今月のゴルゴ13 を熟読した T です。こんばんは。
読むたびに「もう 1ヶ月が経ったのか。早過ぎるのではないか」と思う。月刊でこれなのだから、週刊誌などはもう、毎日読んでいる気がする。小学生には信じられない感覚だろうが、ようやく今週のジャンプとマガジンとチャンピオンを立ち読みした翌日には、次週のジャンプが出ている。「乞う御期待」なんかしている場合じゃない。新聞の連載なんてとても読めないだろうなあ。読まないけど。
それにしても今週の『テニスの王子様』はスゴいな。
Google が YouTube を買収してから、YouTube への接続が遅くなったと感じているのは俺だけか。
以前にダウンロードしたドラゴンクエストの各テーマを聴いて懐かしい気分になる。「DQ v.s. FF」でも書いたが、ドラゴンクエストの音楽は「ドラゴンクエストであること」と同値である。オープニング・テーマを聴けば、「ああドラクエだなあ」と思う。そのあたりは、Star Wars に似ている。音楽自体が懐かしいのではなく、その曲が流れていた時間に自分が視ていた世界が懐かしいのである。
「自分が視ていた世界」は、想像力の賜物である。昔のゲームは表現力が乏しかった。俺達は常に想像力で補っていた。我が世代の男子達が、過去に経験したゲームを驚くほど記憶しているのは、それが彼自身の思考を酷使して獲得した世界だからである。最近のゲームが記憶に残らないのは、単に年を食ったからという理由だけではない。ゲーム機の表現力が向上し、自分で世界を膨らませてゲームをプレイする必要がなくなったから印象に残らないのだ。テレビ番組みたいなものだ。一方で、意外に糞ゲーが記憶に残る。糞ゲーを愉しむには想像力が欠かせない。
Web アプリケーションが「面白い」と思えるのは、いまだその表現力がデスクトップ・アプリケーションに大きく劣っているからではないか。Web アプリは今、必死に一般的なソフトウェアの振るまいを再現しようとしている。それは、以前のゲーム機が懸命にデザイナーの世界観を表現しようとしていた行為と重なって映る。「こんなことができるようになった」「こんなことが表現できた」という、進化の興奮。実現された「こんなこと」は、他の環境から見れば大したことではなかったりもする (以前のゲームが映画に比べれば屁のごときものだったように)。
欲求と、それを補う想像力が、技術の進歩に対する歓喜を生む。そうして技術が達成されるごとに、欲求と想像力は失われていく。夢を見たい人は、また別のベッドを探しにいく。「夢を見る」のは、結構能動的な作業なのかもしれない。
病院。
単純な RT-PCR は上手くいくのに、SYBR Green と ROX を入れて定量しようとすると途端に PCR が上手くかからなくサンプルがある。他のサンプルやプライマーでは上手くいくのに、特定の組み合わせでこのトラブルが起こる。再現性あり。原因不明。困った。
今週末が 3連休だと気付いていなかった T です。こんばんは。
予定を組み直し……。祝日というものが全く嬉しくなくなった昨今である。皆は休むが俺は休めないので、「祝日 = 負担が増える日」という認識しかない。「代休取れば?」と言われるけれど、祝日のある週は、その分だけ平日が少なくなるわけで、その中から「俺が休んでも支障の出ない日」を作るのは普段よりも難しくなる。「休みを作る」のには存外とパワーが要る。むしろ出勤して早めに帰った方が楽なので、結局そうすることが多い。代休以前の問題である。
「彼女が怒りませんか?」という、気が利いているのか誘導尋問なのか判断できない質問もよく受ける。「仕事が恋人なんでね」。そう答えるのが夢だが、いまだ果たせずにいる。こういうサブいことを平然と言ってのけるオッサンに早くなりたい。
病院。
朝からスライドを作り続ける。夜にセミナー発表。英語のスピーチなのだが、原稿がないと覚束ない。プレゼンテーションでは原稿やメモを用意したことはないのだけど、今回ばかりはカンペがないと不安である。使わなくても作っておこう。
英語がマズいと指摘されるが、特に深刻なものではなかった (と思っているのは俺だけか)。そもそも、にわかにどうにかなるものでもない。まァ、スライドをきっちり作っておけば、何も言わなくても理解できるわけだから、むしろ限られた時間を figure に費やす方が、トータルとしてのクオリティは上がるだろう (と思っているのは俺だけか)。
またもや書評するべき本が溜まりつつある T です。こんばんは。
先月から「読破した本は全て記録する」という方針でやっている。2ヶ月目にして挫折するのは悔しいので、いずれ記録するつもりだが……、やれやれ。ちなみに先月は 22冊。今月は、これまで書評した分が 10冊、読破したがまだ記録していない分が 4冊。1ヶ月に 20冊は読みたいが、なかなか難しい。
IE のことを考えるのは本当に止めようかと思う。閲覧者にブラウザの選択の自由があるのと同じ理由で、サイトの運営者には特定のブラウザに対応させる義務もない。これは、あるブラウザでこのサイトが見れなくなるという話でもなく、あるブラウザを使えと強制しているわけでもない。
これからも、Safari、Firefox、Opera での動作は保証する。ただ、IE での動作は保証しない。これは、対応への努力を放棄するという主張ではない。Win IE というブラウザに完全対応させるには我が時間が惜しい、という個人的なエゴである。標準的な記述で、少なくとも Firefox と Opera には対応させるから、IE で全く表示されない・動作しない、ということにはならないはずである。ひょっとしたら、動作確認を止めても何の不具合も起きないかもしれない。
何度か書き直したが、どうにも感じの悪い文章だなあ。不徳の致すところである。ここは悪いインターネットなのかもしれない。
病院。
PowerPoint でスライド作り。明晩のセミナーで発表が当たっている。学会発表のプレビューも兼ねているのでマジメに取り組んだら疲れた。
互換性の問題さえなければ、もっと JavaScript を使うのに、と思う T です。こんばんは。
JavaScript だけでサイトを構築すればさぞ面白いだろうと思う。閲覧するブラウザを限定すれば無理な話ではない。実験的にやってみようかと以前から考えているが、大変であろうという想像が実行を躊躇させている。
ページのトップまでヌルヌルと移動する JavaScript。どこからか拾ってきたものの改良だが、どのページで見かけたのか思い出せない。
function getScroll () {
var scrollObj = new Object();
var x1 = x2 = x3 = y1 = y2 = y3 = 0;
if (document.documentElement) {
x1 = document.documentElement.scrollLeft || 0;
y1 = document.documentElement.scrollTop || 0;
}
if (document.body) {
x2 = document.body.scrollLeft || 0;
y2 = document.body.scrollTop || 0;
}
x3 = window.scrollX || 0;
y3 = window.scrollY || 0;
scrollObj.x = Math.max(x1, Math.max(x2,x3));
scrollObj.y = Math.max(y1, Math.max(y2,y3));
return scrollObj;
}
function goPageTop () {
var Obj = getScroll();
window.scrollTo(Math.floor(Obj.x/2), Math.floor(Obj.y/2));
if (Obj.x > 0 || Obj.y > 0) { window.setTimeout("goPageTop()", 25); }
}
<a href="#" onClick="goPageTop()">Page Top</a>
ポイントは、「ページのスクロール量」をどうやって求めるかにある。どのプロパティが適切な値であるかは、ブラウザ毎に異なる (!)。とはいえ、例えば y 座標は、まァ次のどれかである。
document.documentElement.scrollTop
document.body.scrollTop
window.scrollY
そこで、これらを全部取ってきて、最大値を scrollObj.y
に代入するという泥臭いことをする。x 座標も同様だが、原理的に横スクロールが発生しないページでは、最初から x = 0 で固定しても問題はないだろう。後はページのトップ (0, 0) にスクロールするだけである。移動のヌルヌル感を演出するため、1回につき、トップと現在の位置の中間までしか移動しない。この動作を再帰的に繰り返すと、「最初は速く、次第に遅く」というヌルヌル移動をする。1回の移動量、再起までの時間を調整すれば、望みのヌルヌル感が得られる。
これを応用すれば、アンカーまでヌルヌルと移動するスクリプトが書けるのではないかと考えたのだが、実はそんなに簡単ではなかった。次回は、アンカーまでヌルヌルと移動する JavaScript について書く。
大学 → 病院。
細胞が上手く育っていなくてカッとなる。
職場では「何でも屋」を自認している T です。こんばんは。
JavaScript で、ヌルヌルと動くアンカーを作る。昨夜に書き上げたのだが、深刻な不具合 (永遠にスクロールし続ける) があったので、急いで直す。JavaScript の何がウザいって、ブラウザ毎に挙動が異なる点が死ぬほど面倒臭い。発狂しそうになったので、bytefx というライブラリを導入する。プログラミングは下手であっても自作、がこれまでのモットーだったが、クロス・ブラウザに関してはその意志を放棄した。ただの作業にしては、費やす時間が膨大に過ぎる。
Safari 2、Firefox 2、Opera 9 で確認している。IE で動くかは未検証。「Abbreviations Dictionary」などのアンカーがヌルヌルッと動けば成功である。機会があれば中身について書く。
病院 → 大学。
大学では細胞の sorting。その後でテクニシャン嬢と TUNEL 染色。TUNEL は TdT-mediated dUTP-biotin nick-end labeling の頭文字である。というマメ知識を書いておくと、後で検索で引っかかるようになるのだ。ジャンプして来た人が落胆しないように、少し TUNEL 染色の話を書く。
いきなり余談だが、TUNEL は「タネル」という発音が市民権を得ている。俺は最初、「チューネル」と発音して恥ずかしい思いをした。
細胞が死ぬと、核内の DNA はズタズタに切断される。その DNA 断片の末端を標識することで、細胞集団から死細胞だけを視覚化することができる。これが TUNEL の簡単な原理である。mRNA の標識と同じで、in situ の実験である。またもや余談だが、in situ は「イン・サイチュー」という発現が市民権を得ている。俺は最初、「イン・シチュー」と発音して恥ずかしい思いをした。もっとも、「イン・シチュー」と読む人は少なからずいる。また、in situ と斜体ではなく、in situ と普通に書くことも多い。近頃はイタリックの方が少数派のようだが、俺はイタリックで書くことにしている。斜体にするのはそれがラテン語だからで、生物の学名をイタリックにするのと同じ理由である。学名は必ずイタリックである。ちなみに遺伝子名もイタリックだ。
In situ の実験は難度が高いくせに結果は曖昧に終わったりするので腹が立つ。前回は微妙な結果だった。今回はプロトコルを変えてみたら綺麗な染色像が得られた。というか、顕微鏡のセッティングを変えたら劇的に見やすくなった。もしかしたらと、前回のサンプルを再度検鏡してみたら、ちゃんと染まっているではないか。顕微鏡の問題か。アホくさ。
実験の合間にスライドを作成する。異様に作業がはかどる。雑用がないからだ。大学では客分的な身分なので、自分の実験だけをしていれば良い。あれもこれもと気を回したり、気を回す前から仕事を押し付けられる病院とは大違いだ。とはいえ、それで給料を貰っているわけで、これは愚痴ではない。
惰眠を堪能した T です。こんばんは。
Google のマネをして、
« S h u u u u u u u r a b a »
というページ・ナビゲーションを作ってみたのだが、あまりにバカバカしいのでやめた。「Yahooooooo!」とかやらないかな。Google から怒られそうだが。表現の特許とか取ってそうだな。
ところで、通信が遅いときにイラついて「送信」ボタンを連打しない、というのは常識であるが、最初から送信ボタンを 1回しかクリックできないようにしておけば、そもそも問題は起こらない。アップローダを作るついでに、送信ボタンを 1回しか押せないようにする JavaScript も組んでみた。
onload = function () {
if (document.all) {
formList = document.all.tags("form");
} else if (document.getElementsByTagName) {
formList = document.getElementsByTagName("form");
} else {
return;
}
for (i = 0; i < formList.length; i++) {
formList[i].onsubmit = disableSubmit;
}
}
function disableSubmit () {
var elements = this.elements;
for (i = 0; i < elements.length; i++) {
if (elements[i].type == "submit") {
elements[i].disabled = true;
}
}
}
フォームが「送信」されたとき (onsubmit
) に、disableSubmit
が動くように onload
で設定しておく。送信ボタンが押されると、そのフォーム内にある submit ボタンが使えなくなる。BBS などで空クリックすれば、具体的な動作がわかると思う。
1つのフォームに複数の submit ボタンがある場合、あるいは submit ボタンでデータのやり取りをしていない場合には対応していない。
明日は休むことにした T です。こんばんは。
Firefox 2 がリリースされたので、ダウンロードして使ってみた。あまり劇的には変わってない。タブ毎にクローズ・ボタンが付くようになったのは嬉しい。Mac では、リロード・ボタンの表示がおかしいという現象が出たが、特に不具合もなく。
時間ができたらやりたいと、かなり前から思っていることをメモしておく。忘れそうなので。
いつになるかわからんがな。
プログラミングという行為は、言い換えるならば「定式化」である。全ての学問、少なくとも自然科学が何を目指しているのかというと、それは現象の定式化であるといって良い。生物学という若干ユルい世界では、定量で頭がいっぱいになることもあるが、何で定量するかといえば、それは最終的に定式化するためである。
例えば簡単な遺伝制御系は、
A -| B → C
などと書き表したりするが、定式化という意識があれば、これが記号論理学的な記述に極めて近いことに気付くだろう。何も考えずに定量して、「有意差があったからこっちの方が大きい」というだけならば、実はそれは、単に定性的なことをいっているに過ぎない。定量したから有意差が出るのではない。それは大いなる勘違いだ。人間が計測しようと計測しまいと、差は最初から実在する。問題なのは、我々はそこからどのような law を読み取るのか、それをどう表現するのか、である。
ここでいう「表現」は「理解」に等しい。それが定式化の意味である。表現しなければ誰にもわからない。当たり前だが。プログラムは「定式化」されているからこそ、コンピュータにも理解できる。コミュニケーションは「定式化された表現の流通」だ。だから「わかる人にはわかる」し、「わからない人にはわからない」。
大学 → 病院。
ある遺伝子の発現量を調べたくて、RT-PCR 用のプライマー配列が記載されている論文を探す。Materials & Methods の書き方 (どこまで踏み込んで書いてあるか)、というのは論文によって大きく違う。しっかりと PCR の条件が書いてあるなあ、と感心する論文の著者は、大抵が日本人だったりするので面白い。エラいよ日本人。
今週は休もうと思った T です。こんばんは。
大学 → 病院 → 大学。
7月に受けた健康診断の結果が返ってきた。尿検査の値で異常が出ており、「要医療」と書かれてある。病院に勤めているのに…… (しかもボスは医者)。
テクニシャン嬢 2人に検査表を見せ、「机に入れておくから、俺が倒れたらしかるべきところに提出するように」と言い含める。
「誰のためのデザインか」という点に尽きると思う T です。こんばんは。
久し振りにサイトの外観を変えようかと考えている。なんちゃって Web 2.0 風にしてみたい。Ajax 使ってないけど。
見た目を変えるにあたり、毎度頭を悩ますのが IE というブラウザ。IE 7 のリリースを受け、各所で CSS への対応が検証されている。デザインに直結するところでは、
あたりが好評をもって迎えられているようだ。一方で、
というクソっぷり。もう IE は無視する、という男前なエントリーを書いている blog もあった。コンピュータ / プログラム関係の blog では、読者も IE を使用していないだろうから、IE をシカトしても問題ないのかもしれない。Blog が読者を選ぶわけで、これは成熟への一つの段階であろう。書籍における専門書のスタンスに近い。それでも読む人は読む、というね。
明後日には Firefox 2 がリリースされるという。Opera 10 の公表も近い。Konqueror っていう Unix のソフトがアツいらしいけれど、Mac 版とか出ないかな。
大学 → 病院。
大学で培養していた細胞が死にかかっている。原因不明。大学のテクニシャン嬢に訊いたところ、前にも同じ現象があったという。大学は人も多く、共通の試薬の管理はややヌルい。定期的にトラブルが起こる、という印象がある。病院の方はこじんまりとしているけれど、誰が何を使っているのかが把握できるので、そういう心配はない。
地球人の T です。こんばんは。
大学 → 病院 → 大学。
大学は停電、病院は断水。どうしろと。幸い、短時間の工事だったようで、間もなく復旧。
体調が悪い。ここから 3週間が踏ん張りどころだというのに (1週間後にセミナー発表、2週間後に院試、3週間後に国際学会で発表)。休んでいる場合ではない。
サイヤ人ではないが、限界を突破するには、一度限界までやるしかない。多忙さに怒りを爆発させればスーパー・サイヤ人になれるだろうか。
筋肉痛の T です。こんばんは。
古本屋で、中央公論社の『日本の歴史』(全26巻 + 別冊5巻) が 3000円で投げ売りされていた。思わず買ってしまう。持って帰るのに難儀したが、良い買い物だった。1巻から順番に読んでいる。普通、この手の全集はこういう読み方をしないのだろうが、通読して悪いというわけでもあるまい。本朝 2000年の歴史をゆっくり追体験しようと思う。何日かかるかわからんが、贅沢なことではある。
アップローダを作る。このページを参考にさせてもらった。私的に使うものだが、もう少しリファインしたら、サイトでも使ってみようと思う。多群兄や JOE兄あたりが、くだらないファイルをアップしてくれることだろう。
どうでも良い話だが、Safari は Wiki のような日本語を含む URL を勝手にエンコードしてくれる。アドレスバーの表示がとても見やすいという利点はあるが、URL をコピー & ペーストするときにデコードしてくれないので、リンクを貼るときに困る。わかりにくいか。
例えば、Wikipedia の「修羅場」の URL は、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%AE%E7%BE%85%E5%A0%B4
であるが、Safari はこれを、
http://ja.wikipedia.org/wiki/修羅場
と表示してくれる。わかりやすいのだが、これではリンクが貼れない、という話。こういう現象を見るにつけ、日本語を扱うプログラムを書くことがバカバカしくなる。
病院 → 大学。
細胞培養を少し。早めに終えて帰宅。
初めて GFP を見たときは感動した T です。こんばんは。
病院。
核移行シグナルを持つ DNA 結合タンパク質を GFP と融合させ、細胞内で発現させた。本当に核で局在しているかを、蛍光顕微鏡で観察する。
融合タンパク質でも DNA 結合活性が残っているようで、分裂中の細胞では染色体がはっきりと光って見える (写真では下の 2つ。普通は上の 2つのようにボヤっとしている)。
別にこれが見たくて実験したわけではないのだが、面白かったので記念に撮影した。こういう写真を撮り溜めるのが、顕微鏡観察における我が密かな愉しみである。線虫をやっていた頃も、よく変な写真 (カバーガラスで押し潰された線虫から咽頭がズルリと抜け出しているキモい絵、など) を撮影してはハードディスクの肥しにしていた。大学のパソコンにまだ残っているかもしれない。
仮説を立て、それを証明するために実験をする。観察において最も注意が向けられるのは「予想が正しかったかどうか」という点だが、「予想もしなかったこと」が起こることだってある。それに気付けるかどうか。あまり予断を持って観察してはいけない。少しでも「アレ?」と思ったら、じっくりと観察 (考察) するべきだ。
結果として俺が取り溜めることになった変な写真は、そのような「アレ?」の追求記録でもある。実験の本筋からすれば、「面白くも何ともない」「気のせいだった」ということになる。今回の写真だって、理屈からいえば当たり前の現象を映しただけに過ぎない。無駄といえば無駄である。
まァ、せめて日記にでも載せてやろうと思った次第。
ここのところデスク・ワークが多い T です。こんばんは。
IE 7 がリリースされたので、職場のパソコンに入れてみる。レンダリングはかなり綺麗になっていたが、動作は遅い。遅いというか、Firefox の方が速い。まァ、家では Mac で Safari だからあんまり関係ないけど。
病院。
ボスとディスカッション。そろそろ論文に仕上げよう、という話をする。Figure を俺が整えるのは良いとして、文章は誰が書くのか。俺か、ボスか。ボスが何も言わなかったので曖昧なまま終わってしまった。とりあえず、下書きだけでも書き始めておこうか。どちらにせよ俺が書くことになるであろう Materials & Methods から…… (我ながら志が低い)。
隣のテクニシャン嬢に flow cytometry を教える予定だったのだが、彼女が通勤途中で事故に遭ってしまったようで (幸い大した事故ではなかった)、明日に持ち越し。
久し振りに The Beatles をかけたらついつい聴き込んでしまって寝不足の T です。こんばんは。
大学 → 病院。
いつも世話になっている業者からは、N氏と T氏の 2人が交代で病院に派遣されており、注文などを聞いてくれる。ところが、今日は 2人が揃って訪れた。ボスが高額の発注でもするのかと思ったが、さにあらず。N氏が飲酒運転で免停になったために社用車を運転することができず、仕方なく T氏の車に乗って 2人で営業しているという。これだけ飲酒運転に対して世論が厳しくなっている昨今、ちょっとどうなのかと思う。試薬はちゃんと運んでくれよ。
データがかなり溜まってきたので、実験を早めに終え、テクニシャン嬢 2人に現在の進行状況を簡単にレビューする。やはり、ある程度は本質的なことを理解してほしい。その方が仕事もはかどるし、何よりも彼女達のモチベーションにも影響すると思うのだ。テクニシャン諸氏はただ言われた実験を行うだけ、という方針のグループもあるようだけど、そのようなところは心なしか覇気がないように感じる。成果が出れば、「よし!」と喜びを分かち合えるグループでありたい。
どこまで理解してもらえたかはわからないが、そういう姿勢を示すだけでも意味があったのではないかと思っている。
血液細胞の勉強をしている T です。こんばんは。
隣のラボのお手伝いに関連して少し調べている。今週も隣のテクニシャン嬢に flow cytometry を教える予定になっている。実際のところ、彼女に実験の手技を教えるだけなら簡単なことだ。しかしそれでは、ただ盲目的に手を動かすだけになりかねない。それでも構わないのかもしれないが、まァ、教える側の良心として、という問題である。
リアル・マトリクス。
実際問題、このレベルの動画を撮影するには、1秒間に何フレーム必要なんだろう。
病院。
細かな用事が諸々。合間に Western をするも、いまいち。分子量が 300 kDa にもなると、色々な困難がある。そういえば、Dr. A や Dr. H が扱っていたタンパク質は 600 kDa もあった。電子顕微鏡で直接観察できるという巨大さである。その当時、俺が対象にしていたタンパク質はたったの 18 kDa。この多様性こそがタンパク質の面白いところであり、同時に難しいところでもある。
最近は隣の研究室の実験まで手伝っている T です。こんばんは。
セミナーで病院に来られた助手先生の「院試の勉強はやってる?」と訊かれる。正直、そんな時間がない。時間があっても大してしないだろうけど。
病院。夜はセミナー。
ボスが禁煙外来を始めるという。喫煙者の血液サンプルなども集めるらしい。さて、喫煙者の「喫煙度合い」を示す指標として、「1日に何本吸うか」という問診がある。これが俺にはよくわからない。
キツい煙草を根元まで吸うオッサンもいれば、軽い煙草をふかすだけで消してしまう女性もいる。彼らが同じ本数を「吸った」といっても、摂取したニコチンやタールの量は全然違うと思うのだが。同じ飲酒でも、チューハイ 500 ml とウイスキー 500 ml では全く意味が違う。そういうこと。
まあ、臨床研究だから俺には関係ないが。
統計処理って、単にグラフに箔を付けるだけのものではないかと、いい加減なことを考えている T です。こんばんは。
病院。
培養細胞の世話。今日は処理する枚数が多かった。普段、量の多い実験は平日に組むようにしているが (テクニシャン嬢がいるため)、細胞を起こすタイミングを誤ったり、細胞の生育が思惑通りいかないときは週末に 1人で処理するハメになる。別に俺は構わんのだが、他のラボはどうしているのだろう。今日も研究棟はひっそりとしている。
午後から研究員嬢が来る。明日のセミナーの準備をしなければならないのだ、と言ってパソコンに向かっている。俺もデータ処理に精を出す。統計処理が面倒臭い。Excel でテンプレートを作ったりと、それなりに工夫しているつもりだが、いずれにせよ限界がある。いっそマクロでも組んでやろうかと思ったが、そうするくらいなら自分でプログラムを組み、サイトで公開した方が有用だろうと思い直す。時間ができたらやってみよう。
ディスクを挿入していないのに回転を始める DVD ドライブに手を焼いている T です。
我が MacBook は、スリープしている状態にも関わらず、突然「ギギーッ」と DVD ドライブを回し出す。ウトウトしているときなど、何事かと驚いて目を開けてしまう。何とかならんものか。
病院。
細胞培養その他。
「わからない」と言う・言われる事柄の多くは、実は単に「知らない」というだけのことで、本当に「わからない」ことは意外に少ない。いや、多いんだけど、でも少ない。「わかっていない」ことを見付けることは難しく、それを「わかる」「知る」ことはさらに困難だ。
ということは充分わかっているつもりなのだが、つい「わからん」って言ってしまうんだよな。
最近の日記は仕事の話ばかりだなあ、と反省している T です。こんばんは。
でも、他に書くことがない。
大学 → 病院。
来月の学会に行くための飛行機を予約。
ある論文を参考にして RT-PCR をかけようとしたのだが、material & methods に不可解なことが書いてある。1 kb ほどの断片を増やす PCR なのだが、annealing が 68℃ 3分、extension が 64℃ 10分。何だ、この変態 2-step のような温度は。しかも 1 kb の伸長に 10分て。ちなみに酵素は普通の Taq。これで 37 cycle も回すから、PCR に 6時間以上かかる。
誤植ではないのかと思ったが、とりあえず論文に書いてある通りに行った。PCR の終了が夜中になるので、泳動は明日。増えていれば良いのだが。
機器の故障発生率はサンプルの重要度に比例すると思う T です。こんばんは。
病院。
昨日に引き続き、隣のテクニシャン嬢に flow cytometry を教える。今日は彼女のサンプルを使った本番ということで、全血から分離した単核球を抗体で標識して流してみた。俺も培養細胞しか解析したことがなかったので、何かと勉強になる。
研究員嬢、テクニシャン嬢 2人、隣のテクニシャン嬢と晩飯。福岡ソフトバンクがリーグ優勝を逃すのを眺めながら食べる。プレーオフ制度が導入されてから、ホークスは全く良いことがない。呪いだろうか。誰の。
少し寝不足気味の T です。こんばんは。
今日の動画は多群兄に教えてもらったやつを。
病院。
隣の研究員嬢に flow cytometry を教える。テクニシャン K嬢の誕生日ということで、皆でケーキを食べる。たまにこういうものを食べると美味しく感じる。
チマチマとサイトをイジっている T です。こんばんは。
Microsoft Messenger for Mac 6.0 が出た。Intel Mac に対応し、「ブッ壊れたんじゃないか?」と疑ってしまう不審な動作は改善された。ここしばらくは御無沙汰だったが、これからはストレスなく立ち上げておくことができる。見かけたら、イジめて下さい。
病院。
事務仕事の後、ボスとディスカッション。
昨夜の Jazz ライブにて、隣の先生から、「うちのテクニシャン嬢に flow cytometry を教えてやってよ」と依頼される。別にそれは構わないのだが、遊びに行った席で仕事が増えるのは理不尽だと思う。遊ぶな、ということか。
ともかく、明日明後日と教えることになったので、プロトコルなどをシコシコと書く。これまで文書にまとめたものがなかったので、良い機会ではある。だが苦痛もある。BBS でも話題にしたが、「自分にとって自明なことを、それが自明ではない他者にもわかるように書く」というのは難しい。我らがテクニシャン嬢のために書くのならまだしも、隣のテクニシャン嬢のレベルがどの程度か不明でもあり、頭を悩ます。今後、俺謹製のプロトコルがそのラボで出回る可能性も考えられ、下手なものは書けんな、などと真剣になってしまう。思わぬ大仕事になった。
騙されているのか、俺は?
初めて Jazz のライブを聴いた T です。こんばんは。
病院。
新しく作ったベクターからタンパク質が作られず、困った。何度か経験したことがあるが、クローニングのフレームも間違えていないし、シーケンスで配列もチェックしたはずなのに、何故かタンパク質を発現しないベクターができてしまうことがある。これは何なんだろう。
トラブルシュートをするよりも、一から作り直した方が早いことはわかっているので、そうするつもりだが。
隣の実験助手女史に誘われて、バーでの Jazz ライブにお邪魔する。隣の先生、隣の研究員女史、実験助手女史の御友人といった熟女、否、お姉さま方に囲まれて生 Jazz を拝聴する。
Jazz をライブで聴くのは初めてだったが、凄い迫力だった。特にドラムが素晴らしい。店内は小学校の教室くらいの広さで、客は 30人ほどだったろうか。いっぱいである。ステージでは白人のピアニスト、黒人のベーシスト、黒人のドラマー (いずれも NewYorker のトリオ) が素晴らしい演奏を繰り広げる。休憩を挟んで 3時間ばかり。2杯しか飲まなかったが、終わる頃には完全に酔っていた。
隣の先生が、学生の頃にプリンセス・プリンセスのコピー・バンドでキーボードをやっていた (歳がバレるな……)、などという意外な話が聞けたりして、色々と面白い夜だった。茶漬け屋で茶漬けを食い、日付が変わる前に帰宅。
研究で求められるのは結果ではなく真実だと思う T です。こんばんは。
病院。
細胞の flow cytometry。流された細胞は、径や各種蛍光強度によって 2次元平面にドットとして展開される。簡単な例でいうと、 x 軸に細胞径、y 軸に蛍光強度を取ってやれば、「抗体と反応した大きい細胞」は画面の右上に現れる。その群を囲ってやって、色々と解析するわけである。
「群」といったが、細胞をいつも綺麗にグループ分けできるわけではない。ある表面マーカーが発現している・発現していない、という単純な二者択一の場合は、比較的明瞭に群別できる。しかし、「だんだんと発現が減っていく」というようなケースでは、細胞のドットは連続した帯状の模様を描く。どこかで機械的に線を引かねばならないのだが、その加減が難しい。
ある細胞群を囲ってやると、そのゲート内のドットの色が変化する。解析しやすいように、というソフトウェアの配慮なわけだが、非常に危険なことに、一旦色が変わってしまうと、その群別が非常に「それらしく」見えてしまう。星座みたいなもんだな。満天の星空を眺めても何が何だかわからないが、一度「あの星とあの星を結ぶと星座になるよ」と言われれば、もうそのようにしか見えなくなる。視覚認知の恐ろしい一面である。
恣意的にならないようにと気を付けてはいるが、生理を制御する困難をいつも味わっている。
寺田寅彦が好きな T です。こんばんは。
「天災は忘れた頃にやってくる」という箴言は、寺田寅彦によるものらしい。出典を調べてみたら、Wikipedia の「寺田寅彦」では、「寅彦の言葉といわれるが、著書中にその文言はない」と書いてある。
「本当に最初に言ったのは誰だ」とか、「『寺田寅彦の言葉だ』と嘘をついたのは誰だ」とか、無数の疑問が浮かぶ。唯一わかるのは、「寺田寅彦が言いそうなことだ、と多くの人が思ったから風説が広まった」ということのみである。イメージはこのように形成され、膨張していくんだなあ。
病院。
細胞に異なったウイルスを 2日連続で感染させたのだが、どちらのウイルス由来のベクターもしっかりと発現していた。つまり時間差で遺伝子を発現させることができるわけで、これは使えそうである。
一口に細胞、ウイルス、ベクターといっても様々な種類があり、それぞれで感染や発現の効率が異なる。プロトコルが複雑になればなるほど、再現性を得るのが難しくもなる。地味な予備実験が後々に効いてくるわけだが、このようなデータが表に出ることはほとんどない。ときに膨大な数になるこれらの結果は、水面下の氷山のようなものだ。
どのような分野の事柄に対しても、水面下が覗けるようになれば大したものだが、それはなかなか難しい。
等幅フォントが好きな T です。こんばんは。
プログラミングにももちろん使っているが、それよりも塩基配列やアミノ酸配列で世話になることが多い。個人的には Courier が好きだ。
ずっと放置していた「RSS Reader」を作り直した。出先で更新をチェックするには充分だと思う。もっと作り込みたかったのだが、プログラミングは (あくまで俺の場合)、まとまった時間が取れないと形になるまで持って行けない。どうしても一気にやってしまう必要がある。コツコツと積み上げて行く作業とは、要求される脳の働きの質が違うんだろうな。
そんなことをするくらいなら、各種ポータルサイトが提供している RSS リーダーを使えば良さそうなものだが、一々アカウント取ってログインして、とかが面倒臭い。広告もウザい。無料だからしょうがないけど。デザインもちょっと……というものが多い。不特定多数の人間が使うものだから、これも仕方がない。もちろん、否定しているわけではない。
「ユニバーサル・デザイン」という考え方は良いことだと思うが、「自分にとって」それが良いデザインであるかどうかは別問題である。自分のことを考えるなら、「ユニーク・デザイン」の方が良いに決まっている。そういうことを疑問にすら思わない人が多い。俺は何よりもまず、自分のためにサイトを運営しているので、ユニバーサルよりユニークを優先する。それが、自分でプログラムを書く動機の 1つだ。サービスを目的としたものとは根本的に考え方が違うので、別にどちらが良いとか悪いとかいう話ではない。
ところで、ついでに「コラッツ数列を求めるプログラム」という、何の役にも立たないプログラムも書いてみた。本当に、何の役にも立たない。だがそれが良い。
あと、これは少しだけ役に立つ可能性がある、「ムーディー・ブルースの今日は何の日?」というプログラムも作ってみた。
レオーネ・アバッキオがムーディー・ブルースで時間を巻き戻し、過去のその日に何があったかを教えてくれるぞ! 設置方法などは上のリンク先で紹介している。
下の動画を見たらギターを弾きたくなった T です。こんばんは。
こんなにスゴいの弾けないけど。引っ越すときにギター売っちゃったからなあ。買って来ようかなあ。
胃の痛い仕事が多い T です。こんばんは。
2006年のノーベル化学賞は「真核生物の転写機構」で Roger Kornberg が受賞した。最近の化学賞は生物関係が受賞することが多い。いい加減にノーベル生物学賞を作って、基礎研究は生物学賞、応用研究は医学賞と分けるべきではないか。
生命現象は化学反応であるが、生物学的に斬新な発見が化学的にも斬新かというのは疑問である。また、生命現象が全て化学反応というのなら、化学反応は全て物理現象でしかない。だから、やっぱり線引きがおかしい、少なくとも時代に合っていないと思われる。
大学 → 病院。
大学では研究費のヒアリング。我々は国から研究費、つまり税金を頂戴して研究をしている。なので、それが適正に使われているか、要するに成果が出ているのかということを役人がチェックしに来る。それに対するプレゼンテーション、及び計画書と報告書の突き合わせなどが行われた。このような会合の末席に座っていつも思うのは、役所という組織は上に行くほど融通が効くものらしい、ということだ。役所に限った話ではないかもしれないが。別に悪いことだとも思わない。むしろ問題なのは、末端での杓子定規な運用だろうが、それは今日の本題ではない。
俺が関わっている幾つかの実験は、あるプロジェクトの各構成要素であり、そのプロジェクト自体も更に大きなプログラムの一環である。普段はそんな意識はないのだけれど、ボスに連れられてこのような場所に居合わせると、あァと再認識させられる。何にせよ、貴重な機会と経験ではある。
大学院に行くか行かないか、という話をしだしてから、時折このような会合での雑用を命じられるようになった。単に使われているだけではない、という気が最近している。大学でミーティングをするなら、その雑用は大学の研究員氏に依頼すればすむことだ。わざわざ病院から俺を引っ張ってくるのは、どうも戦力養成の一環であるらしい。俺が大学院に行けば、あと数年はボスの下で仕事をすることになる。俺の顔が少しでも広くなれば、それだけボスにとっても使いでがあるというわけだ。Give and take だから良いけど。この関係が続く限り、少々忙しかろうと、ボスとは上手くやっていけるという予感はある。
学会の登録とヒアリングが済んで、ボスも一段落ついたようだ。俺も、明日明後日と連休を取らせてもらうことにした。病院に戻ってテクニシャン嬢に 2日分の指示を出す。「休みは作るもの」という言葉の意味をひしひしと感ずる。「久し振りの休みだあ。しかも連休だあ」と喜んでいたら、世間は今週末 3連休ですよと言われる。
ナニ、ゆっくり実験に集中できるというものだ。
チロルチョコの字面を見ながら「テロルチョコ」という不謹慎なものを思い付いた T です。こんばんは。
終日病院。
平和な 1日。皆で早めに帰宅。
「RNAi にノーベル賞が贈られるかどうか」を、Dr. B と話したことを思い出した T です。こんばんは。
2006年のノーベル医学生理学賞は、RNAi の研究に対して、Andrew Fire と Craig Mello に贈られた。
終日病院。
英語の学会抄録を 2つ書いて仮登録。移動や実験がないとホント身体がラクだわ。などとほざいていたら「ジジイか」と言われる。最近の俺は、もはやオッサンではなく、おじいちゃん扱いされることが多い。皆が優しいので嬉しい。「おじいちゃん今週こそは休みましょうね」「ああ皆のおかげで学会発表も登録できたしなあ」。ふがふが。
ES 細胞はいくらでも増殖する点で癌細胞と同じ性質を持つ。ES 細胞は放っていたらドンドンと分化する。つまり「未分化」という状態は細胞において「特殊な」状態であるわけだ。ES 細胞の無限増殖性は未分化状態であることと密接な関係がある。したがってまた、無限増殖という現象も「特殊」であると推測できる。
癌細胞の無限増殖能は構成的である。癌細胞が極めて未分化的な特徴を有するのも頷ける。どちらが鶏で卵かわからないが、少なくとも分化能と分裂能には強い相関関係がある。
分化って何だろう。単細胞生物は無限に分裂して増え続ける。そういう意味で、彼らは生殖細胞そのものであるともいえる。一方で、単細胞生物は 1つの細胞で何から何までやらなければならず、多数の細胞内小器官あるいは鞭毛繊毛といった細胞外器官を持つ。形態学的および機能的には「よく分化している」といっても良いほどの複雑さだ。
多細胞生物は単細胞生物が群生したことからそれぞれに機能特化、つまり分化が起こって生じたと考えられる。となれば、そのうちで生殖細胞が採った道は「退化」ではないのか、という疑問が湧く。全能性というのはつまり、「何物でもない」ということに他ならない。
退化、進化、特化という言葉が持つベクトルの危険性については過去に論じたが、要するにどれも単なる「変化」でしかない。進化して良いことが、果たしてこれまでにあっただろうか。高度に進化した生物種のほとんどは絶滅している (例えばカンブリア大爆発を見よ)。一方で、多くの古細菌が何十億年も生き残っているんだよね。生命の究極の目的が「自分の遺伝子を残すこと」だとすれば、一般に「進化」と捉えられている生物の複雑化は、「退化」としか思えない。しかし実際のところ、生命の歴史はこの方向に進んでいる。
何でだろう?
外食ばかりで、家で発生するゴミのほとんどが酒の空缶と文庫本の帯であるという T です。こんばんは。
今月から京都では、指定の袋を使わなければゴミが出せないことになった。袋は 2種類。有料である。家庭ゴミ用の黄色い袋が、45 L のもので 10枚 450円。資源ゴミ用の白い袋が、45 L のもので 5枚 110円。ゴミの減量が目的であるから、袋の値段はやや高い。
京都に来たときに驚いたのが、その分別の寛大さである。以前にいた大学では、それはやかましく分別をさせられたものだ。今の職場ではそんなことはない。この生ぬるい分別方式が続くのならば、袋が有料になろうと、それがいささか値が張ろうとも構わない。袋は金を出して買えば済むが、ゴミの分別には時間が取られる。
この狭い日本で、ゴミの処理に金がかかるというのは、考えてみれば当然である。必要だというのなら、レジの袋でも何でも有料にしたら良かろう。だが、本当に効果があるのかな、とも思う。レジ袋が 5円だか 10円だか知らないが、そのお金で「買物袋を持ち歩かない自由」を選択する人間も相当いるのではないか。俺もそうするだろう。
大学 → 病院。
自然科学系の研究の主たる手法は、観察と実験である。これを数学に当て嵌めるとどうなるか。
観察は数論であるかもしれない。所与の数列 (自然数、素数など) をあれこれイジって、その性質、関係性などを議論する。驚くべきところに意外な関係が存在していたりして、そこに神秘を感じたりする。
実験は代数学であろう。例えば、ある刺激 x を細胞に与えたときに計測される反応、つまりこれは f(x) という関数である。我々は様々な変数を関数に与え、結果として現れた値から関数 f、すなわち生命のシステムを推測する。予測した関数が正しければ、任意の刺激 x に対して関数が取り得る値も予想できる (作業仮説)、というわけだ。セントラル・ドグマは関数としての典型例だろう。ある変数 (塩基配列) に対して、関数 (転写翻訳系) は、必ず決まった値 (タンパク質) を返す。生物の機械論とは、このような考え方である。
脳は入出力装置であり、コンピュータに比喩されることも多い。コンピュータは関数の集合体である。決まった入力に対して、決まった出力を行う。だが脳は、刻々と関数自体が変化する系である。同じ本を読んでも、ときに印象が異なることもある。ここが脳の面白くて難しいところだ。
さて、脳の変化自体をも関数で表現することができるだろうか。もし可能であるならば、精神とて一つの関数であるということになるのだが。