- 脳と筋肉の工業化

2005/05/18/Wed.脳と筋肉の工業化

久し振りで更新の T です。こんばんは。

人間が便利になるように、という発想だけで作られた機械や道具が、図らずも生物が持つメカニズムのメタファーになっていた、という例は多い。養老孟司風に言うならば、「最初から内在されていたから顕現し得た」ということになろうか。

もちろん例外もある。俺が考える二つの例は、コンピュータと駆動系である。現在主流となっているプログラムのアルゴリズムは全てノイマン型、つまり手続き型であって、創発性や自己構築能力はない。人間のような複雑な思考を(しかも自発的に)行うことは不可能だ。生物の脳を模したニューラル・コンピュータの研究もなされているが、まだ目立った成果はない。当たり前だ。脳の仕組みが解明されていないのに、それをどうやってコンピュータに応用しろというのか。

もう一つの駆動系も、生物のそれと大きく異なる。生物の駆動系で思い付くのは筋肉であるが、これは小さな同一のユニットが集積することによって、最終的に膨大な運動を発現する。貴方の筋繊維も、ボブ・サップの筋繊維も、その最小構成単位は全く同じである。違うのはユニットの数だけ。一方、機械で大きな力を出すときは、駆動系そのものを巨大にすることによって対処する。より大きなパワーが必要であれば、より大きなエンジン、より大きなモーターを搭載する。これは非常に無駄ではないか。もしも筋肉のような駆動系を発明できれば、さぞかし便利だろう。必要なときに、必要なパワーを発揮できるだけの数のユニットを揃えれば良い。一時的にドーピングするようなもんだ。

もっとも、これは非常に抽象的な議論であって、実現するためには様々な工学的課題を克服しなければならないとは思う。「では具体的にどのような駆動系を作れば良いか」と問われても、門外漢の俺にはさっぱりわからない。

さて、「そもそも生物を模したメカニズムを採用する意味はあるのか」という疑問もあると思う。これには比較的ハッキリ、「ある」と答えられる。限られた資源の中で生きる生命は、コストが高くなることを厭う。生物が採用するメカニズムの多くは、驚くほどローコストで効率的に作動する。これは工業に転化したときにも利点となろう。無論、デメリットもある。それは「完全を追及しない」ことである。我々が遺伝子のミスコピーの果てに誕生したように、生命機構の多くは、「完璧じゃないけど、まァ実用的」というレベルの精巧さしか持っていない。これは機械として見たとき、大きな欠点である。

ニューラル・コンピュータには関心があるけれど、そう考えると信用できんな。自分の頭が信用できないのに、その劣化版をどう信用しろと? そこを上手く解決するのが工学なんだろうな。