- 2 + 2 = 80

2005/09/23/Fri.2 + 2 = 80

基本的に独りでいることが好きな T です。こんばんは。

「これは一般論だが」と前置きされたとき、それは必ず具体例である。それを踏まえた上で、俺はよく一般論を書く。そこに普遍性があるかどうかは、読まれた方が判断されたらよろしい。

時間の共有、その罪と罰

2人の人間が 1時間の会話をしたとする。各々が 1時間という時間を消費するわけだが、だからといって、1 + 1 で 2時間になるという計算はない。1人で過ごそうが 100人で過ごそうが、1時間は 1時間である。

ところが、そういう道理をわきまえない連中が多いんだな。自分は 50分も喋って己が主張をした、しかるに相手は一向に自らを語らない、自分にとっては得るもののない無駄な時間であった。このような無茶を言う人がいる。他人の時間の何たるかを知らない人間、これは俺が最も苦手とする人間であるが、まァ俺ばかりに限ったことではないだろう。時間は大切にしたいものである。

身も蓋もない言い方をすれば、共有される時間は「私」にとって全て無駄なのだ。自分の取り分が減るからである。だからこそ、心ある隠者は必ず「独りで」引きこもる。それが最も自分の時間を有効に使えるからである。それはまた、他者の時間に配慮しているからでもある。「私に関わると時間の無駄ですよ」というわけだ。

「1 + 1 は 3 にも 4 にもなる」という言い草も大嫌いだ。なるわけがない。仮に 3 なり 4 なりの結果が出たのならば、それはどちらかが 2 ないし 3 の犠牲を払ったからである。そういえば戦時中、東条英機は「2 + 2 = 80」というスローガンを掲げていた。水増しにも程があるだろ。ケッサクである。

東条英機の算術 2+2=80

閑話休題。したがって、時間を共有するときに考慮すべきは、「いかに相乗効果を上げるか」ではない。相乗効果の存在を否定する気はないが、それは阿吽の呼吸でつながった者同士でないと期待できない。通常、我々が気をつけなければならないのは、「いかに時間のロスを省くか」である。でき得ることならば、時間の共有などしないに越したことはない。無意味な会議に頭を悩まされている方も多いことだろう。大抵の仕事は、1人でやった方が効率的である。「3人寄れば文殊の知恵」などともいうが、1人でいれば大日如来の知恵が出てくるかもしれない。少なくとも、そういう発想は必要である。

それでもなお時間を共有したい場合、それは「共有すること」自体が目的となっている。家族友人恋人とのそれなどは良い例であろう。これはこれで素晴らしいが、そのような関係にない人間と、共有するために時間を共有するのは苦痛でしかない。「馴れ馴れしい」という言葉の正体は、このへんにあるのではないか。気を付けたいものである。

以上、自戒を込めて(これはエラそうなことを書いたときの照れ隠しである)。

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携帯電話のパケット定額制、さらにはフル・ブラウザの台頭によって、昔ながらの「携帯版サイト」の存在意義は薄れつつある。が、特にビジュアルにこだわっていない限り、携帯電話の小さな画面でパソコンと同じような表示をさせる必然性も、やはり少ないのではないかとも思う。とりわけ、携帯電話の通信速度の低さはキツい。我が「修羅場、どっと混む」のような、主にテキストで御機嫌を伺っているようなサイトでは、まだまだ「携帯版」の需要もあるんじゃなかろうか。

携帯電話で見る意味があるのかは、また別問題だが。