- 桜を眺めながら

2005/04/08/Fri.桜を眺めながら

公園で花見をしてきた T です。こんばんは。

桜と菊

付近の桜が満開となっていた。毎年、咲き誇るのを楽しみにしている桜である。桜は日本の国花であり、1年に半月ほどだけ咲くこの花のために、日本人は数々の文化を産み出し、国民一丸となって花見に血道を上げ、政府も桜前線の観測を支援する。滑稽な面もあるが、日本人が桜を愛している事実に偽りはない。

ところで、桜にはもちろん桜特有の香りがあるのだけれど、それは、バラやキンモクセイのようにムワッとむせ返るほど濃厚なものではない。これは重要な事実に思える。桜の芳香が、生命力に溢れた臭気ふんぷんたるものだったとしたら、果たして日本人は、これほどまでに桜を愛したであろうか。考えてみる価値はあると思う。愛される花の「香り」は、もう少し注目されても良いんじゃないか。この観点からの論考を、俺は目にしたことがない。

桜と並び、我が国で特殊な地位を占めている花といえば菊である。天皇家の御紋に使用されている花だが、日本列島に自生していたわけではなく、奈良時代に中国大陸から輸入されてきたらしい。しかも菊紋を最初に用いたのは後鳥羽上皇であり、案外と歴史は浅い。菊を冷静に観察してみると、どうも旧来の日本人が好きになりそうな花ではないような気がする。華やか過ぎるのだ。後鳥羽上皇という人のパーソナリティーを合わせて考えるに、「菊の御紋」は、日本人離れした上皇の個人的成果という印象がある。そこが桜とは決定的に違う。

文化史の徒花

日本史には、ときにこのような異形の文化が、たった一人の個人から発生する。その典型が足利義満の鹿苑寺金閣である。俗に「北山文化」といわれるが、あれは本当に「文化」なのだろうか。日本人が愛し、その後の文化の基本形として選択したのは、足利義政の慈照寺銀閣、つまり東山文化である。金閣は確かに素晴らしい建築物だが、足利義満個人の感性によるところが大きく、しかもそれがケタ違いに日本人離れしているため、「文化」になるほどの共感を得られなかった。北山文化なるものの実体はなく、いうなればあれは「足利義満文化」とでも称すべき特殊なものである。キンキラキンの屋敷の上に鳳凰を飾った建物が、他にあるだろうか。「実体がない」とはそういう意味である。

日本人離れしているもう一つの例は豊臣秀吉であろう。これも「桃山文化」という名称が冠されているが、やはり怪しい。秀吉も大坂城内に金箔張りの茶室を作った(しかも組み立て式で持ち運びが可能だったらしい)が、現在でも愛されているのは、その対極に位置する千利休の侘茶である。織田信長が始め、狩野派の筆によって大流行した豪奢な洛外洛中図屏風も、前時代に確立された雪舟の水墨画ほどには、息が続かなかった。秀吉的感性は「成金趣味」という悪名で現代にも受け継がれているけれど、「趣味」という言葉が端的に示すように、「文化」としては認識されていないようである(断っておくが、文化の方が趣味より高尚だと主張するつもりはない)。

最後に一つ、明治期の欧風文化についても触れておきたい。鹿鳴館、東京駅駅舎、あるいは横浜、神戸、長崎に建てられた数々の異人館は、それが(それまでの)日本人の感性と合致しないものでありながら、今では懐古的な情緒を誘うまでに受け入れられた。北山文化や桃山文化と異なるのは、これら欧風文化が、足利義満や豊臣秀吉といった個人の感性にのみ裏打ちされたものではなく、しっかりと熟成されたヨーロッパ文化を下敷きにしている点にあると思う。あまり使いたくない言葉だが、要するに「本物」だったから受け入れられたのではないか(北山・桃山文化が「偽者」とは決して思わないが)。

長々と書いたけど、つまるところ「文化」は「共有」を前提としているのであって、最初から「個人」とは相反する性質を内蔵している。日本人離れした一個人の感性に立脚した文化が広まらなかったのは、考えてみれば当然なんだよなあ。