このサイトのページもだいぶん増えてきたなあ、と感慨にふけっている T です。こんばんは。
抽象的にいうと、「情報が増えてきた」。情報は参照されなければ意味が生じない。常々俺は、「読まれない文章はゴミと同じ」と主張しているが、まあ、そういうことである。
情報が莫大に増殖すると、必要な情報にアクセスするためのエネルギーもまた大きくなる。これが情報を参照する上で、最も大きな障壁となる。このエネルギーを低減するための「酵素」として幅を利かせているのが検索である。
従来、情報は階層的に整理されてきた。これは大変わかりよい方法ではあるが、巨大な情報を整理しようとすると階層は深くなり、既存の分類に当てはまらない項目が出現し、何より、整理すること自体に多大な負担が生じる。分類を道標として階層を辿っていくアクセスは破綻し始め、キーワードによる検索 > 抽出という方法に取って代わられつつある。以下に、その兆候をまとめた。
検索は、巨大な情報の海を泳ぎ切るための有用な技術である。それは確かだ。色んなところでバラ色の未来が描かれているが、しかし果たして、本当にそれだけなのだろうか。
検索には能力が要求される、という当たり前の議論が割合軽んじられている。検索の下手な人間は、(検索してさえ)膨大な情報の中から目的のものを探さねばならない。一方で、適切な検索方法さえ知っていれば、一発でアクセスすることも可能である。これまで、「情報格差」といえばハード面の問題であったが、これからは個々人の能力の問題となる。
さて、俺が関心を持っているのは、「検索される側」のことである。以上の流れからすると、これからじゃ検索される情報としてドキュメントを作成することが求められる。検索でヒットするのが良い情報、と一概に判断はできないが、良い情報は必ず検索に引っ掛かるという保証もない。SEO (search engine optimization) とか、そういう小手先の技術ではなく、もっと根深い所からの変革が訪れるような気がする。ある種の情報において、例えば文体の大きな変化が数年の内に現れるだろう、という感触もある。
「インターネットによって情報発信が容易になった」という決まり文句があるが、この論法はもはや成り立たないのではないか。参入障壁が低くなれば、そこで勝利を収めることは難しくなる。競争原理からいえば当然のことだが、何故かあまり問題視されない。勝ちたい人間はわからない人間を放置する、というのは鉄則ではあるんだけれども。
もっとも、競争に勝つことだけが真理ではない。セキュリティやプライバシーの問題って、この裏側のことだと思うんだよな。