- 書斎の研究員

2005/10/15/Sat.書斎の研究員

以前から、研究という仕事に対する世間の認知の低さに問題意識を持っている T です。こんばんは。

機会があるたびに、この日記でも「研究とは」という形で、若干外側から眺めたような文章を書いている。俺ごときには荷が重いが、そのような情報は意外に少ないので、何らかの意義はあるだろうと思っている。ニッチな立ち位置で、これからも潜在的な需要に応えていく所存である。こういうのって、いずれ良い形で自分にも跳ね返ってくると思うんだよな。

テクニシャンと研究員

「テクニシャンと研究員は具体的に何が違うのか」という質問を頂いた。確かに、他分野の方にはよくわからないだろうなあ。俺もよくわからんのだから。俺が見聞したラボの数なんてたかが知れている。しかも話で聞く限り、ラボの人員の仕事や待遇は、各研究室によってだいぶん異なる。したがって、以下に書くことは俺の独断と偏見である。

まず、「テクニシャンと研究員は具体的に何が違うのか」という質問に一言で答えるならば、

ということになる(我が職場の場合)。例えば今日でもそうなんだけど、土日にラボに来て仕事をしている人は、俺を含めて研究員の方々のみである。テクニシャンは休日に来ないし、雇い主も働かそうとしない。肝心なのは、この差異が雇用形態によるものではない、ということだ。正規採用のテクニシャンもいるし、派遣の研究員もいる。派遣だから時間通りに帰る、正社員だから残業・休日出勤あり、というような、普通の会社の感覚とは少し違う。

だからむしろ、問題になるのは本人の意識の方であるといえる。採用されたときの身分がテクニシャンか研究員かなんてのは、あまり関係ない。スタート時点での待遇は違うかもしれないが、まともなラボであれば、実力のあるテクニシャンを研究員にするという例はゴマンとあるし、逆に無能な研究員はすぐに馘首される。そういう意味では完全な実力主義である。だが一方で、学問の世界でもあるから、矛盾するようだが学歴社会でもあるんだな。修士卒の俺など結構微妙なところで、まァ色々とあるわけよ。

閑話休題。最初の質問に戻るならば、テクニシャンと研究員の違いは、「俺はテクニシャンだから」「俺は研究員だから」という自己意識の持ち方の違いである、としか答えようがない。そのような意識の持ち方が、「だから勤務時間が終われば帰宅する」「だから休日も実験する」という、実際の行動の違いとなって現れる(断っておくが、俺はそのような自己規定の仕方を肯定も否定もしない)。ゆえに俺個人としては、「自分は研究員である」という強い意識をもっている人が、仮に書類上はテクニシャンであったとしても、彼は立派な研究員ではないかと思う(ここでも誤解のないように付け足すが、研究員がテクニシャンよりも立派であるなんていう主張をしているのではない)。

最も根源的なものは、一生研究で飯を食っていく気があるかどうか、だろうな。そのようなモチベーションのある人は、自発的に研究員たらんとするし、そのためには社会的に研究員であることに固執するし、そうするためには学歴と業績を整えねばならんし、そうしようと思えば、やはり研究員という意識を持って仕事を進めざるを得ない。ということで、環が閉じる。彼らの多くが非常に熱心に仕事をするのは、手段と目的が自己完結した強烈な意志を持っているからであろう。

したがって俺も、安穏と仕事に埋没するばかりではなく、来年度中には新たな動きを展開しようと今から画策しているのだが、それはまた別の話。

書斎日記

午前中にお届け、のはずの本棚が来たのは 12時過ぎ。中身を検分する時間もなくラボへ。大量の細胞を仕込んで、そのまま先生と焼肉屋で夕食。帰宅してからようやく本棚の梱包を解いて組立にかかる。3つともなると、かなりしんどい。休日なしの週末にはこたえる肉体労働であったが、それだけの価値はあった。見よ、この書斎ぶりを。

書斎

これからこの膨大な空間に本を詰めるのか……。ゲッソリするな。明日の夜には完成した書斎の写真をアップしたい。できるだろうか。明日も実験なんだよなあ。