知らない所を散歩するのは好きな T です。こんばんは。
学会場に行って、registration を済ます。ブラブラと会場を歩く。公表によれば参加者は 3万人というから、日本分子生物学会の 2倍以上である。果たして 1つの学会がここまで巨大になることに意味があるのか、という気もする。自分が興味を持つセッションですら、全てに参加することは不可能である。俺はどの発表を聴き、誰に向かって発表すれば良いのか。
もっとも、そんなに真剣に考えているわけではなくて、午後はシカゴの街をブラブラと散歩したわけだが。
シカゴといえば摩天楼が有名だが、確かに素晴らしい。例えば東京でも大阪でも、韓国に行ったときにソウルでも高層ビル群は見たのだが、それはあくまで高層ビル群であって、「摩天楼」というクラシカル・モダンな日本語が持つイメージとはちょっと違う。そういえばバンコクでも見たな。アジアの新しい高層ビル群は清潔でピカピカしており、とてもポップではあるけれど、あれはやはり摩天楼ではない。建築様式の問題かと思ったが、ひょっとしたら国民性、地理的な問題なのかもしれないな、と思った。
シカゴはミシガン湖が目と鼻の先にあるので、夏はどうだか知らないが、今の季節は霧が物凄い。恐らく、気温 (0度前後だった) に対して湖水が暖かいのでよく霧が発生するのだろうが、量が半端じゃない。空が重い。低い。加えて風が強い。17時にもなると真っ暗である。したがって陰鬱なイメージがある。ビルの古さがさらに拍車をかける。治安は悪くないようだが、もちろん日本ほどではなさそうで、毎晩ホテルの前を何回もパトカーが往復する。ホテル近辺の大通りは観光客 (というか学会参加者) が多く、彼ら向けの店が並んでいて明るいイメージだが、少し奥に入るとピリッとした空気になる。アパートメントの鉄格子はドン引きするほど頑丈で刺々しい。映画でよく見るような、ダウンタウンの古いビルディングはとても格好良かったが、ちょっと気軽に写真を撮れる雰囲気ではなかった。危険そう、というわけでは必ずしもないのだけれど。
どうでも良いことだが、スプレーによる壁面の落書きを、俺はアートだなどとは認めていない。しかしその認識が、シカゴで少し変わった。日本で見かける落書きは、落書きのスタイルだけを輸入して土塀などに大書するから醜悪になるのだ、ということが理解できる。レンガの剥がれ落ちた、シカゴの古いビルディングに描かれた落書きには、それなりの力があるように感じられた。もちろん落書きは落書きで、その大半は稚拙なものだが、要するにキャンバス (= ビル) の力なんだろうな、「なるほど」というものも幾つかあった。日本におけるスプレー・アートとやらは、屏風や掛け軸にピカソの絵を描いているようなものである。それが悪いとはいわないが、認識なき前衛ならば愚行に過ぎない。あ、もちろんこれは芸術論であって、それ以前に落書きは犯罪であるのはいうまでもない (シカゴがどうだか知らないが)。
早めにホテルに戻り、発表の練習をして就寝。