- 国防軍待望論

2005/12/01/Thu.国防軍待望論

自分の街に警察があってほしいのと同じ意味で、自分が生きる国に軍隊がいてほしいと思う T です。こんばんは。

憲法改正と国防軍

そもそも「軍事力」という言葉がイカンのだ。断っておくが、何も言葉狩りや言い換えによる逃避を図っているわけではない。「軍事」という言葉が意味する範囲はあまりにも広い。もう少し明確な意味付けを与えるべきである。国防軍や防衛軍で良いじゃないか。「自衛隊」という言葉を文字通り解釈するならば、隊員が自らを守るという意味合いしかなく、国家や国民を守護するというニュアンスがない。さっさと憲法 9条を改正し、即刻国防軍を作るべきだ。

軍隊というと、すぐに戦前を思い出し、「いつか軍が暴走するのではないか」という人がいる。その認識はおかしい。そんなことはあり得ない、というつもりはない。可能性としては、ある。しかしそこを乗り越えないと、日本は次のステップに踏み出せない。今日の本題はそこである。政治の話ではなく、歴史の話。

日本におけるシビリアン・コントロール

「軍が暴走する」という事態は、つまり「シビリアン・コントロールの崩壊」である。少なくとも、近代国家ではそういう意味になる。ところが、いまだかつて日本にシビリアン・コントロールが存在したことはない。存在しないものはコントロールできないし、崩壊もしない。

シビリアン・コントロールの邦訳は「文民統制」である。したがって、シビリアン・コントロールの実現には、「文治政権」と「正規軍」が必須となる。ウソだと思うかもしれないが、これまで日本には、両者が併存した期間はない。

鎌倉幕府に至るまで、日本の中央政府には正規軍が存在しなかった。あるのは私兵ばかりである。鎌倉幕府以降は、政府公認の正規軍が常に存在したが、彼らを統治するのは武家政権、つまり軍事政権であり、トップは文官(シビリアン)でない。明治に至り、軍の統帥権を握る天皇が、行政・司法・立法の枠外に君臨した。戦後、日本で初めて文治政権が誕生したが、自衛隊は憲法違反の存在である。

シビリアン・コントロールを云々する以前に、これまで日本は、まだ 1回もその制度を樹立したことがないのである。これがどういう意味だかわかっているのか。ビビっている場合ではない。失敗の確率は常にある。だが、ここはどうしても乗り越えておかなければならないんじゃないのか。歴史ある国として。

日本は最も早い時期から政教分離を実現した希有な国である。シビリアン・コントロールにも自信を持って踏み出せば良い。出でよ、国防軍!

Web 日記

Opera を褒めたと思ったら、今度は Firefox が version 1.5 に。目立った変化はないけれど、セキュリティとスピードが改善されたらしい。オープンソースの何がスゴいって、律義に Mac 版も作ってくれるところだよな。差別もないし。

研究日記

マウスの某遺伝子の配列を調べる必要があった。……イントロン、長っ! この遺伝子はかなりおかしいのか、あるいは実験的にエクソンが決まっておらず、プログラムのアルゴリズムが間違えているのかと思った(注:線虫のイントロンが短いだけ)。ひたすらイントロンが続くゲノムを眺め、線虫の良さをまた一つ思い知るのであった。