- 悪口と弾劾

2005/05/25/Wed.悪口と弾劾

田中芳樹『銀河英雄伝説』に登場するビッテンフェルトの家訓に共感を持つ T です。こんばんは。

「他人をほめるときは大きな声で、悪口を言うときはより大きな声で」

(銀河帝国軍上級大将、フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト)

悪口は日本語の勉強になる

筒井康隆がよく「悪口は日本語の勉強になる」と書いているが、まことにその通りで、なかなか悪口は難しい。良い悪口 (矛盾してるが) の条件として、読んで面白い、反撃されない、などが挙げられるだろう。自分を高いところに置き、そこから激烈な言葉を一方的に浴びせるのがよろしい。しかし、ただ悪口を言うだけでは「罵倒」に過ぎない。そこで格調が必要になってくる。洗練の度合いが増すにつれ、罵倒は「非難」「批判」となり、最終的には「弾劾」の域に達する。良い言葉だよなあ、弾劾。

「弾劾文」と呼ばれる文章に共通する特徴として、漢語の頻用がある。漢語を使うと、何やら格調高い気がするから不思議なものだ。そこに、独特の中国的ユーモアが含まれるからかもしれない。中国語の言い回しはとにかく大袈裟である。「怒髪天を突く」とか「断腸の思い」とか。「いくら怒ったからって、髪の毛が天まで届くわけねえだろ」「腸がちぎれるって、どんだけ悲しいんだよ」と、突っ込みを待っているとしか思えない成句がゴロゴロある。こういった文句を多用することで、悪口が激烈になると同時に、一種の面白みが加わるのではないか。このあたりのバランスが、弾劾文を草する上でのポイントになると思う。

弾劾の一例

最近、松本清張『日本史発掘』を読んだのだが、この中に数多くの弾劾文が引用されている。どれもこれも興味深い。政党政治が名ばかりだった昭和初期、政敵を叩き落とすために怪文書が出回り、弾劾演説がよくなされた。例えば、憲政会の中野正剛が、陸軍機密費に関して政友会の田中義一総裁を弾劾した演説。

「田中総裁が政友会に現れて以後、政界の動揺には常に金銭がある。(中略) 君らのやり方はすべて金銭本位のやり方であると言われても仕方がない (議場騒然)。私は諸君がかくの如く吠えるときに人間に吠えられているとは思わぬ。犬が吠えているものであると思う。古語に桀狗 (けっく) 尭 (ぎょう) に吠ゆるという言葉があります。諸君のごとき漫罵を聴いても、私は毛頭恥ずるところはない」

国権の最高機関で他人を「犬」と言ってはばからないのだから、何とも豪放な時代である。金銭問題でこんな具合であるから、コトが下半身に及ぶと、特に新聞の論調などは更に激越となる。そんなところばかりに目が行って、事件の流れが頭に入らないくらいに面白い。明治期に教育を受けた人の漢文の素養は、やはりスゴいものがある。

就職活動日記

ようやくメドが立ったらしい。近日中に出勤の予定。やれやれ。