- Diary 2005/06

2005/06/30/Thu.

BMI (body mass index; 体格指数) では「普通」に分類される T です。こんばんは。

昨日の日記で、ちらっと肥満 (obesity) について述べた。仕事の勉強も兼ねて、しばらく肥満や脂肪について書いてみようと思う。まァ、不定期連載ということで。

肥満と脂肪組織

肥満の原因は脂肪組織 (adipose tissue) の肥大にある。脂肪組織は脂肪細胞 (adipocyto) からなる。脂肪組織が大きくなるというのは、脂肪細胞の数が増えるケースと、一つ一つの脂肪細胞が肥大するケースがある。また、一口に脂肪組織というが、皮下脂肪 (subcutaneous fat) と内臓脂肪 (abdominal fat) の 2種類に大別される。内臓脂肪は主に腸間膜に沈着する。

女性の身体が丸くて柔らかいのは、男性に比べて皮下脂肪が豊富にあるから、ということはよく知られている。一方、腹だけがやけに膨れるという、いわゆる「中年太り」は、内臓脂肪の沈着が進行している場合が多い。このように、肥満は決して一義的な症状ではない。であるから、「誰でも痩せられるダイエット」というものも存在しない。ダイエット産業や、若い女性によく見られるファッションとしてのダイエットを否定するつもりはないが、真剣に悩んでいて本気で痩せたいと願っているならば、病院に行った方が良い。

肥満の環境要因と遺伝的要因

肥満自体は決して病気ではない。寒冷地に生息する動物、例えばシロクマやアザラシがあれだけ大きいのは、大量の皮下脂肪を蓄えているからであり、そこには「熱源と栄養源を体内に確保する」という立派な理由がある。肥満は後天的な環境要因(過食、運動不足など)によって発症すると思われがちだが、遺伝的要因も無視できない。仮に、極地で「痩せたアザラシ」が生まれたとしても、その個体は生き残れないだろう。そのためアザラシは、皮下脂肪をせっせと蓄えるような遺伝的プログラムを恐らく持っている。アザラシを動物園に連れてきても痩せないしな。彼らは太るべくして太っている。つまり「太る家系」であるわけだ。それが遺伝的ということ。

したがって、「太っている人間は自己管理ができていない」というアメリカ式の人物評価は、そこはかとない危険性を孕んでいる。遺伝子差別である可能性は絶無ではない。「痩せられない人間」は遺伝学的に存在する。人の上に立つ方は覚えておかれると良いだろう。そのうち「ジェネハラ」(genetic harassment; 遺伝的嫌がらせ)という言葉ができるかもしれない。というか、既にアルコール・ハラスメントがそうだよな。あれは、アルコール分解酵素の遺伝子を持つ人間の、遺伝子を持たない人間に対する遺伝子差別という捉え方もできる。怖い時代になったものだ。

覚書

さて、今日は割と肥満について擁護したが、肥満が身体に良くないことは事実である。次回は、肥満の何が問題なのかということについて書こうと思う。

2005/06/29/Wed.

一人暮らし歴も 7年目となった T です。こんばんは。

空いていた隣室に、新たな住人が引っ越してきたようだ。俺も利用した引っ越し業者の段ボールが、玄関前に山と積んである。朝からガーガーと掃除機がうなっていたりして、なかなか微笑ましい。最初は何でも大変だよな。

夢日記

仕事の key word の一つに「obesity」(肥満)という言葉がある。昨夜は夢の中で、隣の研究室の先生と、その名も『Obesity』というタイトルの洋画を観に行った。夢は映画館から出てくるところから始まり、「いやあ、『Obesity』面白かったね」「そうですね」などという会話しか記憶に残っていない。いったい『Obesity』がどのような映画であったのかは永遠の謎である。

それにしても、何でオッサンと二人で『Obesity』なんていう暑苦しい映画を観なければならんのだ。夢とはいえ、理不尽だ。

2005/06/27/Mon.

日中はクーラー直撃の T です。こんばんは。

暑いのは平気な質なので、むしろクーラーを切ってほしいくらいなのだが、そういうわけにもいかず。

研究日記

今日読んだ論文、corresponding author のメールアドレスが Hotmail だった。所属は公の研究機関だったのに、なぜ?

2005/06/26/Sun.

疲れて寝る、寝過ぎて疲れるという悪循環に陥っている T です。こんばんは。

休日が来るたびに 15時間ほど眠ってしまうのですが、私の身体は大丈夫でしょうか?(京都府・24歳・男性)

ドアの陰からいくらでも盗み見してもらって構わないから、マジで家政婦が欲しい。見るもんないけどな、ウチには。

研究日記

医学関係の仕事を始めて3週間、まだまだわからないことばかりだが、色々と考えることも多い。

理学と医学の研究スタンスで最も違う点といえば、それは研究対象の選び方ではないか。例えばの話、理学部で筋肉の研究をやっている人は、本当に筋肉に興味があるから研究している。一方、医学部の場合、それが「病気の原因であるから」筋肉の研究している(少なくとも大前提としてそういうスタンスを取っている)。重大な心疾患の原因が筋肉にあるから筋肉を研究しているのであって、仮に病原が血管にあると判明したら、彼らは明日から血管の研究を開始するだろう。大袈裟にいえば、だけど。

研究者である以前に医師である彼らの眼前には、病気で苦しんでいる多くの患者という圧倒的な現実がある。そして、その病苦を解決しなければならないという、内外からの大きな要求が存在する。理学部の人間にとって、疾患とは「イレギュラーな生命現象」でしかなく、研究結果によって「原理的な」解決方法を提示することはできても、具体的な治療方法は思考の埒外にある。そのような「具体性」を伴う仕事は、ともすれば「重箱の隅をつつくような」とか「Essential ではない」という言い方で一刀両断されたりもする。いかに事象をシンプルにし、エレガントなモデルを構築することができるか、それがいわゆる理学部的な仕事といえよう。

しかし、実学たる医学ではそういうわけにはいかない。理学的単純化は、すなわち「副作用を考えない」とか「個体差(個人差)の無視」に直結する。それでは「治療」にならない。で、とにかく考えられるだけのファクターを考慮する必要がある。広く浅くでも良いから(良くないけど)、できるだけ広範な視野を持たなければならない。だから例えば、「筋肉が専門です。神経はよく知りません」的な言い草が成立しない。医学の眼で見れば、「筋肉にも神経が走っているではないか」となる。「いや、今回の実験では関係ないし」と言いたかったりもするのだが、実は「無関係」なんていう証明はしていないわけで。こういう無意識レベルでの単純化を、今まで自分がどれほどやっていたかということを思い知らされる。難しい。

2005/06/25/Sat.

一人でヘベレケになるほどに酒好きというわけではない T です。こんばんは。

引っ越して 2ヶ月、何が哀しいかといって、一緒に呑む相手がいないことほど寂しいことはない。俺には「同期」という存在すらいないし、そもそも勤め先には女性が圧倒的に多いんだよな。職場の男性といえば、既婚の研究員氏と、20歳になったばかりのテクニシャン君ぐらいで、どちらも呑み仲間としては若干微妙なステータス。別に女性と呑むのがイヤとかではないんだが、それが職場の人となると、やはり躊躇がある。となると、一人で落ち着いて呑める店を探すしかない。

今夜、ようやく理想に近い店を発見。元ホテルマンというマスター氏と、アルバイトの専門学校生嬢の二人で回している小さな shot bar なんだけど、それゆえに居心地も良く、他の客も大抵は一人で、初対面なのに会話がはずんだりもする。オッサン臭い? 良いんだよ、美味しい酒が呑めれば。

2005/06/24/Fri.

毎日カルチャーショックを受けている T です。こんばんは。

以前のような量と頻度で日記が書けなくなっている。更新スタイルをどうするか、ちょっと考え中。

以前より忙しくなったのは確かだけれど、それは当たり前のことであってね。あまり「忙しい」とは言いたくない。言い訳になっちまうんだよな。

素麺が食いたい。明日買ってくるか。

2005/06/23/Thu.

アツい人間が好きな T です。こんばんは。

帰宅すると部屋が暑い。暑いとビールが旨い。旨いから飲む。飲んだら眠くなる。よって寝る。……という、およそ大脳新皮質とは無縁の私生活を送っている。そんなわけで、ニュースを読んだのも久し振りだったのだが、気になる記事があったので採り上げる。

新入社員の 77% が自らを就職活動での「どちらかといえば『勝ち組』」と考えている−−。財団法人社会経済生産性本部が、22日までにまとめた新入社員の意識調査で分かった。

同本部は「パートや派遣などが増える厳しい環境の下、正社員という安定した身分を獲得したとの思いからではないか」と分析している。(共同通信)

自分自身を肯定するのは大事なことだが、それが他人を否定することによってしか成り立たないのでは意味がない。「勝ち負け」ってのは、常に自分を相手にしてのことだと思うんだがなあ。なんて、爺むさい感想を述べているわけだが、「自分は勝ち組である」と考えている 8割近いこの多数派は、まさに俺と同世代なんだよな。

勝負は土俵を割るまでわからない。俺を含め、新人というのは、まさにこれから「勝負」に晒される存在ではないのか。スタートを「あがり」にしてしまってどうするんだ。もうちょっとアツく行こうぜ、同輩。

2005/06/21/Tue.

今日はひねもす机に向かっていた T です。こんばんは。

研究日記

IF
Impact Factor の略。その雑誌に掲載された論文が、一定期間中に平均何回引用されたかという数字。この数値が高いほど、雑誌のレベルや権威も高いという一応の目安。

日本語の総説などをボチボチと読んでいる。頻出する abbreviation や key word を抜き出しつつ、PubMed で検索をかけてみたり。とりあえず NatureScience あたりに発表された原著論文から順番に読破していこうかと考えている。ゲッソリしてしまう量だが。医学系の雑誌は IF もよく知らないし、なかなか目星が付けられない。

2005/06/17/Fri.

ビール好きの T です。こんばんは。

1週間に及んだラットの処理が終わり、研究室の皆と軽く飲んできた。ビールを飲んで、「お゛あ゛〜」とかなんとか、表記不能な吐息を漏らす瞬間に最も幸せを感じる。ビールの旨さの半分は一口目にあり、その幸福の半分は「お゛あ゛〜」から成り立っていると思う。行儀の悪いことではあるが、「お゛あ゛〜」と言えないくらいならビールなんて飲まない。というのは極論だろうか。

2005/06/16/Thu.

囲碁や将棋が好きな T です。こんばんは。

「女流」を廃止せよ

思うだにバカバカしいのは「女流棋士」という存在である。何故に男女の区別をするか。囲碁・将棋はスポーツと異なり、肉体的な性差が結果に直結しない。純粋に頭脳の争いであるわけだから、男も女も入り乱れて、本因坊や王位を奪い合えば良いじゃないか。脳に男女差がないとは言えないけれど、知的職業でここまでの男女区別が存在しているのは棋士くらいのものだろう。

囲碁・将棋は、日本人が完成させた、世界で最も高級な純粋知的遊戯である。人間様がコンピュータに負けてしまう、チェスとかいう西洋将棋とは奥深さの次元が異なる。麻雀のように、運や偶然に左右される要素も全くない。日本が生んだこのゲームは、もっと世界にアピールされるべきだ。日本棋界は割と国際交流が盛んなようだが、まず最初にやることは「女流棋士」の廃止であろう。男女の別なく、ただ「棋士」として、全員が同じ土俵で闘うべきだし、そうしない理由はどこにもない。問題となっている競技人口も底上げされるだろう。あまりにも勿体ない話だ。日本棋院の奮起を求む。

研究日記

ラットの解剖をしていたら、内臓が全反転している個体があった。

内臓全反転ラット

向かって右側のピンセットで持ち上げているのが横隔膜。その下に、普通とは反対の位置に肝臓がある。横隔膜の左側、ピンク色の臓器が心臓。これも通常とは逆側、つまりラットから見て右側に心臓がある。

非常に珍しく、研究室の皆も実際には見たことがないという。何だか得した気分。

2005/06/15/Wed.

新聞を取る気はない T です。こんばんは。

新聞の勧誘員氏が「見本紙を届けるから」といって、毎朝新聞を投函してくれていたのだが、昨日から配達がストップしている。朝の時間が寂しい。明日も届いていなかったら、「見本紙が来てないんだけど」と電話してみようと思うが、どうだろうか。

2005/06/14/Tue.

ラットの体重(24週齢で 500 g 前後)を計っていたら、「線虫の重さはどれくらいなの」と尋ねられた T です。こんばんは。

線虫のボディ・サイズに関して、「体細胞約 1000個(雌雄同体が 959個、雄が 1031個)」「体長約 1 mm」というデータはどの本にも書いてある。しかしながら重量に関する記述は見たことがない。実際に計測した人はいるのだろうか。(1)計測が困難な上に、(2)大して意味がない、ということで話題にならないのだろうが、案外と面白い発見があるかもしれない。いや、既にやっている人がいるかもしれないけれど。

研究日記

昨日 OGTT したラット 20匹から臓器を摘出。色んな意味で結構キツい。明日は再び OGTT。明後日、明明後日はまた臓器摘出。本当に大事なのは摘出した組織や血液の解析であるわけだが、そこに至るまでの手間暇が凄まじい。「マウスでできたら楽なんだけどねえ」と上司が言っていた。あまり変わらないんじゃないかと思ってしまう俺は、まだまだ修業が足りないのだろうか。

2005/06/13/Mon.

1週間で激ヤセした(と思われる) T です。こんばんは。

体重計がないからわからないのだけど、いやにジーンズがスカスカになっている。

研究日記

変異ラットを用いた 2時間の OGTT を 4セット。手伝いとはいえ、さすがに疲れる。手伝いというか、ラットにもなると一人で行うには無理のある実験も多く、必然的にチームを組まざるを得ない。サンプル数が多くなれば尚更。といっても、数十匹程度なんだけど。このへんの感覚は線虫と全く違う。線虫だと、100匹でも 200匹でも独力で実験する場合が多い。どちらが優れているとかいう話ではなく、色々なスタイルがあるということ。

2005/06/12/Sun.

生まれて初めて定期券を買った T です。こんばんは。

さっき(22時過ぎ)コンビニに行こうとしたところ、提灯を持った 30人あまりの坊主がゾロゾロと向かってきたので驚いた。何なんだ。

坊主で思い出したが、比叡山延暦寺は滋賀県にある、ということを引っ越してきてから知った。疑いもなく京都府だと信じていたので、無意味にショックを受けた記憶がある。甲子園球場の所在地は大阪府ではなく兵庫県である、と初めて知った人間のようなものか。

日本人が描く世界地図では、必ず日本列島が巨大化する。誰しもが心の中に自分だけの主観的な地図を持っていて、そこでは縮尺も所在地も自由に変動する。

児童画には、その傾向が最も顕著に現れる。来週末は父の日だが、駅の構内などに幼稚園児の描いた父親の肖像画が掲示されていて、これが非常に興味深い。彼らの描く父親は顔が異様に大きく、かたや身体は、せいぜい 1色に塗りつぶされたシャツらしきものをまとっているだけである。このことから、彼らが顔によって父親を認識しており、我々大人ほどには服装に気を留めていないことがわかる。描かれる顔も面白いもので、ある父親は巨大な眼鏡を顔面に嵌め込まれ、ある父親はあり得ないほどのヒゲを蓄えている。「写生画」という概念すら持たない園児は、インプットに比例したアウトプットをしているだけである。そこでは、印象の強いイメージが大きく描かれる。児童画のデッサンが狂っているのは、彼らの写生技術が未熟だからではなく、本当に「絵に描いたそのまま」を「父親」として認識しているから、という可能性は大いにあると思う。教養ある大人が描く世界地図でも、日本列島はいつも大きくなるのだ。「そのように」認識しているのだからしょうがない。

自分が他人にどのように見られているのかを知りたければ、子供に絵を描いてもらうのが一番かもしれない。「王様は裸だ」と言えるのは子供だけだからなあ。

2005/06/11/Sat.

故郷を愛する T です。こんばんは。

どこの地方だ、それは

近くのショッピング・モールでは、よく催事が開かれている。先週は「九州うまか市」で、今週は「北海道うまいっしょ市」だった。どうにかならんか、このネーミング。そもそも「うまいっしょ」は北海道弁でも何でもないだろ。

俺は関西で生まれ育ったが、「儲かりまっか」と挨拶してくる人に出会ったことはない。京都に引っ越してきたが、「おこしやす」と言ってくれた人もいない。当たり前である。そのような人間は虚構の中か、もしくは他所者の想像の中にしか存在しない。ファンタジーといっても良い。俺は関東に無縁の人間だが、そういう意味で、きっと「神田の上水道を産湯に使った」という人間もいないんだろうと思う。

誰でも、自分の故郷を茶化されれば腹が立つ。それなのに「九州うまか市」なんかを催しては、必要以上に協調された「地方」をありがたがる。きっと九州では、「京都うまいどすえ市」が活況を呈しているに違いない。そこまでして「地方」を希求するのは、逆に言えば、もはや日本には「地方」が存在しないことの裏返しではないか。善悪は別にして、交通と通信の発達が「地方」を駆逐していったのは確かであろう。

もちろん、現代日本にも地域格差はあり、各地方の特色も色濃く残っている。しかしまあ、それもどこまで本物なのかはわかったものではない。地域振興という名の元で、次々に「創作」される「名物」などはその典型である。この意識は何なのだろう。自分の地域には鉄道を通し、道路をめぐらせ、少しでも都会的に、近代的にというスローガンで発展してきた一方で、他の地域には「うまか」であり続けることを望む。それはちょっとムシが良過ぎないか。

帝国主義的物産展

話が大きくなるが、これはそのまま、近代日本が歩いてきた道と同じでもある、と俺は考える。「脱亜入欧」を掲げて、西欧的に(アメリカ的に)を合言葉に、この100年あまりを日本は駆け抜けてきた。結果として奇形的なまでの西欧化を果たし、それに伴った繁栄を我が国は享受した。それを見た他国が、日本を手本に発展しようとするとき、我々は「うまか市」であることをその国に要求してはいないだろうか。

例えば、烏龍茶の CM などでよく見かけるイメージ。水墨画のような深山幽谷を背景に、チャイナ服に身を包み、太極拳を演舞して烏龍茶を飲む中国人。こんな奴は、広い中国のどこを探してもいない。単に「うまか市」で味わうのと同じ雰囲気を求めているだけである。本当の先進国でありたいならば、もうこんな傲慢な精神から解放されるべきではないか。これでは「日本の女性はゲイシャ・ガール」などという、野蛮な帝国主義の残滓と同じレベルである。そういう低劣な無知がもたらす災禍を、過去に、否、現在でも世界は経験し続けているではないか。

迎合する方にも猛省が必要である。映画『ラスト・サムライ』がヒットし、日本人として嬉しい気持ちはわかるんだけど、やっぱりそこで冷静に、「よくできたフィクションだね」と言わなければならない。「ハリウッドで日本が取り上げられた」などと無邪気に喜んでいたら、それでは精神的植民地である。「うまか市を開いてくれてありがとう」と九州人が言うわけないでしょう? そういうこと。

なんてことを、物産展の親玉である万国博覧会が日本で開催されていることを承知で書いてみた。

2005/06/10/Fri.

T です。こんばんは。

Dr. B が仕事をゲットされたと知って、一言お祝いをと思ったのだが、予期せぬ(そして楽しい)長電話になってしまった。現状やこれからの研究のことなどを伺い、俺自身も良い刺激を受ける。おめでとうございます。

多群兄とメッセンジャーで会話。こちらの話題は小説。小説について語るなんて久し振りだ。

2005/06/09/Thu.

構造タンパク質を研究していた T です。こんばんは。

だからといって、分泌/受容体タンパク質のことがわからない、という言い訳は成立しないのだが。ああ、もう! 細胞質から出るなよ、面倒臭え。

研究日記

リタイア・ラットを用いた OGTT の練習を手伝う。変異体を使った本番は来週。

「ウチで扱っている遺伝子の線虫ホモログについてレポートを書け」という命が下される。これは週末の宿題。俺自身も線虫ホモログを勉強しておくと理解もしやすいだろうし、勉強勉強。

2005/06/08/Wed.

京阪電鉄で通勤している T です。こんばんは。

我が故郷に京阪電鉄は走っていないが、CM は流れている。で、以前よりおけいはん(京阪電鉄のイメージ・キャラクター)を見知っていたわけなのだが、実は長年のファンであったりもする。漠然と「年上かなあ」と思っていたが、今日、電車の中吊り広告を見て、同い年であることが判明した。学校の先生だったんだな、おけいはん。

生まれてからこれまで、公共交通機関を使って通学・通勤したことはなかったのだけど、彼女のおかげで毎日が楽しいよ。ありがとう、おけいはん!

2005/06/07/Tue.

カタログをめくって半日を過ごした T です。こんばんは。

研究日記

「近々ウエスタンをやってもらう。足りない試薬をリストアップせよ」という命が下される。何が足りないのかとチェックを始めたのだが、ないモノを数えるより、既にあるモノを数えた方が早いことに途中から気付く。とにかく、ない。グリセロールやエタノールがないのは、もはやウエスタン以前の問題だと思う。大丈夫なのか。というより、「大丈夫にする」のが当面の仕事であるわけだが。

2005/06/06/Mon.

初出勤した T です。こんばんは。

研究日記

OGTT
Oral Glucose Tolerance Test(経口グルコース耐性試験)の略。高濃度のグルコース溶液をマウスやラットに飲ませ、血糖濃度変化等を調べる。とかエラそうに書いているけど、こういう abbreviation やジャーゴンが一々わからないので苦労する。これからもマメに書いていく予定。

4週齢のラットを用いた簡単な OGTT を手伝う。初日ということで、一応スーツを着て行ったのだが、「明日からは普通の格好で良いよ」と言われる。仕事のための「フツー」のスタイルが私服っていうあたりが、ビバ研究。今日はYシャツにネクタイ、その上に借り物の女性用白衣という、何とも怪しげな服装で実験したわけだけど。

当面のミッションは、新しいラボの立ち上げ。実験を教えてくれた流動研究員の方も、6月1日に着任されたばかりとかで、とにかくないない尽くしの手探り状態。とはいえ、セットアップを通じて基礎から学べるので、畑違いの俺にはありがたい、とも言える。ラボの立ち上げに参加させて頂くこと自体、貴重なことだと思うし。

2005/06/05/Sun.

古本を買い逃した T です。こんばんは。

先週、ある古本屋で、岩波書店の『寺田寅彦全集』全18巻が 3600円という破格にて売り出されていた。すごく欲しかったのだが、持ち帰るにはあまりにも体積がデカかったので見送った。で、今週こそはと大きめのバッグをかついで再訪したのだが、既に売り切れ。

古本はその場で買う。これは鉄則である。それを守れなかった俺がバカなのだが、それにしても残念極まりない。逃した魚は大きく見える。嗚呼あの全集はきっと素晴らしいものだったに違いないメチャクチャ面白いはずなのだ本当なら今頃は第5巻あたりを読みながら至福の時を過ごしていたのにと、妄想が妄想を呼び、後悔は膨らむばかりだが、全ては後の祭り。

今度はいつ会えるかなあ。いや、新品で買えば済む話なんだけど。高いし。

読書日記の廃止

昨日の「読書日記」を読み返して反省しているのだが、長い書評は「Book Review」に、短い感想は「読書日記」にという使い分けって、何の意味もないな。長い/短いというのもイイ加減なもので、別に明確な基準があるわけでもない。本に関する情報が分散してしまっているという点では、無意味を通り越して害ですらある。どうして素直に 1ヶ所で管理しようとしなかったのか、俺よ。

というわけで、次回からは長い評論だろうが 3行の感想だろうが、全部「Book Review」にまとめることにする。ついでに、Amazon へのリンクの貼り方も調べておきたい。よく、書評と一緒に表紙画像を出しているページを見かけるけど、以前から格好良いなあと思っていたのだ。表紙を載せると、やたらと書評っぽく見えるのは俺だけか?

2005/06/04/Sat.

T です。こんばんは。

読書日記

ここ数日に読んだ本。

友成純一『覚醒者』を読む。ホラーの帝王がクトゥルフ神話に挑んだ意欲作であるが、本書はまだその導入部。とはいえ、作中で展開される異様なイメージには圧倒される。続編が待たれる。

前橋和弥『センス・オブ・プログラミング! 抽象的に考えること・データ構造を理解すること』を読む。いわゆる特定言語の解説書ではなく、それ以前の、プログラム全般における基礎的な心構えを説いた本。「同じことを書くな」「即値を書くな」など、わかっているけどなかなか実践できない事柄に対する戒めには耳が痛い。プログラムを書くこと = 抽象的な思考を行うこと、という視点が貫かれており、プログラミング以外にも応用可能な考え方は役に立つ。

綾辻行人『暗黒館の殺人』(上・下)を読む。良くいえば綾辻行人の集大成、悪くいえば寄せ集め。地震と嵐によって閉鎖された奇妙な館、そこで暮らす怪しげな一族、純真で利発な少年、双子の美少女、都合の良い記憶喪失、コピー&ペーストで繰り返し挿入される記憶の断片。安心といえば安心、ウンザリといえばウンザリな綾辻クオリティ。それなりに面白かったが、8年もかけて書いた作品がコレかと思うと、何とも複雑な気分である。

山本弘『こんなにヘンだぞ!『空想科学読本』』を読む。と学会会長が、柳田理科雄の人気シリーズに喰ってかかった批判本。大人げない気もするが、このあたりのバカバカしい生真面目さが、と学会の良いところでもある。「空想科学読本」を読んでおられるのなら、一読して損はない。

森毅『魔術から数学へ』を読む。中世から近世のヨーロッパにおいて、現代数学が誕生する様が平易に解説されている。政治、宗教への言及も多く、数学史というよりは文化史の趣が強い。登場する数学者達も生き生きと描写されており、伝記的な興味も満たされる。

2005/06/03/Fri.

約 1ヶ月、まともに人間と話していなかったので、上手く呂律が回らなかった T です。こんばんは。

就職活動日記

昨日、ボスに会ってきた。これまでの経緯について、説明を頂く。あるいは同業者の方には興味のある話かもしれないが、ややこしい上に勝手にこんなところで書くのもどうかと思うので割愛する。結論だけ言えば、月曜日から来てくれ、ということになった。

というわけで、長きに渡った「就職活動日記」もこれで終了となる。めでたいことでも何でもなくて、要するにこれは「始まりの終わり」。本当のスタートはこれから。時が、流れ出す。

小噺

いわゆる理系の面々が集まって、いっちょ学際的な研究をやろうということになった。会議は紛糾した。

化学者 「生物学とは、生命という系における化学反応に過ぎない」
物理学者「化学とは、分子・原子レベルの物理現象に過ぎない」
数学者 「物理学とは、自然の数学的な近似に過ぎない」
哲学者 「数学とは、限定された思考の記号的表記に過ぎない」
生物学者「哲学とは、神経伝達という生命現象の一つに過ぎない」
(冒頭に戻る)

会議に参加していたものの、これまで発言を控えていた医学者が口を開いた。

医学者「お前ら、病院に行け」

2005/06/01/Wed.

T です。こんばんは。

就職活動日記

明日、ようやくボスと会うことに。