- Diary 2006/02

2006/02/27/Mon.

頭が痛い T です。こんばんは。

比喩であり、事実でもある。

研究日記

来月の学会発表のプレビュー。週末は準備にかかり切りだったが、それでもまだ、自分でわかるほどにショボい。プレゼンテーションというのは(と偉そうに書くが)、ある程度は積み重ねなければなかなか上手くいかない。どんなに一生懸命作っても、やはり初版のスライドはどうにも未熟である。プレゼンテーションは人に見せるためのものだから、人に見られた分だけ向上する。初お披露目のスライドの完成度が高いということは、通常ありえない(と言い訳)。

発表言語が英語だったり、準備だけに専念できるわけでなかったりとか、細々とした障壁も多い。まァ、ゆえに「仕事」として給料が発生するわけだが。日々の生活が大学院生とさほど変わらぬだけに、まだまだ自分の意識にアンタッチャブルな部分が残っている。来年度からは、もう少し意識的に「仕事人」としての自覚を持たねばなるまい。

「病院で医学の基礎研究に従事する」というのは、あくまで俺個人の問題であるが、なかなかアイデンティティを見出しにくい。アカデミックなような、そうでないような。マニアックな研究を行って、「趣味です」と開き直れるほどの幸福感もなければ、例えば特許を狙ったミッション的な仕事、というにはやや目的意識に鋭さが欠ける。雇われ研究員の身としては、のめり込むにも、割り切るにも、若干の逡巡がある。しかし、そうであるがゆえに、本当に実現したい自分の生活というものが徐々に見えてきそうな気配も感じる。これでもう少し考える時間があればなあ、と思うのだが、さすがにそれは望み過ぎだろうか。

今日はかなり眠い。メールや BBS の返事をせねばならぬのだが、後日ということで御容赦願いたい。

2006/02/26/Sun.

「便所に本棚を作っている作家(漫画家?)」というエピソードを目にした記憶があるのだが、それが誰であったかを失念している T です。こんばんは。

俺はトイレで本を読む、という話は何度か書いた。と思ったら、一度も書いていないようである。

とにかく便所で読書をする。しかしこの書き方には誤謬がある。便意を催したら、やおら本を手に取ってトイレに向かうというわけではない(そうすることもあるが)。読書中に便意あるいは尿意を覚えたら、本を読みながら便所に赴き、本を読みながら排泄するということである。要するに読書を中断したくないだけなのだが。

トイレというのは大概が薄暗いので、ドアを開け放したまま、両方の行為を遂げる。行儀が悪いことは承知している。だが、それを咎める者のいないのが一人暮らし。行儀は他人に見せるものである。この認識を誤ると、過激な行儀論者になったり、逆に「行儀なんてクソ喰らえ」という具合になってしまうのだが、今日の日記は行儀論ではない。

かといって便所の話でもない。前置きが長くなったが、風呂の話である。本好きの方々の日記を拝見していると、ちょくちょく「風呂で本を読む」という記述に行き当たる。これが、俺には経験がない。実行を考えたこともない。というのも、どう想像しても本が濡れる、最低でも湿ってしまうからなのだ。にしては、「風呂で本を読む」人々の数は結構なものであるような印象がある。

ひょっとしたら、とそこで俺は自分を疑ってしまうのだ。俺が知らないだけで、「風呂で本を読む」ためのノウハウというのは、割合きちんとした形で確立されているのではないか。「本が濡れる? あり得ない」みたいな。知ってる人は知っている、知らない人は知らない、という奇妙な流通の仕方をしているノウハウは意外に多い。性関係の情報なんかは、典型的な例であるように思う。

どうも話が逸れる。しかも下品な例が多いし。無意味に長くなったが、俺が今日の日記で書きたかったのは次の一行だけである。

実際に風呂で本を読まれておられる方、その具体的な方法を教えて下さい。

2006/02/25/Sat.

更新が途切れがちになっている T です。こんばんは。

1回途切れるとダメだね。しんどいときは「ま、いっか」となってしまう。学会が来月にあるので、仕事が少々大変になっている。サイトのリニューアルも並行してやっているから、ここ 2週間は日記を書くのが億劫になってしまった。

前回の日記が愛犬シロの死であったため、精神的にヘコんでいるのではないかという心配や、あるいはシロの死に対する哀悼であるとか、幾つかのメッセージを頂いた。ありがとうございます。さすがに俺は落ち込んだけれど、精神的に変調を来すほどではないので御心配なく。ましてや、一介の犬畜生の分際で、見ず知らずの方から冥福を祈られたシロなどは、ちょっと普通ではないくらいの幸せ者(犬)である。

シロのことについて書き足しておく。死因は恐らく老衰。母が看取ったそうだが、長く苦しんだ様子もなかったという。享年 15歳と半年余。前日まで散歩にも行っていたらしく、大往生といって良いだろう。性格温和にして賢く、飼い犬としては何不自由なく一生を終えた。というわけで、俺としても、せいぜい冥福を祈るくらいしかない。悲しいことは悲しいが、この悲しみを否定してしまっては、「飼わなきゃ良かった」ということになってしまう。それくらい、我々の関係は満足なものであった。充分じゃないか。

2006/02/19/Sun.

愛犬シロ、逝く。

シロ

素晴らしき日々をありがとう。安らかに眠って下さい。

2006/02/17/Fri.

夜中プログラマと化しつつある T です。こんばんは。

Web 日記

Mac 専用のブラウザ Camino がリリースされたので、早速試している。ベースは Firefox と同じなんだけど、それならば Mac 用にチューンされた Camino を使えばエエやん、ってことになる。実際、なかなかよろしい。Safari が出たときは大きなアドバンテージを感じたものだが、そろそろ大幅に改良してもらわないと、乗り換える人間が増えてくるのではないか。

Mac のブラウザというマイナーな話はさておき。Win ではいよいよ IE 7 がカウント・ダウンに入ってきた。そろそろクソのような独自仕様を切り捨てたいのだが、どうなるのだろうか。Microsoft の良心に期待する。期待するだけムダという説もあるが。

実は 2週間ほど前から、少しずつサイトをリニューアルしている。だもんで、ちょっとブラウザには敏感になっているのだ。最速で今月中、まァ、3月中にリニューアルできれば良いかな、と思っている。最低でもサイトの誕生日 (4月 18日) までには済ませたい。

こうして公に書いておかないと、いつまで経っても達成できそうにないので。index2.cgi で新しいシステムが動いている。興味のある方はどうぞ。

2006/02/14/Tue.

2次抗体だと思って 1次抗体を入れてしまった T です。こんばんは。

「休みなさい」と言われる。

研究日記

培養室に何かいる。

培養室は P1 と P2 に別れていて、P2 が奥の部屋となっている。P2 で実験していると、培養室に誰もいないにも関わらず、必ず P1 から音がする。カチッカチッとペダルを踏む音、ガサゴソと dish の袋を開ける音、カラカラと戸棚を開ける音。単なる物音ではなくて、明らかに「誰か」が作業している音なのだ。

土日に P2 で実験していると、正直、怖くなるときがある。この建物には俺しかいないはずなのに、何故。とはいっても、どうせ気のせいだろうし、あまり深く考えることはなかった。ところが、である。

今日、テクニシャン嬢から「P1 に何かいません?」と話しかけられて驚いた。彼女も遅くまで培養室で作業をすることがある。やはり誰もいないはずの P1 から、俺が聞くのと同様の物音が聞こえてくるらしい。それも 1回や 2回ではないというから、俺の経験とも合わせて、ますます再現性は高い。

「♪来る〜きっと来る〜」と歌って彼女を怖がらせたら、どこかに逃げてしまった。仕方がないので、俺が P2 で培地の交換をするハメに。そうしたら P1 から音が聞こえてきて……。

2006/02/10/Fri.

電車の中に「ふたりはプリキュア」というアニメのポスターが貼ってあるんだけど、ポスターの中には 3人の少女が描かれていて、「この内の 1人はプリキュアじゃないんだろうか」といつも考えている T です。こんばんは。

今日、わざわざ検索してまで調べたのは秘密だ。

Web 日記

ものスゴく今更なんだが、podcast の話。

俺も幾つか気に入ったものを登録して聴いているのだが、面白いものを見付けるのがとにかく難しい。それだけ podcast が技術的に難しいということなんだろうな。この「技術的に難しい」というのは、podcast を配信する技術ではなくて、「面白い番組を作るための技術」のことね。Web サイトを作る技術じゃなくて、文章を書く技術っていう意味と同じ。

そもそも podcast 向けの話題が限定されている。Podcast 向けの話題を見付けたとして、その魅力を十全に発揮できるような話術が要求される。会話ならまだしも、ほとんどの場合は 1人で喋るわけで、これは相当特殊な技術である。向上するためのドクトリンも確立されていない。というか、むしろ天性のものが大きいんじゃないか。

と同時に、まだ経験していない一つの可能性には大きな期待をしている。それは身内の podcast。知り合いのサイトというのは、自分が気に入って読んでいる知らない他人のサイトと、また違った位置付けに置かれている(これは俺だけじゃないと思う)。知っている人間が podcast をやっていたら、これはメチャクチャ面白いと思うんだよな。

というわけで、誰か podcast やってよ。

2006/02/08/Wed.

勉強する時間がなかなか確保できず、これではイカンなあと思っている T です。こんばんは。

研究日記

大学で中規模の研究会。昼から出張って会場の準備。本番では PC 係を仰せつかる。気を遣う仕事だが、プレゼンテーションを聴講するのに最高のポジションでもある。レベルの高い発表が多くて発奮される。実りある一日だった。

一番面白かったのは、体細胞を「初期化」して、類似 ES 細胞を作ろうという研究。ES 細胞は文字通り、胚から作られる。胚というのは倫理面で色々とうるさく言われるのだが、研究者という人種は ES 細胞の研究がしたいだけであって、そういう面倒なことには関わりたくない。したがって、ゴチャゴチャ言われないよう、体細胞から全能性を持つ細胞を作ろうというプロジェクトであった。いや、さすがにそこまでは言明していなかったけど。しかし本音はそうだとしか思えない。

RyR のプレゼンテーションも面白かった。懐かしい気分で拝聴する。

2006/02/07/Tue.

「男は中身が大事だ」という言辞に賛同する T です。こんばんは。

でも、外見も大事だと近頃は思うようになった。遅いけど。

研究日記

ポカッと実験が空いたので、珍しくゆるゆると過ごす。夜は大学に寄って、gel shift assay の見学を少し。職場では RI が使えない。

歩いての帰途、2軒の本屋に立ち寄ったが、どちらの店でも本の並びがバラバラ。本屋の仕事って、本の仕入れと本棚の整理くらいしかないだろうが。あり得ない。探している本があったのだが、捜索を断念する。しかし面白そうな本は見付かったので、数冊購入。

洗濯日記

洗濯をする。自分の手で行わなければならない、これは最後の家事である。飯は外で喰えば良い。掃除はしなくても済む。しかし洗濯をしないわけにはいかない。非常に腹立たしい。というか、しんどい。下着まで洗ってくれるクリーニング屋があれば、明日からでも利用したいくらいだ。

『徒然草』に、「男が烏帽子をかぶるのは女というものが存在するからだ」という趣旨の段がある。確かにその通りで、この世から女性がいなくなれば、男という男は全てむさくるしくなるに相違ない。我が職場の大半は女性が占める、ということは以前に書いた。こんなところで女性に排斥されようものなら、できる仕事もできなくなる。多分。研究員という、こと服装に限っては相当ヤクザな仕事ですらこれだから、女性相手の営業マンの心労は如何ばかりかと察する。

職場に訪れる MR 諸氏とかも凄いからなあ。見習わねばなるまい。

2006/02/06/Mon.

たまには人の顔を見ながらゆっくりと飯が食いたいと思う T です。こんばんは。

研究日記

そんなことをこぼしていたら、「ボスや先生とよく食べに行ってるじゃないですか」と言われた。違うんだ。あいつらは人じゃない。鬼なんだ。

今夜のセミナーは大荒れ。わっしょい。

偶然への期待

何をバカなと思われるかもしれないが、俺はロマンチストである。この 21世紀に 26歳を迎えようとしている今なお、「偶然への期待」というものを抱きつつ生きている。本を買うときは本屋に足を運ぶし、ものを調べるときはできるだけ書物の辞書を引くようにしている。全て「偶然の出会い」を期待してのことだ。無論、いつもそんなことを考えているわけではないが。

計算機と偶然は非常に相性が悪い。というか、計算機において「偶然」は「あってはならない」ものである。ネット上の情報はよく整理されており、あるいは何らかの「たまたま」が存在することもあるが、それはあくまで「たまたま」であって、俺のいう「偶然」とは少し意味が違う。例えば、検索したときに自分の思っていたのとは違うページが見付かるかもしれない。そこから思いも寄らなかった邂逅もあり得るけれど、検索結果自体は常にアルゴリズムの産物であって、そこに「偶然」はない。

(そんなことをいえば、本屋で「偶然に」出会う本の総体は「本屋」の品揃えを越えない、ということにもなる。だから本好きは最終的に古本へと走っていくんじゃなかろうか。また、「掲示板」はネット上で最も人気のあるコンテンツの一つだが、その理由もこの辺りにある気がする)

考え方によっては全ての事象が偶然であるともいえるし、必然であるともいえる。東洋的・西洋的と分けるのは乱暴過ぎるにしても、古来、人々は「可能性」について偶然と必然を考えてきた。自分の可能性を広げてくれる「可能性」へのアプローチ。

まあ、そんなことを考えているのだが、考えてしまったら「偶然」でなくなってしまうんだよなあ。

2006/02/05/Sun.

世界の中心で「ふざけるな」と叫びたい T です。こんばんは。

研究日記

22時頃まで実験。その後、先生と焼き肉屋へ。旨かったけど、何かもう、日曜ッテ何デスカ、みたいな。

今日はインキュベーターの CO2 ボンベが空になってブザーが鳴っていた。休日はよくトラブルが起こる。冷蔵庫のフィルターが詰まって庫内の温度が上昇していたときもあった。ホント、たまたま俺がいたから良かったものの、皆わかっているのだろうか。土日は T が必ず来ているとでも思っているのか。来てるけど。冗談じゃないよ。

一時、アメリカでは「80: 20 の法則」というヤツが流行したらしい。企業の利益の 80% は、上位 20% の社員が稼ぐ、ということらしい。逆にいえば、人員の下位 80% を削っても、業績は 20% しかダウンしないということになる。別に俺が上位 20% だというつもりはないし、この言葉自体、いかにも米国的な大袈裟感はある。が。

今日は少し荒れ気味だな。申し訳ない。

2006/02/04/Sat.

最近、更新が滞りがちな T です。こんばんは。

書評を書きたい本も溜まってきているのだが、そのうち。

訂正と補足

昨日の日記「『一休さん』の宗派」で、アニメ『一休さん』のオープニング・テーマに触れた。俺は 20年近く、ずっと「あ〜 あ〜 ナンマイダ〜」だと思い込んできたのだが、実は「南無三だ〜」であるという指摘を BBS で頂戴した。ありがとうございます。自分でも確認してみたが、確かにそうでした。

ついでに調べてみたのだが、「一休さん」が修業しているのは「安国寺」なる「禅寺」という設定であり、これは史実の一休宗純も同じである。宗純が安国寺に入ったのは 6歳だから、「一休さん」の年齢もおかしくない。ただ、この頃はまだ「一休」と名乗ってはいなかったが。

アゴが割れた「新右衛門さん」も実在の人物であるという。蜷川(にながわ)新右衛門親当(ちかまさ)という寺社奉行がいたらしい。新右衛門の墓は京都にあるという。我が豪邸の近くのようだ。いずれお参りにいこうかと思う。

2006/02/03/Fri.

「このはし渡るべからず」と書いてある橋のド真ん中を歩いて渡った一休さん、本当に橋が腐っていたらどうするつもりだったのだろうかと心配している T です。こんばんは。

アニメ『一休さん』のオープニング・テーマに、「あ〜 あ〜 ナンマイダ〜」というフレーズがある。「ナンマイダ」は要するに「南無阿弥陀仏」のことであるから、アニメの「一休さん」は浄土宗あるいは真宗の坊主と思われる。

歴史上の一休宗純は臨済宗、つまり禅僧である。臨済宗は公案を重んじるから、そのへんが「一休さん = 頓智」というキャラクターを連想させる。しかし実在の一休は、いくら困っても「ナンマイダ〜」とは叫ばなかっただろう。

いや、ただそれだけなんだけどね。「一休さん」が本編で「ナンマイダ〜」と言う場面も見たことないし(禅宗っぽいシーンも思い付かないが)。作詞者の勘違いなんだろうな。

アニメ『一休さん』は、日本船舶振興会の一社提供で放送されていた。当時は何にも思わなかったけれど、日本船舶振興会といえば笹川良一である。「一休さん」と笹川良一、スゴい組み合わせだなあ。

2006/02/01/Wed.

今日から 2月という事実にゲッソリとしている T です。こんばんは。

フェイバリット・メロス

先生に教えてもらった必須アミノ酸の覚え方。名付けて「フェイバリット・メロス」

役に立つような、立たないような。でも、なかなか忘れられないと思う。

研究日記

分化マーカーが発現しているからといって、分化しているとは限らないんじゃないか、とフト思った。言い回しには気を付けねばならんかもしれん。