- 地方物産展と脱亜入欧

2005/06/11/Sat.地方物産展と脱亜入欧

故郷を愛する T です。こんばんは。

どこの地方だ、それは

近くのショッピング・モールでは、よく催事が開かれている。先週は「九州うまか市」で、今週は「北海道うまいっしょ市」だった。どうにかならんか、このネーミング。そもそも「うまいっしょ」は北海道弁でも何でもないだろ。

俺は関西で生まれ育ったが、「儲かりまっか」と挨拶してくる人に出会ったことはない。京都に引っ越してきたが、「おこしやす」と言ってくれた人もいない。当たり前である。そのような人間は虚構の中か、もしくは他所者の想像の中にしか存在しない。ファンタジーといっても良い。俺は関東に無縁の人間だが、そういう意味で、きっと「神田の上水道を産湯に使った」という人間もいないんだろうと思う。

誰でも、自分の故郷を茶化されれば腹が立つ。それなのに「九州うまか市」なんかを催しては、必要以上に協調された「地方」をありがたがる。きっと九州では、「京都うまいどすえ市」が活況を呈しているに違いない。そこまでして「地方」を希求するのは、逆に言えば、もはや日本には「地方」が存在しないことの裏返しではないか。善悪は別にして、交通と通信の発達が「地方」を駆逐していったのは確かであろう。

もちろん、現代日本にも地域格差はあり、各地方の特色も色濃く残っている。しかしまあ、それもどこまで本物なのかはわかったものではない。地域振興という名の元で、次々に「創作」される「名物」などはその典型である。この意識は何なのだろう。自分の地域には鉄道を通し、道路をめぐらせ、少しでも都会的に、近代的にというスローガンで発展してきた一方で、他の地域には「うまか」であり続けることを望む。それはちょっとムシが良過ぎないか。

帝国主義的物産展

話が大きくなるが、これはそのまま、近代日本が歩いてきた道と同じでもある、と俺は考える。「脱亜入欧」を掲げて、西欧的に(アメリカ的に)を合言葉に、この100年あまりを日本は駆け抜けてきた。結果として奇形的なまでの西欧化を果たし、それに伴った繁栄を我が国は享受した。それを見た他国が、日本を手本に発展しようとするとき、我々は「うまか市」であることをその国に要求してはいないだろうか。

例えば、烏龍茶の CM などでよく見かけるイメージ。水墨画のような深山幽谷を背景に、チャイナ服に身を包み、太極拳を演舞して烏龍茶を飲む中国人。こんな奴は、広い中国のどこを探してもいない。単に「うまか市」で味わうのと同じ雰囲気を求めているだけである。本当の先進国でありたいならば、もうこんな傲慢な精神から解放されるべきではないか。これでは「日本の女性はゲイシャ・ガール」などという、野蛮な帝国主義の残滓と同じレベルである。そういう低劣な無知がもたらす災禍を、過去に、否、現在でも世界は経験し続けているではないか。

迎合する方にも猛省が必要である。映画『ラスト・サムライ』がヒットし、日本人として嬉しい気持ちはわかるんだけど、やっぱりそこで冷静に、「よくできたフィクションだね」と言わなければならない。「ハリウッドで日本が取り上げられた」などと無邪気に喜んでいたら、それでは精神的植民地である。「うまか市を開いてくれてありがとう」と九州人が言うわけないでしょう? そういうこと。

なんてことを、物産展の親玉である万国博覧会が日本で開催されていることを承知で書いてみた。