- ヤクザという文化

2005/03/17/Thu.ヤクザという文化

三下野郎の T です。こんばんは。

ヤクザはプロフェッショナル

何ともスゴいニュースがあったので取り上げる。

胸、腹刺し「間違えた。すまん」

福岡県警捜査四課と小倉北署は 16日、人違いで無関係の男性を刃物で刺したとして殺人未遂の疑いで指定暴力団工藤会系組幹部中筋賢 (28) ら2容疑者を逮捕した。2人は刺した後で人違いに気づき、「間違えた。すまんやったのう」と言い残して逃げたという。

県警によると、組の別の幹部が、同アパート 1階の一室に出入りしていた元組員と金銭トラブルになっており、部屋を間違えたとみられる。男性は元組員と年齢や背格好が似ていたという。

間違って刺された男性には気の毒だが、それ以上に、本来はプロ中のプロであるべきヤクザが、こんな初歩的なミスを犯したことに驚いてしまう。「すまんやったのう」はないだろ。カタギがヤクザに同じ過ちを犯せば、タダではすまない。そこを「すまん」で済まそうとするあたり、中筋某は全くプロ意識のないチンピラであるといえよう。ヤクザの存在の是非について、ここで論じるつもりはない。ただ、存在する以上はプロフェッショナルでなければならない。それがヤクザである。

ヤクザは文化人

ヤクザは文化人の一種、という考え方がある。彼らは売買春を斡旋し、薬物を代表とする違法な物品の流通を担い、博打のような非合法遊戯を主宰する。が、重要なのは、彼ら自身がそれを消費しているわけではないという事実だ。自らがクスリをやる人間はバイヤー失格、という話はよく聞く。ヤクザはあくまで「提供者」であり、消費するのは、時間と金を持て余す反面、刺激には飢えている旦那衆(ダンベ)なのである。

歴史的に言えば、そのようなアンダーグラウンド・サービスを提供するのがヤクザなのである。俗世では手に入らないから、金がかかる。法で守られていないから、独自の掟を遵守し、鉄の制裁も厭わない。だから彼らはプロであり、客になる方も資格がいる。江戸では、名を遂げた旦那の趣味は「一にヤクザ、二に相撲、三が役者、四に骨董、五が女」であったという。それほど金がかかる。逆に言えば、それくらい「面白い」のである(と、庶民の俺は思う)。

現代に、このような「悪貴族」ともいうべき金持ちがいなくなってしまったのも、ヤクザの質の低下の一因だろう。中学生が覚醒剤を手に入れる御時世である。致し方ないのかもしれないが、やはり庶民とヤクザが交わるのは好ましくない。本当のプロでありさえすれば、客もヤクザも、さほど問題にならないと思うのだが。