焼き鳥を食ってきた T です。こんばんは。
どうして日本の権力者たちは天皇家を抹殺しなかったのか、というのは日本史上の大きな疑問である。今日は、一つの仮説的なヒントを思い付いたので書いておく。
ところで、家系の良い・悪いはどういう基準で判断できるであろうか。一つ確実にいえることは、本邦で最も家格が高いのは天皇家であり、2番目は出雲国造家であることだ。そして源平藤橘と続いていくのだが、要するに「良い家系」というのは、天皇家に近い家系ということになる。
例えば、徳川家康は「我が祖は新田義重である」と自称した。新田家は足利家、つまり室町幕府の兄筋にあたる。したがって、徳川家が足利家に代わって開幕するのは当然である、と家康は暗に主張したかったわけだ。ところが、こういう理論を持ち出すと、天皇家を滅ぼすなんてことは絶対にできなくなる。系図上の正統性を問題にする限り、その根源である天皇家の正統性を認めないわけにはいかない。「新田家は足利家の兄分であり、源氏の本家である」と主張すればするほど、源氏の本家である天皇家の絶対性は強まるのだ。
日本で家系を権威づける場合、いかに古くまで遡れるか、本家であるか分家であるか、というのが大問題になる。本質的にいえば、「いかに我家は天皇家に近いか」を争っているのである。そのようにして自己の家系を正当化すればするほど、天皇家に手が出せなくなる。天皇の御落胤を僭称した豊臣秀吉は、その最たる例だろう。我が朝の歴史は、そのようなパラドックスの繰り返しなのではないか。そんなことを考えた。
ネットの通信販売で本棚を注文した。ついにというか、ようやくというか。高さ 2 m × 幅 1 m の書棚を 3つ並べ、高さ 2 m × 幅 3 m の壁面を本で埋め尽くそうという計画である。届くのは来週末。1人で組み上げて整理するのにどれくらいの時間がかかるかわからないが、とにかくやっと書斎らしくできる。楽しみなことだ。