- 現代政治都市としての京都

2005/11/16/Wed.現代政治都市としての京都

寒くて起き上がるのが億劫な T です。

結婚記念日だとかで、両親が京都へ旅行に来ている。今夜は彼らと合流し、祇園で飯を食ってきた。

京都に来ているといえば、ジョージ・ブッシュ米大統領である。おかげで狭い京都の街は警官だらけだ。東京赤坂に続く、我が国 2番目の迎賓館が京都御苑に造られた。彼はそこに滞在したのである。ブッシュ大統領の歓待は、こけら落とし的な意味もあるのだろう。京都迎賓館を最初に利用したのはパラグアイの大統領らしいが、そのときは主賓室を用いなかったらしい。

外国人を招待するという面では、京都ほど日本で喜ばれる場所もないだろう。一方で、政治都市としての京都の寿命は、かなり以前から尽きている。特に、現代的な国際政治都市の観点から見れば、京都の地政学的な立地条件は落第とするしかない。

海に面しておらず、空港もない。道路は貧弱で、広大な敷地もないし、かといって街を拡張する余裕もない。政治をするにもビジネスをするにも、その文化はあまりにも婉曲的に過ぎる。武士による強力な政権が樹立されたとき、いずれも京都は再利用されなかった(室町幕府については考察の必要があるが、ここでは触れない。しかし少なくとも、かの幕府は「強力」ではなかった)。しかるに、明治維新の際には、東京は再利用されたのである。また、大阪遷都論というものもあった。大阪も再利用に耐える政治都市だったのだ。近世以降の京都は政治都市として機能していない。その点では、奈良も同じである。そして、京都と奈良の地理は似ている。

こんな狭苦しい盆地に文明的な首都があったのは、ひょっとしたら日本だけではないか。東京や大阪は、日本ゆえの狭さがあるとはいえ、世界の諸都市と通じる地理的要因がある。このことに関しては、いずれまた考えてみたい。