- 衝撃を受けた 21冊

2006/09/10/Sun.衝撃を受けた 21冊

これから、とにかく読破した本は 1行でも良いから何かを書いて記録しておくことに決めた T です。こんばんは。

昨日の日記に書いた通り、これまでに読んだ本の中から、ランキングというかベストというか、そんなものを作ってみた。やり始めてみると意外に楽しい作業で、本棚から引っ張り出して再読することもしばしばであった。おかげで寝不足である。

選抜ルールは以下の通り。

  1. 今回は、読んだときに俺が受けた「衝撃度」のみを基準に選択した。
  2. リストにバラエティーをもたせるため、1作家 1作品とした。
  3. 短編集は 1冊を 1つ、分冊のものはまとめて 1つとした。

直感で選んだ作品を紹介する。順番は適当である。繰り返しになるが、今回は「衝撃度」のみを選択基準としているため、俺が好きな作家、好きな作品が必ずしもランクインしているわけではない。また、手元にない本は極力避けた。かなり偏っているが、こんなところで格好をつけてもしょうがないしなあ。

『吾輩は猫である』夏目漱石

俺が「最も好きな本」と言い続けている作品。読み返すたびに爆笑する。そして、その爆笑する箇所が前回とは違っていたりするところが、この小説の深さでもある。大量に挿入された冗談は、明治知識人の教養が詰め込まれており、それを「笑える」ためには、こちらもそれなりの知識が必要とされる。新しい笑いを見付けることができると、「俺もちっとは成長したのかね」と思え、まァそれも漱石の掌の上なんだろうけれど、とにかく常に新鮮であるゆえに最も衝撃が大きい作品といえよう。

『姑獲鳥の夏』京極夏彦

もちろん他の京極作品も好きなんだけれど、この 1冊だけは確実に探偵小説史に残るであろうという点で群を抜いている。タネを明かしてしまえば愚かしいほどまでに下らないんだけれども、それを言いたいがために延々と書かれた前半などが異様に強固であったりするいびつさもまた魅力である。そういえば、俺はこの小説を「アンチ・ワトソン = 関口、アンチ・ホームズ = 榎木津」として読み解いた評論を書いたことがあるのだが、あれはどこに行ったのだろうか。

『敵』筒井康隆

1冊を選ぶのに難儀した。結局、彼が得意とするスラップスティック SF やブラック・ユーモアではなく、いささか文学色の強い本作を選んだ。ブラックといえば相当ブラックではある。大学教授を定年退官した老人の、悠々かつ淡々とした生活が「朝食」「病気」「預貯金」といった断章を通じてリアルに描かれる。誰の厄介にもならず、蓄えが尽きたときに自裁しようと決意している彼にとっての「敵」とは何なのか。その正体は章を追うにつれてボンヤリと見えてくるが作中ではハッキリと描かれない。しかし読者がそれに気付いたときの恐怖は、もう想像を絶するものである。ここまでしみじみと怖い小説は読んだことがない、という理由で本書を採用した。

『占星術殺人事件』島田荘司

島田荘司御大の作品からどれを選ぶのか、かなり悩んだ。『異邦の騎士』なんかが最も好まれているようだが、俺は『奇想、天を動かす』だとか、『北の夕鶴2/3の殺人』といったバリバリの機械トリックものの方がやはり好きだ。という観点から選択するのならば、やはり本作を推す以外になかろう。6人の女性から切り出された身体の一部を合成して作られる「アゾート」という謎。「難問だが答えは簡単」という、探偵小説の理想型である。御手洗潔初登場作品でもあり、訳がわからなくなるくらいにまで人物像が拡大された昨今の彼よりも、本作の御手洗は生き生きとしている。

『ノストラダムスの大予言』五島勉

これほど世の中の少年少女の心を乱した本はあるまい。本を疑うことなど知らず、充分な判断力も科学的知識も持たぬ少年に対して、五島勉が描くおどろおどろしい終末像に戦慄するなという方が無理である。あるいは本書によって「虚無」という概念を知らず植えつけられた可能性もあり、「自分と世界の死」というものを考えさせられたという意味において、我が年代の人間にとっては強烈な哲学の書であったのかもしれぬ。んなわけないか。

『哲学者の密室』笠井潔

矢吹駆シリーズで最も好きなのは『バイバイ、エンジェル』で、最も面白いと感じたのは『サマー・アボカリプス』だが、最も圧倒されたのは本作である。マルティン・ハイデガーと思しき犯人は巨大な哲学的理由から殺人を犯し、その上に粉飾を施す。矢吹駆はその哲学を粉砕するために事件を解くのであるが、探偵小説史上、ここまで「動機」が形而上学的である事件はないであろう。むしろ、その哲学を描くために「犯罪小説」という形式を採ったという、何とも胡散臭くて馬鹿げた理由と、探偵小説としての完成度のギャップが凄まじい。

『日本殺人事件』山口雅也

『生ける屍の死』「キッド・ピストルズ」シリーズなど、とにかくその世界自体がブッ飛んでいる山口雅也の探偵小説の中で、やはり一番の衝撃度を誇るのは本作であろう。舞台は、サムライが闊歩し、家々の前に鳥居が立ち、港には巨大なカンノン様が屹立する、外国人の勘違いの中にしか存在しないニッポン。父の再婚相手であったトウキョー・カズミの面影を求めてカンノン・シティを訪れた「わたし」は、奇想天外な事件に巻き込まれる。異郷の地で発生した事件を貫くニッポンの精神とは。

『家畜人ヤプー』沼正三


天下の奇書といって良い。婚約を済ませた日本人・麟一郎とドイツ人・クララは、とあることから想像を絶する未来世界へと迷い込む。そこは、「人間」である白人と、「奴隷」である黒人、そして「家畜人」である日本人・ヤプーからなる女尊男卑の大差別帝国 EHS (イース) であった。そこでは白人女性であるクララは、日本人男性である麟一郎をヤプーとして扱わねばならない。麟一郎は、肉便器・セッチンに生体改造されるなどという、屈辱的というにはあまりにも屈辱的な体験を通じ、最終的には自ら望んでクララの家畜として生まれ変わる。三島由紀夫も絶賛した異様な世界は、他の妄想小説とはあまりにもレベルが違う。

『江戸川乱歩傑作選』江戸川乱歩

乱歩作品の中では圧倒的に短編が好きなので、本書を推した。『二銭銅貨』『心理試験』といった近代探偵小説の傑作短編と並んで、『人間椅子』『屋根裏の散歩者』といった、もうどうしようもないくらいに下らないエログロが収録されているかと思えば、エログロを突き破って不条理文学の域にまで届きそうな『芋虫』など、要するに、この多様性こそが乱歩なのだが、その特徴をよく捉えた 1冊。全ての短編が同じ作者によって書かれた、というのが最も衝撃的ではあるまいか。

『麻雀放浪記』阿佐田哲也


本作ではもちろん麻雀が重要なモチーフとなっている。登場人物たちが工夫をこらしたイカサマ、息を飲むような駆け引きは、それだけで上質な探偵小説でありサスペンスでもある。が、同時に、そこで描かれた人間像の生々しさこそが本書の最たる魅力であろう。特に「青春編」の最後で描かれる出目徳の死は凄まじい。このラストを見るだけでも読む価値はある。最強の悪漢小説 (ピカレスク・ロマン)。

『たった一兆』アイザック・アシモフ

SF 小説のみならず、多数の探偵小説、科学、宗教、歴史のエッセイ、啓蒙書を残したアシモフの著作からは、科学エッセイを選んだ。本書はその中の 1冊であるが、これは俺が一番最初に読んだ彼の科学エッセイというだけで、シリーズ全体を推薦したい。サイエンスそれ自体がドラマを持つこと、それは人間の歴史と不可分であること、そして何よりも、最新の科学を厳密に語りながら同時にエンターテイメントであることの可能性を示したという意味で、その着眼点や切り口に俺は驚いたものである。

『翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件』麻耶雄嵩

『夏と冬の奏鳴曲』以後は全く独自の境地を切り開いている麻耶雄嵩だが、従来の探偵小説の枠組みに納まろうとしているこの処女作は、それゆえに奇怪な構造を持つ。浮世離れした今鏡家で勃発する連続殺人事件。何を考えているのかわからない、語り手の香月実朝。その友人で探偵の木更津悠也。希代の銘探偵、メルカトル鮎。二転三転する事件の真相を掴むのは誰か。それすらもわからぬまま続けられる連続殺人は、てんこ盛りの装飾が施され、一体この小説はどこに着地するのかという不安を読者にもたらす。麻耶雄嵩の作品に共通する、まるで探偵小説を馬鹿にしたかのような解決編がもたらす読後感はクセになる。

『羅生門・鼻』芥川龍之介

『羅生門』に登場する下人は、ひょっとしたら日本で最初に描かれたハード・ボイルド・ヒーローではないか。そんなことを思いながら読んだ記憶がある。教科書に載っているような「お文学」を、そのような評価から離れ、自分の自由に読めば良いという当たり前のことに気付いた 1冊であり、その意味で俺の衝撃度は大であった。そういえば、『羅生門』の有名な最後の 1行、「下人の行方は、誰も知らない。」によって、この作品は良くも悪くも「お文学」を指向してしまっている、という評論を書いたのは誰だったか。

『精神と物質』利根川進/立花隆

立花隆による、利根川進へのロング・インタビュー。読んだのは確か高校生の頃で、俺が現在、研究という仕事をしている遠因となっている 1冊である。基本的には、ノーベル賞を受賞した利根川の研究が語られているのだが、そこに至るまでの経緯も丁寧に取材されている。俺が興味を持ったのはむしろそちらであり、「基礎訓練に欠ける日本の大学院」だとか「サイエンスは肉体労働である」などという話の方が面白かった記憶がある。漠然としていた世界が身近に感じられたような気がして、興奮したものだ。

『トンデモ本の世界』と学会

本書で紹介されている数々の書物は、知らなければ一生手に取らないようなものばかりである。そこでどのような世界が展開されているのか、それを知りえたことが最も大きい。自分の知らないところで巨大な世界がポコリと口を開けている。その頃の俺は体系だった読書を心がけていたのだが、徐々にそれをやめていき、自分の読みたい本だけを買うようになるのだが、その契機となった 1冊。

『唯脳論』養老孟司

生物学を学び始めていた当時の俺にとって、「唯脳論」はそれほどエキセントリックな考え方とも思わなかったし、むしろ自明のことなのではないかという感想しかなかった。俺が衝撃を受けたのは、もっぱら養老孟司の文体にである。注意して読めばすぐに気付くことだが、彼の文章は極端に接続詞が少ない。しかしてその文章は非常に論理的である。このような書き方があるんだなあ。しかも頭が良さそうに見えるなあ。という俗な印象だったが、それは強烈であった。養老孟司が、この文体のまま書いた『身体の文学史』を読んだときに、その驚きは一層鮮明になった。やってみればすぐにわかるが、真似をするのは非常に難しい。

『獣儀式』友成純一

本当にどうしようもないスプラッター小説である。乱歩のエログロ・ナンセンスには、それでもまだ一応、筋書きというものがあった。友成純一は、そんな次元を遥かに超越している。彼によれば「人間、ただの糞袋」なのであり、「人間の尊厳って何それ?」という姿勢が徹底している。だが、いたずらにグロい描写をしているわけではない。彼の作品において、殺される者は精魂込めて殺されてはいけないのだ。それは、笠井潔がいうところの「特別な死」になってしまう。友成純一はそんなものを求めていない。ただただ糞袋が破れるだけのことなのだ。それだけ。無意味。それを追求した結果、小説からストーリーが失われてしまったのだろう。一応、本書の内容に触れておく。魔界からやって来た鬼たちが人間を殺しまくり、その肉を転がして世界を一つの肉団子にするのである。

『風博士』坂口安吾

『不連続殺人事件』とどちらを選ぶか迷った。本作は、呆れるほどオチのつまらない短編であるが、特にその前段における爆笑は保証する。このような悪ふざけとしか思えない小説が成立してしまうのが衝撃であり、それをまた坂口安吾という作家が書いていることが驚きである。安吾の文章には「アッハッハ」「ヤア」といった、どうにも緊張感のない話言葉が多用され、カタカナの擬音も極めて多く、お行儀の良い小説に読み慣れていると、それがやけに新鮮で奇妙な世界に思える。また、漢字をカタカナで開いてしまうことも多い。これには何か理由があるのではなく、「漢字を調べるのが面倒臭い」「書くのが面倒臭い」というのだから呆れる他ない。でも、そこが魅力なんだよなあ。

『ガリア戦記』ユリウス・カエサル

今回選んだ中で、最も最近になって読んだ本。要するに、これが書かれたのが 2000年前である、というのが一番の驚きである。その文章、そして描かれている世界、技術、戦争。とても 2000年前のものとは思えない。何よりも、事実だけを記しているはずなのに、そこから立ち上がってくるカエサルという人物!

『人間失格・桜桃』太宰治

こんなイタい本はない。ここまで書けるのものか、という驚きがまず一つ。太宰治の小説は、青年特有の自我を典型的に描き出しているがために共感を得る、というのが定説だが、どうも俺はそう思わない。多くの太宰ファンは、太宰の小説の中に自分を見出すらしいが、太宰の描く青年と俺は全くタイプが異なるので、そのメンタリティーがよく理解できない。にも関わらず、その人物像が圧倒的にリアルであることが凄いのではないか。あくまで俺の個人的な印象だが。小説それ自体として絶品なんだよな。

『813の謎』モーリス・ルブラン

手元に本がないのだが、ポプラ社から出版されていた南洋一郎の訳による「怪盗ルパン」シリーズの 1冊である。調べて驚いたのだが、南洋一郎は俺の生まれる 1週間前に亡くなっているのだな。このシリーズは俺の人生で最初の読書らしい読書を経験させてくれたものなので、なおさら感慨深い。最初に読んだのは『奇巌城』であったはずだが、これはルパンが前面に出て活躍する話ではなく、確かこのシリーズにおいて 3冊目である本書の方が好きだった。ダンディでスマートで、ときに侍を彷彿させる描写で描かれる根性のあるルパンが格好良かった。ホームズなんかクソだと思った。何も知らなかった小学生の俺は、これまで登場していた人物が、実はルパンの変装であることがわかるたびに驚いたものだった。恐らく今読めば「それくらいわかるだろ」というようなものばかりなのだろうが、嗚呼、あのような幸せな読書は二度と戻らぬのだなあ。それともボケたりしたら、「おやルパンだったのか」とまた驚けるようになるのだろうか。老後が楽しみである。