- 江橋節郎博士逝去

2006/09/11/Mon.江橋節郎博士逝去

久し振りに腹が立った T です。こんばんは。

研究日記

大学 → 病院。

江橋節郎博士が今年 7月 17日に逝去されていることを今更ながらに知る。黙祷。何で知らなかったんだろう、というよりもむしろ、全く報道されていなかったというのが事実のようだ (例えば、Yahoo! のニュース検索で「江橋節郎」を検索しても何も出てこない)。聞いたこともないローカル文人の訃報を、ニュースに乏しい夕刊を埋めるためにデカデカと掲載する一方で、世界的な研究者のそれは全く報じない。新聞社の人材がいかに偏っているかということであり、若者の理系離れを憂える前に、せめて最低限の情報を提供しろと言いたい。こんなことでは、新聞の凋落は当たり前と思われても仕方がない。まァ、この一事をもって新聞を全否定するつもりはないんだけれど。

話はややズレるが、理系「離れ」とは言い訳めいた語に思える。そもそも理系の人が理系から「離れる」ということはまずなくて、むしろ今問題になっているのは、「取っ掛かりのなさ」ではなかろうか。きっかけがないから入門者が減っているのであって、そのような「取っ掛かり」こそ新聞のような一般メディアが提供するべきなのである。その責を怠けていながら「離れ」などと何をエラそうに。何でそんな高いところから発言しているのか全く理解できない。

日本で一般的な科学書の出版数が少ないのも、「売れないから」と言い訳されている。それは事実なのかもしれないが、「売れるように」努力をした上での結果なのだろうか。ネットで個人が自由に発言できるようになった今、作家自身が作品のデータを直接入稿するようになった現在、編集者という職業の存在価値はただその一点のみにある。要するにここでも (その方面での) 人材が払底しているのであろう。

俺は以前から冗談で、「理系党」という政党を作って世の中のサイエンティスト、エンジニア、アーキテクトの支持を得られれば 2大政党制なんか簡単に成立するといっているのだが、半分は本気である。田んぼや道路も大事なんだろうが、どの政党のマニフェストを読んでも、例えば科学研究費の予算を上げるのか下げるのか、そういうことは論点にすらなっていない。「郵政は国営でも民営でも良い。我々の持つ科学技術を支援・保護してくれるのはどの政党か」というような選択の仕方は、残念ながら不可能である。だから選挙にも行かない。そういう人間は我が国に膨大な数で潜在していると思うのだが。