- ゆとり教育 v.s. 詰め込み教育

2005/03/11/Fri.ゆとり教育 v.s. 詰め込み教育

T です。こんばんは。

昨夜はヒゲマン氏を我が豪邸にお招きして歓談。この 3週間でまともに人間と会うのは 2回目。バイクを売り払ったことや就職のことなど、色々と話を聞いてもらった。ありがとうございます。

躾、教育、勉強

2004年度の文部科学白書に、「日本児童の学力は世界のトップレベルとはいえない」と明記されていることがニュースになっていた。「ゆとり教育」とやらが始まったときから予測できた結果で、何を今さらという感じもあるが、危機的な状況であることには違いない。さっさと詰め込み教育を復活させれば良いのだ。これは小学校だろうが大学だろうが関係ない。「詰め込む」以外の勉強方法があるのなら教えてほしいものだ。是非、試してみたい。

「勉強」という言葉は、「強いて勉める」と書く。自分でやるか、他者にやらせられるかは別として、そもそもが強制的な性格を持つ行為である。ある程度の年齢になれば、自発的に己を強制できるようになるが、児童にそんなものを期待できるわけがない。子供に「勉強」させたいのなら、最初は大人が「詰め込んでやる」しかない。それが教育だと思うのだが。

これは体罰とも関係してくる考え方ではないか。「二度とひっぱたかなくても済むように」、最初の過誤はどつき回してでも矯正しなければならない。そういう意味で、俺は体罰肯定論者である。「言ったらわかる」なんて、そんなことは信じない。「言ったらわかる」奴は「言わなくてもわかる」場合が多く、「言わなければわからない」奴は「言ってもわからない」ことがほとんどだ。その明暗を分かつのが、最初の一撃ではないか。再び漢字の話になるが、「躾」(しつけ)という文字は、「身が美しい」と書く。身体で覚えさせなければならないことは、確実に存在する。

勉強のやり方を身に付けるまでは、無理矢理にでも机の前に座らせるしかない。それさえできれば、テストの点数なんか後から付いてくるさ。