- MD vs PhD

2006/09/27/Wed.MD vs PhD

京極夏彦『邪魅の雫』を買ってきた T です。こんばんは。

2段組みのノベルスで 800余頁。明日の朝までに完読できるだろうか。

研究日記

大学。

午前中に実験を済ませ、午後から我がボスのボスであるところの教授と面談。院試を受けるので、その御挨拶である。教授は非常に迫力のある人間で、こんなに緊張した面接は初めてだった。

俗に MD vs PhD といわれる問題が各地にはあるようだ。俺が世話になろうとしている教室には他学部出身の院生が既に在籍しており、俺自身も今こうして大学に出入りしているわけだが、少なくともここでそのような問題が勃発している様子は絶無である。最終的に受験することを決めたのは、この雰囲気が貴重なものに思えたからともいえる。教授と面談して、そのことをさらに強く感じた。

MD vs PhD

MD
Medical Doctor の略。海外では医学博士を指すこともあるようだが、本邦では医師国家試験に合格した医者のこと。
PhD
Doctor of Philosophy の略。我が国では主に自然科学系の博士号を指す。したがって医学博士号も PhD なのだが、このような話題では「医師の医学博士号」は暗に省かれることも多い。

MD vs PhD ついて書く。あくまで俺が見聞した範囲の話であって、一般的なものであるという保証はない。

医学部の大学院の主な構成要員はもちろん医者 (MD) である。その他に、他学部出身のポスドク (PhD) や大学院生が存在する。さて、こと研究という分野に限定すれば、PhD の方が有能であることが多い。彼らはそれこそ学部生の頃より研究を志し、そのための訓練を受け、自発的に精進し、薄給や就職難を承知で没頭してきた。これで優秀でなければウソである。実験技術、モチベーションは非常に高い。

一方で、医者が大学院に進学する場合、その目的の第一が医学博士号の取得そのものであることが多い。これは例えば理学博士号などと違い、必ずしも「研究でやっていくんだ」という決意を意味しない。医者としてのステータスの上昇、と割り切って考えている人もいる。彼らは 6年間の医学部教育を受けた後に医師となり、数年の臨床訓練を経て大学院生となる。院に戻ってくるのは早くて 30歳前後であり、さらに遅い人も少なくない。この時点で初めてピペットマンを握る、という人も多い。研究能力に限れば、PhD と比べるのは可哀想である。

MD は大学院生になっても、「バイト」と称する非常勤や当直などで頻繁に病院で働く。そして研究は PhD ほど熱心ではなく、技術も拙劣である。真理を探求するため、休日も毎晩遅くまで働く PhD は怒りに震える。「MD は研究を何だと思っているのだ」。

一方、MD はまず何よりも医者であり、彼らの研究は本分である医療の合間に行われる。研究に打ち込んでいさえすれば良いという、外様の PhD ほどヒマではない。「バイト」は彼らの医療技術の維持でもあるのだ。いやあ、大学院に戻っていたので手術は 4年ぶりです。そんな医者は困る。「PhD は研究をしているだけじゃないか」。

このような齟齬が双方の誤解を招き、軋轢を生む。どちらが良いとか悪いとかいう問題ではない、と俺自身は考える。これは要するに、「研究」というものを自分の中でどのように位置づけるのか、という思想的な対立なのだ。したがって正解はない。制度が悪いわけでもない。宗教戦争のようなものである。やるのは勝手だが、巻き込まれるのは困る。俺がやりたいのは研究であって、啓蒙でも政治でも折伏でもない。

以上は、あくまで問題が起こるときの話である。非常に優れた研究を連発する MD もいるし、どうにも使えなくてクビになる PhD もいる。国策による大学院の重点化で、医学部に流入する他学部出身者の数も増えている。このような問題は過去の遺物になりつつある、という向きもある。時代は良い方向に向かっていると思われるので、その点、誤解なきよう。