詳しくない分野について根拠のない論旨を展開してみる T です。こんばんは。
ちまちまとサイトを改造中。凡ミスを連発。自分のサイトが図らずもブラクラ化するのはとても悲しいことだ。
昨日の続きで、今日は「Mac たん」。
どうでも良い話だが、「Mac OS」というのは最近の名称で、以前の OS (日本語版) は「漢字Talk」という、ちょっと信じられないような名前だった。今見るとスゴいセンスである。漢字Talk。本当に Apple が付けた名前なんだろうか。ギャグにしては先が尖り過ぎている。
萌えについては門外漢だが、少しだけ。
擬人化についてボンヤリと考えていたのだが、いわゆる行為としての「萌える」というのは、対象の次元を上げる行為ではないか。抽象的な事物を具象化するというね。小説のキャラクターを絵に起こす、漫画のキャラクターを動かす、喋らせる、アニメのキャラクターを立体に起こす、リアルの人間がコスプレをする。この手の趣味は「2次元」というふうに揶揄されているが、むしろ積極的に次元を上げている。というのは私の誤解なんだろうか。
このようなベクトルは歴史的にあった。例えば人形というのは、古典的なアイテムだろう。身近に置きたい、手に取りたい、視覚化したい、物質化したい、というのは極めて普遍的な人間の欲求である。極端な話、仏像がそうだな。そう考えると、『見仏記』で仏像に萌えていたみうらじゅんのセンスというのは、大変な先取りである。やはりタダ者じゃない。「……って本当は〜なんだよな」という基本的なフォーマットがここにある。少なくとも、萌えない私にはそのように見受けられる。
近年の萌えブームは、テクノロジーとコミュニケーションの発達、それからコストの低下によって、具象化の欲求が解決される方向へ加速された、というのが正しいところなんじゃないか。良いことだと思う。
病院。
「(今日も元気で) 勤労 (できることに) 感謝の日」。んなわけない。元気じゃないし。明日は休む!