極的にした方がよろしい。学問とは限定した側面から眺めることによってまずは成立する。だからこそ「総合力」が必要になってくるわけで、順序を間違えてはいけない。そういうことも同時に教えるべきだ。

話がズレたが、墾田永年私財法や荘園制度が「歴史的に」「悪」という主張はナンセンスである、ということを言いたい。そのような近視眼的な視野に捕らわれない姿勢を養うことこそが、歴史を学ぶ大きな意味ではないのか。歴史は巨大な因果である。荘園を否定するならば、まずは平等院鳳凰堂を焼き払い、『源氏物語』や『枕草子』を焚書にするべきだ。これらは皆、荘園制度がもたらした余裕 (あくまで局所的な、だが) の産物である。

無論、荘園制度における下層農民の労苦は言を待たない。平安貴族とは基本的に、「今日は方角が悪いからオメコができない」と言ってはメソメソと泣いていた愚かな人間である。このような人種に庶民が奉仕するいわれはどこにもない。しかし、だから「悪い」「遅れている」という評価は、歴史という物差しの上では意味がない。繰り返すが、今日の主題はそこにある。

荘園制度に対する反対から鎌倉幕府は起こった。結果論になるが、彼らが元寇を防いでくれたから今の日本がある (元軍は暴風雨に遭う前に九州へ上陸している。元軍を追い払ったのは当地の武士達であった。であるがゆえに、元軍は陸地に陣地を築けず、船へと戻った結果、神風にやられたわけだ。元寇における日本の勝利は単なる幸運では決してない)。公地公民が必要以上に機能していた中国や朝鮮が、近代においてどれほど立ち後れていたか。もっとも、その隙 (げき) を突いた (気になっていた) 過去の日本も本当に馬鹿である。

そういう諸々を突き詰めて行くと、歴史的事象に対して「良い」「悪い」という価値判断が何の価値もないことがわかってくる。歴史は全て、過去の事柄である。これらは我々が変えることはできない。科学がどんなに頑張っても自然の法則を曲げることができないのと同様、過去の事跡を (見掛け上) 消し去ることがあるいは可能であっても、起こってしまったことを変えることは永劫に不可能である。

「史観」という言葉がある。史観というものの効用は認めるが、史観によって事実が変わるわけではない。例えば私も私なりの「科学観」とでもいうべきものを持っている。だから「こんな結果が出れば良いなあ」と思いながら実験をする。仮説を立てるとき、そのような「観」が頼りになることもある。けれども、事実あるいは真実は、そんなものとは全く何の関係もない。史観に対して、そのような冷静な議論を見たことがないのがやや不安である。「皇国史観はマズかった」「マルクス史観もダメだ」という論争はよく目にする。しかしそのような議論がそもそも低レベルであることは指摘されない。気付いていないなんてことはないと思うのだが。

司馬遼太郎はいつもやんわりと史観を否定していた。なのに、「司馬史観」という言葉が彼の本の帯に踊り狂っていたりするのは、どういうことなんだろう。

研究日記

病院 → 大学。

論文を書く。年末に向けて、機器の点検とか試薬のチェックとか。

2006/12/19/Tue.

最も新しく購入したゲームが「戦国無双 2 Empires」の T です。こんばんは。

今更のニュースだが、ドラゴンクエスト (DQ) の最新作「ドラゴンクエスト IX 星空の守り人」はニンテンドー DS での発売となるそうだ。DQ ファンの私としては、恐らく DQ IX をプレイするためだけに DS を買うことになると思う。DS は良いハードだと思うが、その売れ行きに便乗しただけの、「ゲーム」として練られていないソフトウェアも多いと思う。正直な話、良い年をした大人が、電車の中で脳トレなどをプレーするのはいかがなものか。

DS の認知度と、そのようなプレー・スタイル (という言葉もバカバカしいが) の認知は、全く別次元の話である。電車の中で化粧をする女を見ても誰も何とも思わなくなったが、ではそのような女と付き合うかと問われれば、大抵の男は否と答える。私からいわせれば、DS も化粧も同じである。じゃあ読書は? 小説なら? 漫画なら? と、話は際限なくグレー・ゾーンに近付いていくので、この話題は打ち切る。1つ書き加えるなら、「価値観」というのは、グレー・ゾーンの捉え方と考えてまず間違いはない。

話が逸れてしまった。いわゆる次世代ゲーム機で私が欲しいのは PS3 である。あまり芳しい情報は流れてこないが、ずっと追いかけているタイトルの多くが PS3 で発売される予定になっている。モデルチェンジの後で購入しようかと思っている。何だかんだいって、部屋で 1人、Wii リモコンを振り回すわけにもいかない。Xbox 360 はどうなんだろう。Xbox 自体、一度も触ったことがないのだが、案外と食わず嫌いなだけかもしれない。

まァ、そろそろゲーム自体が私にとってグレー・ゾーンになりつつあるわけだが。

研究日記

病院。

論文を書く。午前中に最低限の仕事を済まして、午後からずっと書く、という生活を繰り返している。17時頃になると飽きてくるので、実験室に行ってテクニシャン嬢の様子を窺う。最後に明日の準備をして早めに帰る。少し遊んで、日付が変わった頃から調べものをしたり書き加えたり書き直したりして眠る。単調だ。

2006/12/18/Mon.

寿司を食べたくなった T です。こんばんは。

YouTube Today

寿司の喰い方。

こういうジョークは非常に好きである。小説なら、筒井康隆『色眼鏡の狂詩曲』(本人執筆の漫画もある)、山口雅也『日本殺人事件』『續・日本殺人事件』とか。外国人にマジで受け取られると困るけれど。もっとも、こんなひねくれた自虐ネタを理解できないのも仕方ないが。

「自虐」と書いたけれども、この手の冗談で、最終的に我々が笑う対象にしているのは、「勘違いしている外国人」なんだよね。だから、実は自虐ではない。歪んだ劣等感も含まれていて、お世辞にも上品なジョークとは言い難い。排他的な、日本特有の笑いだと思う。否定はしないし、むしろ大好きなんだけれど、センスがないと顰蹙を買う恐れもある、難しいジャンルである。

研究日記

病院。

先日、大学から送られてきた、我がラボの大量のデータ (サンプルや生データなど) を整理して半日が終わる。論文を少し書いて、ボスとディスカッション。年末までには書き上げろ、と命ぜられる。やっぱりか。

2006/12/17/Sun.

どうやら風邪も治った T です。こんばんは。

日記に書くのをすっかり忘れていた。

通勤時の心の支え、我らがおけいはんが、今月から 3代目・森小路けいこ (音大生) になった。ちなみに、2代目は京橋けいこ (教師) で、初代は淀屋けいこという。苗字が京阪本線の駅の名前になっていて、大阪から京都へと向かっているわけである。

全く関係のない話だが、日本の大学で学園闘争が吹き荒れていた頃、音大や芸大では全く紛争がなかったそうである。若い内に技術を身に付けねばならない彼らにとって、紛争などしている暇はなかったのだ。と、何かの本で読んだ。確かにそうだよなあ。

大隈重信は肥前佐賀藩士であった。藩校弘道館での教育は凄まじいもので、25歳くらいまで、みっしりと儒教を暗記させられる (この中に『葉隠』も含まれる)。規定の成績が取れないものは退学させられ、禄を削られる。制度の厳しさ、そして内容のつまらなさは、現代の受験勉強も真っ青だったらしい。

一藩の人物を悉く同一の模型に入れ、為めに倜儻不覊 (てきとうふき) の気象を亡失せしめたり。

(『大隈侯昔日譚』)

このような想いが、大隈に早稲田大学の学風を創らせた。と、何かの本で読んだ。

現代の受験・就職という価値観からすれば、少年達が目指すべき大学は、日本でただ 1種類しかないように思えるかもしれない。また、実際そういうふうに見える。ところが、日本の大学も意外とバラエティに富んでいるものである。そういうことを、私自身が大学生になってから気付いた。しかし残念ながら、受験生がそのことに気付くのはおよそ不可能である。受験の体制がそうなってしまっている。知っていれば選択肢も増えるだろうに、と残念でならない。ナイーブな考え方かもしれないが、さっさと学制を変えねば、日本はどうにかなってしまうんじゃないか (もうなっているともいえる)。

幸いにも、近年の日本では大学間での移籍が活発かつ容易になっている。私も来春から、出身とは異なる大学の異なる学部の大学院生となる。別段、珍しいことではない。できるだけ多くの場面で、できるだけ多くの選択肢を提示できるのが良い社会だと思うんだよな。

2006/12/16/Sat.

やっぱり去年の冬は寒かったんだなあ、と思う T です。こんばんは。

昨年 12月の記録をザッと眺めてみると、12月 6日の初雪を皮切りに、結構な頻度で降雪している。初めて迎えた京都の冬だったので、驚きつつも、こんなものなのかと思っていたが、今年はまだ降っていない。去年が寒かったのか、今年が暖かいのか、2年目ではまだわからないが。

昨夜遊んだせいか、風邪に罹ったらしい。今年やるべきことが終わって、気を抜いてしまったのかもしれぬ。暖かくして水分 (もちろんアクエリアス) を多めに摂り、ひたすら眠った。コンビニで鍋焼きうどんを買ってみる。高いだけあってなかなか旨い。明日も休みなので、ゆっくりとするつもり。

世間では毎週、週末はこんな感じなんだな……。

2006/12/15/Fri.

大学院の入試に受かった T です。こんばんは。

これで、最低でもあと 4年は京都に暮らすこととなる。乗り切れるのだろうか。その経過は日々、この日記に綴られるであろう。博士課程を修了する頃には、ちょうど 30歳になっている勘定だ (上手くいけば)。今回の選択は、若い内だからできる最後の決断であると思う。選択が誤っていたかどうかは、未来から遡って決定される。選択肢を正解にするには、現在を努力するしかない。

研究日記

大学 → 病院。

大学で合格発表を見てから病院へ。年末も近いので、サンプルの整理など。論文を少し書く。

早めに終えて、病院と大学のテクニシャン諸氏とともに忘年会でカラオケへ。7人で 3時間。私は 4、5曲歌っただけだが、声がガラガラになってしまった。終了後、「俺はお茶漬けを食べて帰る」というと、大学のテクニシャン嬢 2人がついてきた。私が行く茶漬け屋は、汚くて狭い、酔っ払いのオッサンが帰途に寄るような店である。若い女の子を案内するのは気が引けたが、意外と喜んでいた。もの珍しいんだろうな。お茶漬け自体は旨いし。

ES 細胞の実験をストップしたので、明日明後日は休み。他人様と同じ日に休むのは久々である。思い切って、ドブに捨てるような時間の使い方をしようと思う。今の私にとって、一番の贅沢がコレなんだよな。

2006/12/14/Thu.

誤って今日の日記を消してしまった T です。こんばんは。

(後日、Google のキャッシュから復帰した)

パソコンを使っていてウザいと思うのが、「本当にこのデータを削除してもよろしいですか? [OK] [Cancel]」というダイアログだ。なので、このサイトの運営システムではそのような確認は一切していない (そのような問い掛けを自分で作るというのもバカらしい)。ほとんど問題は起こらないが、今日のように、たまに日記を消してしまうことがある。書き直すのも面倒なので、別の話を書く。

Web 日記

今さらながら、blog ってよく考えられたツールだなあ、と思う。私が自前で作っているシステムは、定期的に構造的な見直しが必要になる。大抵、データの増大が契機となる。今のままでは煩瑣だな、新しい機能を追加したいな、と思っては生データや加工のプロセスを改良する。改良すると生産性やレスポンスが上がる。それまで面倒だなと思っていた作業もするようになる。そうするとまたデータが増え、以下繰り返しとなる。

もう少し先を見通して作れよ、と自分でも思うのだが、なかなかこれが難しい。そういう意味で、blog は最初から大量のデータを不特定の人間が扱うように設計されている。「何だこの機能?」と思っていたものが、実は非常に有用であることを再確認するわけだ。そこでアイデアを拝借しては、自分のシステムに流用したりする。

Blog を「使いこなせていない」という人は、まだデータ量が閾値に達していないのかもしれない。ファイルが 100 や 1000 というオーダーになって、初めて威力を発揮する機能もあるだろう。Blog に限った話ではないが。

研究日記

病院。

論文を書く。そろそろ終わりとせねば。グラフがあと 1枚できれば……。こういうときに限って、しょうもないトラブルが重なって時間を喰うんだよな。

10月初めに学会に登録した演題が 2つとも通った。発表は 3月。先日ボスに命じられた学会も 3月。ちょっと忙しいかもしれん。どちらも関西で開かれるので、発表日に日帰りすれば済むので楽といえば楽だが。でも、せっかく行くのだったら知らない土地を訪ねたい、という気持ちもある。普段はなかなか旅行なんてできないしね。

学会の巨大化は開催可能な会場を限定する。大きな学会は、決まった会場のローテーションで運営されがちになる。よく利用されるのは、東京国際フォーラムパシフィコ横浜名古屋国際会議場京都国際会議場大阪国際会議場 (GRAND CUBE OSAKA)神戸国際会議場などだろうか。地方では新潟コンベンションセンター (朱鷺メッセ) が大きかった。札幌ドームや福岡ドームでも学会が開かれることがあるが、残念ながら参加したことはない。あと、敷地の広い総合大学もよく会場になる。

どうでも良い話だが、名古屋国際会議場の使用料は東京国際フォーラムの約1/3 だという噂を聞いたことがある。確かに、東京国際フォーラムのアクセスの良さは素晴らしい。素晴らし過ぎて逆に、学会近くのホテルに泊まれないくらいだ (高いから)。

2006/12/13/Wed.

予定とは単なる期待値であると思う T です。こんばんは。

研究日記

大学。

テクニシャン氏に gel shift assay を教えて頂く。今日は RI (radioisotope; 放射性同位体) 施設で DNA の labeling までを行った。作業自体は簡単 (kinase で 32P リン酸化するだけ) で、むしろ大事なのは施設の使い方である。こればかりは、実際にやっている人に教えてもらわないと往生する。

「RI ってあんまり触りたくないんですよね」とテクニシャン氏が言う。気持ちはわかるが、正直な話、私はあまりそう感じない人間である。放射線って見えないから、どうしても怖くなれない。何だかバカみたいであるが。もちろん、実験で使う程度の RI では、確率的には人体に何の影響もないという前提があっての上だが。

面白い話を思い出したので書いておく。アイザック・アシモフ『体内でおこる爆発』という、人間の身体を構成する原子の核崩壊を題材にしたエッセイがある。同位元素は天然にも存在する。その幾つかは、我々の身体の中に多量に存在し、かつ不安定 (半減期が短い) である。

遺伝子は、通常の細胞の約一パーセントを占めている(ここでは、細胞だけを問題にする。細胞外物質には遺伝子はないのである)。したがって、遺伝子には約二四兆 × 一兆個の原子があり、そのうちの半分、つまり一二兆 × 一兆(一二、〇〇〇、〇〇〇、〇〇〇、〇〇〇、〇〇〇、〇〇〇、〇〇〇、〇〇〇)個が炭素原子である。このうち約一四兆(一四、〇〇〇、〇〇〇、〇〇〇、〇〇〇)個が炭素一四原子となる。

そこで、こういうことになる。平均して、二個の細胞につき一個の炭素一四原子があるのである。

これらの崩壊する数は計算できる。結果は、体の全体を通じて、遺伝子に入っている炭素一四原子は、一秒ごとに五〇個が爆発して、β 粒子を送りだすことになる。これはカリウム四〇原子が爆発して送りだす β 粒子よりは弱くて数が少ないかもしれないが、この五〇個は一つ残らず命中するのだ!

(アイザック・アシモフ『体内でおこる爆発』)

放射能は変異原の 1つである。自然に発生する突然変異のうち、体内原子の核崩壊、つまり被爆に起因するものも多数存在すると考えられる。典型的なのは癌である。私や貴方の中で今日、癌細胞が生まれた確率は 0 ではない。

確率論と「私の場合」

原子核の崩壊や、生物集団における変異の発生は、マスを対象にした確率論として論じられる。確率論というのは、学問における壮大なまやかしの 1つだと私は思っている (このテーマについてはいずれ書いてみたい)。なぜなら、確率論は「私の場合」について答えてくれないからだ。

「貴方が癌に犯される確率を下げることができる」。この文章の意味をよく考えて頂きたい。これはどういうことだろう。パラレル・ワールドを想起すればよくわかる。貴方が過ごし得る「一生」の全てのパターンを仮想する。癌になる貴方もいれば、そうでない貴方もいる。この全体集合の癌罹患率を p としよう。また、「癌にかかりにくい生活」を送った全ての貴方の部分集合を作ろう。この部分集合の罹患率を q とする。「癌にかかりにくくなる」というのは、単に p > q というだけに過ぎない。これが「確率的」ということである。

一方で我々は、ただ一度の人生を生きるしかないということを知っている。今の自分が気に入らないからといって、別のパラレル・ワールドに逃げ込むわけにはいかない。「私」というマスは存在しないのだ。したがって本来、こういうケースで確率論は成立しない。貴方は貴方の人生で、「癌になる」か「癌にならない」のどちらかの状態しか取らない。「癌になりにくい」というシュレディンガーの猫のような状態は、「貴方」という唯一の個体の前には存在しない。

だから私は、確率的なリスク (飲酒・喫煙・バイクの運転など) を恐れることは無意味だと思っている。別の理由で止めるのならばともかく、確率論の幻想に人生を振り回されてはたまらない。生は一度きり。n = 1 のときに確率は存在しない。

これは西洋的な「神」のイメージに近い。神はサイコロを振らない、とされている。例えば何万人に 1人という難病にかかった人が、「これも神様の思し召しだ」と言ったりする。「彼の場合」、確率論は絶望的に無価値である。確率にはそういう罠がある。そもそも、確率論が想定するマスの各要素は、「交換可能」なことを前提にしている。これだけでも、人生において確率論が大した意味をもたないことが理解できるだろう。私は確率論を否定しているわけではもちろんない。適用範囲が限られている (だからこそ科学のツールとして使える)、と主張しているのである。可能性を確率で縛ってはいけない。

2006/12/09/Sat.

いらちの T です。こんばんは。

研究日記

病院。

デスクワークと実験を平行してやりながら、そろそろ年末の予定を考える。細胞の培養は 22日に打ち切る予定である。それまでにどれだけの実験ができるかを計算する。もっとも、なかなか予定通りにはいかないのだが。だからといって、計画しないわけにもいかない。要するに計画とは buffering である。そんなことを最近は思うようになった。

私は基本的に細かい所にこだわる性格だが、最終的には「どうでも良いや」と放り投げることができる性分でもある。意図的に放り投げることもある。これができない人が多い。いや、素晴らしいことなんだけどね。真面目だなあと感心するが、こういう人は、自分の立てた計画に苦しめられることがある。手前の立てた計画だろ、変更でも破棄でも好きにすれば良いじゃないか。私なんかはそう思うのだが、どうも違うようだ。

というようなことを、先日の忘年会で話した。研究員嬢は、気の毒なほど几帳面な性格である。そこまでせんでも、というくらいにキッチリやる。そうしないと気が済まない、というか、罪悪感が湧くらしい。自分でも「助けて」と思うことがあるという。そして選択が苦手である。「自分はこっちだと思うが、神様は違うかもしれない」と思っては迷うらしい。何だ、神様って。笑える。酔っていたからよく覚えていないが、概ねそんなことを言っていたように思う。関係ないと思うが、私は O型で、彼女は A型である。

私もあまり選択は得意じゃない。なので、状況が許す限り全ての選択肢に当たるようにしている。労力はかかるし無駄骨も多いが、悩むのは嫌いだし、思い掛けない発見にも出会う。「どれを選択すべきか」という迷いには、「どれかが正解 (best) である」という無意識の前提がある。と私は思う。私はこの前提を疑う。そんな仮定は無意味だ。

もっとも、研究員嬢のような思考を否定しているわけではない。私のやり方は、関西弁で表現すると、「グチャグチャ言うてるヒマがあったら全部やってもたらエエねん」という、極めて底の浅い方法である。いらちの発想だ。慎重さに欠け、考えれば明らかに排除できる選択肢や誤謬も一緒にしてしまう。これを「味噌も糞 (クソ) も一緒」という。関西特有の表現だろうか、他の地方の人が言っているのを聞いたことがない。

まァ、中庸が大事ということで。

2006/12/08/Fri.

よく寝た T です。こんばんは。

本日は休み。昼まで寝て、買い物に行って、また夜まで寝る。非常にスッキリした状態で、現在 22時。どうしろと。

うっちゃっておいた中途のプログラムを完成させたりしてみたが、大した作業ではなかった。手付かずのままだった BBS の改造 でもしてみようか。内部的なことなので、見た目は全く変わらないが (実は先月から、<「Clipboard」や「Photo Album」も改造されている)。

我らがアクエリアス

ところで、先日再開された、にはふ兄の日記に、大兄の部屋と思しき写真がアップされている。アクエリアスが映っていたのに笑ったのは私だけだろうか。不思議なことに、一人暮らしの男の部屋には、必ずといって良いほどアクエリアスがある。大兄の部屋にも、バイトの友人の部屋にも、そしてもちろん私の部屋にも、いつもアクエリアスがあった。というか、今もある。

アクエリアス

書斎の机の足元、いつでも手に取れる位置にアクエリアスは常備されている。ゴミ箱の隣というのもアレだが、それは汚いというよりも、むしろ生活上においてゴミ箱と同程度の重要性がある、という意味なのだ。あと、言うまでもないことだが、ラッパ飲みである。

それにしても、水でもなく茶でもなく、どうしてアクエリアスなのだろうか。この数年間、半ば自動的に買っているので深く考えたことはないが、少なくとも最初、我々は数多の商品の中からアクエリアスを選択した。そして裏切ったことはない。つまり、満足しているのである。その理由は何か。

我々は、「水や茶がペットボトルで売られるなんて」という違和感をかろうじて覚えている最後の世代である。無意識にしろ、水や茶を「買う」ことに心理的抵抗を感ずる (この感覚は水の方が大きい)。酒を割るための水は抵抗なく買えるが、普段の生活で飲むために水を買うことはない。

じゃあ、何でポカリスエットではなくアクエリアスなのか、という疑問が湧く。これに答えるのは簡単だ。酒の後に飲むものとして、我々はアクエリアスを買っているフシがある。酔っているとき、水と茶以外で飲むとしたら、やっぱりアクエリアスなのである。ポカリスエットではキツい。ポカリスエットの方が安いんだけどね。

2006/12/07/Thu.

学会に演題登録をしろと命じられた T です。こんばんは。

締め切りは過ぎているんだが、「まだ大丈夫」とボスは言う。どうやら人が集まっていないらしい。医学界は学会活動が旺盛である、というのが私の印象だ。有名な学会が巨大化していく一方で、非常に細分化された学会が星の数ほど存在する (しかも名称が似ていて混乱する)。ほとんど身内の集まり、というのも多いらしい。新規学会の立ち上げもよく目にする。私が発表を命じられたのも、そんな学会の 1つであるようだ。

研究日記

病院 → 大学。

病院の細胞を大学で flow cytometry にかける。その後、別の細胞の蛍光顕微鏡観察。使い慣れていない顕微鏡で写真を撮るのは難しい。セットアップの段階で、大学の先生やテクニシャン諸氏の手を患わせてしまった。ソフトウェアが学生の頃に使っていたものと全く同じものだったので何とかなったけど。今日は論文を書かず。

夜はボスの主催で、病院の方々 (ボスのラボと隣のラボ) と 10人程度で忘年会。場所は、去年も連れて行ってもらったすき焼き屋。ボス曰く、「ワシの先生がこの店で毎年忘年会をしてくれた。自分もそれに倣った」ということなのだが、実は別の店の勘違いであったことが判明。大丈夫かよ。日付が変わる前に帰宅。

2006/12/06/Wed.

T です。こんばんは。

研究日記

大学 → 病院。

大学で実験してから、病院で論文書き。Discussion を 1/3 ほど書いたところで飽きる。ので、Summary を書く。実は Summary や Abstract なんかが一等難しかったりするのでは、と思う。ボスから「論文書いた?」という催促 (?) あり。そろそろチェックされる頃かもしれないので、とりえあず表紙と Acknowledgements も書き足して manuscript の体裁を整えておく。表紙には author の名前を入れ、Acknowledgements にはテクニシャンの方々の名前を入れる。研究における contribution とは何であろうか、などとボンヤリ考える。

ボスが、明日は忘年会をしよう、とのたまう。相変わらず唐突だ。別にラボ総出ではなくて、単に我らがグループ + 研究員嬢と飯を食いに行くだけのようだが。

2006/12/05/Tue.

T です。こんばんは。

一昔前に流行した、デジタルカメラを利用した背景壁紙。

背景壁紙

実際にやってみると難しい。微妙にズレてるし、色も変。三脚でカメラを固定しないとダメなんだろうな。

研究日記

大学 → 病院。

大学で実験してから、病院で論文書き。Introduction を書き上げる。

2006/12/04/Mon.

やっぱり男は少し怖いくらいの方がよろしいと思う T です。こんばんは。

Web 日記

カジ速「小泉前首相かっこよすぎワロタwwwww」から、プーチン大統領と麻生外務大臣。

プーチン「あまり私を怒らせないほうがいい」

麻生太郎「あまり日本を怒らせないほうがいい」

壁紙にしたいんだけど、もっと大きなサイズの画像はないのかな。

研究日記

大学 → 病院。

大学で少し実験してから、病院で論文書き。このくらいの配分が理想的なんだがなあ。今日は Introduction を 8割ほど書いた。Introduction は「皆が知る事実」である。1行書いては論文をめくり、1行消しては別の論文をめくる。進まない。Results なら「私だけが知る事実」なので (比較的) 簡単なのだが……。

研究員嬢が RNA から cDNA をクローニングするという。私も以前、ある遺伝子に関して少しやったのだが、そのときは上手くいかなかった。彼女の方法を聞いてみると、私が試したやり方とは違っていたので、ダメ元でプライマーを渡し、ついでに PCR をかけてもらった。で。私の遺伝子が取れて、彼女の遺伝子が取れないという、何とも微妙な結果に終わった。プライマーの配列とか、発現している遺伝子量の問題があるから、これだけでどうこう言えないんだけどね。こういうことがあるとき、PCR は難しいと思う。

2006/12/03/Sun.

寒いのが苦手な T です。こんばんは。

研究日記

大学 → 病院 → 大学。

Flow cytometry が故障している。内部の部品が破損しているのか、バッファーがあり得ないくらいに漏れている。というか、物凄い勢いで噴出し、基盤などに飛び散りまくっている。絵に描いたような、ザ・故障である。……業者に連絡せねば。

2006/12/02/Sat.

今日の日記は自分でもややウザいなあ、と思う T です。こんばんは。

上手く書けないのは、自分でも整理できていないからか。

Web 日記

BUFFALO の安い有線ルータを買ってきて、VAIO もネットに同時接続できるようにした。世間の流れはワイヤレスだが、我が家はとってもワイヤフル。ワイヤレスな接続環境を構築することも可能だが、私が接続に求めているのは確実性である。職場のネット環境は無線 LAN によるものなのだが、この接続がときどき切れてイライラする。「常に」接続されているからこその接続であって、時折にしろ切れるのは「断続」である。また肝心なときに切れるんだコレが (学会演題の登録中など)。そんなわけで有線にした。

どうでも良いが、「無線断続」という言葉には迫力があるなあ。なんて思った。

MacBook and VAIO

ともかく、今は家でも論文を書いたりしているので、すこぶる便利になった。マシンが 2台というよりも、実質的な作業画面が広がったのがうれしい。だったらモニタでも買ってろ、という話だが。

あと、ルータをかましたら固定電話がつながらなくなってしまったのだが、これは一般的な症状なんだろうか。使用頻度は激低なので特に困るわけではないが、トラブルシューティングを御存知の方がおられましたら御教示下さい。

研究日記

病院 → 大学。

病院、大学ともに細胞培養。Dish の枚数が多くて時間がかかった。こんなとき、いつもテクニシャン嬢達に感謝するのは、私が週末の間に使う培養液の量を計算し、決して切れないように作り置きしてくれていることだ。頼んだわけでもないのに作り置きしてくれている、というあたりが泣かせるではないか。

「いつも使う試薬や備品のストックは切らさない。在庫がなくなったら購入するからすぐに報告する」と徹底させているけれど、そのストックの量が、金曜の夜には普段よりも増えていることを私は知っている。私にとって、土日は実験に集中できる貴重な日だが、いつも快適に作業をさせてもらっている。ありがたいことだ。

このような心遣いに女の子らしさを感じるのは私だけではあるまい。こんな話を書くのもどうかと思うが、多くの先生が「テクニシャンは女の子に限る」と言う (もちろん私的な会話においてだが)。その気持ちもわかる。特に私のような、学位も持たず医者でもない若造がテクニシャンの方々と実験する場合、彼女達が年下の女性であったという事実には、随分と救われた気がする。

実際問題、別グループのテクニシャン君諸氏からは無根拠にナメられていたりもする。私は座ってばかりでエラそうに指図しているだけ、と思われているらしい。そんな彼らが何をしているのかというと、ネガコンもない雑なプロトコルで予備実験を繰り返すばかり。我らがテクニシャン嬢の生産性の 1/3 もあるかどうか。望むと望まざると、私の仕事はグループ全体の生産効率を上げることにあり、それを自分の実験よりも優先させている。これらをテクニシャン嬢達は理解してくれ、テクニシャン君諸氏は誤解している。私が週末に来ているのも知っているかどうか。そんなに座業が羨ましいなら、いつでも代わってやるんだが。

愚痴になってしまった。注意書きをしておかねばならない。私が知っているのは、現在のラボ周辺のテクニシャン諸氏だけであり、今日の日記は、あくまでその範囲でのスケッチである。私は、テクニシャンの実力差が、男女の性差に基づくと主張しているわけでは決してない。むしろグループの性格によるところが大きいとも思う。

例えばテクニシャン君諸氏が私をナメるのは、男が持つ上昇志向の歪んだ発露ともいえ、そのモチベーションを正しく導いてやれば巨大な戦力になる可能性を秘めている。女性のように、勤務時間通りに帰宅してもらうことに気を遣う必要もなかろう。事実、大学の超優秀なテクニシャン氏は、いつも遅くまで実験をやっていて、私は何度も教えを請うている。お互いに有益な情報交換もする。どっちがエラいだとかエラくないだとか、そんなつまらないことをヒマな人間が考えている間に、本気で仕事をしている人間との差は、こうしてドンドンと開いていく。これは自戒を込めていうのだが、本当に恐ろしいことである。

もちろん仕事が唯一の価値ではないけれども。しかし、基本的な姿勢はどの分野においても同じなんじゃないかな。

何だかグチャグチャと書いてしまったが、たまにはこういう青っぽいのも良いだろう。日々の仕事で己が無力さを痛感する一方、テクニシャン嬢達には「まだまだ若造なんで」というエクスキューズが通用せず、無理にでも年長者を演じねばならぬときもある。行き場のない甘えの欲求をこの日記に託しているわけだが、つまりそれは、自分で自分に甘えているわけで、単なるナルシシズムではなかろうか。ということに、たった今気付いた。客観的に見れば、結構キモい構図なのかもしれない。2007年はもっとドライに行こう。

2006/12/01/Fri.

師ではないが走っている T です。こんばんは。

今日から 12月。とりあえず今月のゴルゴ13 を買う。

Intel のシールはなぜ剥がれないか

Win マシンには Windows のシールが貼ってある。それが Intel のチップを搭載していれば、Intel のシールも貼ってある。このシールがとにかく剥がれない。無理に剥がそうとすると筐体に傷が付きそうなので諦めているが、ホント、どういうセンスなんだろう。上からビックリマンでも貼ってやろうかとすら思う。

Windows のシールはともかく、Intel のシールには一つ疑問がある。このダサいシール、Intel Mac には貼られていない。恐らく Apple が拒否したのだと思われる。また、以下のような合理的な説明も考えられる。Win マシンには Intel 以外のチップも搭載されているので、「Intel」がブランドとして成立するという背景がある。一方、現在の Mac には Intel チップのマシンしかないので、わざわざ「Intel であること」を強調する必要がない。しかし仮にそうだとしても、シールが「剥がれない」ことの説明にはならない。

ところで、「Intel Inside」を「インテル入ってる」と訳した人は素晴らしい (これは皮肉ではない)。英語の押韻を、そのニュアンスまで含めて日本語で再現するのは非常に難しい。英語の歌詞の邦訳がイマイチな理由の多くはこれによる。そういえば昔、爆笑問題が Apple の「Think different」を「考え違い」と誤訳 (もちろんネタだが) していたのには笑った。ある意味では誤訳でない、というところが Mac ユーザにとってブラックなんだよな。

研究日記

病院 → 大学。

引き続き論文書き。助手先生からウイルス感染の Materials & Methods についてアドバイスを頂戴する。