- 実験動物の倫理問題 (1)

2005/11/29/Tue.実験動物の倫理問題 (1)

『「クリスマス・キャロルが流れる頃には」が流れる頃には』というタイトルを考えた T です。こんばんは。

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タイム・スリップとタイム・トラベル

どうしてタイム・スリップはタイム「スリップ」なのか。

こんなことが気になって眠れない。タイム・トラベルという言葉もあるんだけど、ドキドキワクワクハラハラならば、圧倒的に「タイム・スリップ」だろう。「タイム・トラベル」には、時間(に代表される自然現象)を自分達の良いように調教できる、という欧州近代合理主義的な思想が見え隠れして好きになれない。時間を遡って歴史を変えてやろうとかさ。輪廻の世界に生きる我々の発想とは根本的に違うものがある。まァ、そこが面白いところでもあるのだが。

でも、何で「スリップ」なわけ?

研究日記

動物実験講習会を受講する。近年、実験動物に対する愛護が盛んに叫ばれているとともに、実験倫理はますます厳しくなりつつある。法は法ゆえ、職業人として規則は守らなければならないが、ヘンだな、という感覚も残る。

実験動物はネイチャーな生態系から完全に隔離されて繁殖し、飼育され、実験に使われる。したがって、自然保護の観点から実験動物の愛護は成立しない。苦痛を与えるなだとか、最低限の個体で実験を行えだとか、そういう主張は動物の人格化であり、要するに主張者の自己愛が転化したものに過ぎない。他人の自己愛を、なぜ俺が守らなければならぬのか。「鯨を食う奴は野蛮人」とホザく外国人の倫理を、我々日本人がムリヤリ押し付けられているのと似ている。うるせえよ、インディアン・キラーのくせに。

実験動物をバンバン虐殺して結果を出そう、といっているわけではない。俺にも、実験動物について考えるところはある。苦痛がないのならば、それに越したことはないだろう。しかし、人間の営みはそのような博愛精神を超越したところで回っている。それが人間のエゴイズムだ。俺はそれを否定しないし、そもそも否定できない。

刺身にする魚を、いちいち麻酔するのか? 家屋に湧くネズミを安楽死させるわけ? 違うだろ、それは。それぞれにそれぞれの正義があって、我々は何の疑いもなく他者の生命を奪い続けて生きている。動物愛護を否定するつもりはない。しかし、動物愛護ですら人間のエゴイズムであることも同時に理解しておくべきだ。

難しい問題だが、それは常に「人間」の側にある。人間が問題に思うから問題となる。虐殺しようが、実験をやめようが、ネズミの総体は何も思わない。彼らに社会がないからである。これについては、また明日。