- 時間貧乏

2005/10/21/Fri.時間貧乏

「忙しい」とは言いたくない T です。こんばんは。

裾野が狭いと頂が低くなる。これまでにも、俺は自分が興味を持ったものに対しては、独学で体当たりしてきたつもりである。身に付いたものも、身に付かなかったものもある。これまではそれで良かったし、独学も面白おかしくやってきた。しかし、少しは「効率」というものを考えねばならんかなあ、とも思い始めている。

理由は 2つある。1つは、好きなことに割り当てられる時間が激減したということ。1つは、頂きの高さが自分の仕事、つまり給料に換算されるものになってしまったということ。例えば、これまでは読みたい本を買ってきて興味の赴くままに読破しておれば良かった。ところが、もうそんな贅沢はできないのである。1年間に読めるであろう本の数を計算したとき、今の俺は何を読むべきか選択せざるを得ない。生活のあらゆる局面で、このような選択肢を無数に突きつけられているというのが、最近の実感である。1日 24時間、何にどれくらい使うか。「時間を売りたい」などとホザいていた大学生の頃が懐かしい。

この日記もそうなんだよね。日記を書くという行為は、もはや俺の生活に欠くべからざる要素となって久しいが、存在形態については一考の余地があるのではないか。「今日は何々をした」ということを書くためだけに 30分なら 30分の時間を使うということ、そのコストとリターンを計ってみる時期に差しかかっているのかもしれない。

一方で、このような考え方が貧乏臭いことも理解している。今週は、無駄な時間のリストラについて考えてみたい。