- 果報は寝て待て、待てば光陰矢の如し

2005/03/06/Sun.果報は寝て待て、待てば光陰矢の如し

さすがに日曜は就職活動に動きがないため、進展はないけれど何だかホッとする T です。こんばんは。

酒宴日記

昨夜は義兄達と居酒屋R にて飲み会。いつもと似たような話を、いつものように語り合って、割と早めに解散。「いつものように」というのは、ただ馴れ合っているだけじゃないのかという気もするけれど、若干の楽観的感想を含めて、やはり違うと断じたい。何故なら、俺に対して最も辛辣な意見を述べてくれるのが彼らであるからだ。と同時に、全肯定もしてくれるわけだけれど。まァ、こういう友人を持っている人には、何となく理解して頂けるかと思う。万全の体調ではなかったので少し疲れたが、楽しい会だった。ありがとうございました。

自分付き合い

朝起きて、掃除、洗濯、風呂と立て続けにやっつけたら多少はスッキリした。午後はボンヤリと、色んなことを考える。なかなか手に入らないものが多くてヤキモキする。金で買えるなら方策の立てようもあるが、そう簡単に解決するものばかりではない。焦燥感というのは、何かをやり遂げるためには絶対に必要であると思うけれど、時間、つまり「待つ」という行為も欠くべからざる要素なのではないか。そんなことが脳裏を去来する。バランスが難しいところだ。今さら、という感もあるが。

「金では買えないものがある」という箴言は全面的に真ではあるけれど、あまりにも自明過ぎることであり、格言的な価値は低い。「金で買えないものをどうやって手に入れるか」という、しごく現実的な課題に答えるところがないからだ。「金で買えないもの」は多岐に渡り、それを獲得するための具体的方法も千差万別である。自分で考えろということか。必要なのは努力だろうか。運だろうか。その中に「時間」という解答はあるのだろうか。待っているつもりで、実は単に惰眠を貪っているだけではないのだろうか。

「果報は寝て待て」「待てば海路の日和あり」「急がば回れ」など、「待つ」ことの必要性を説く成句は多い。一方で、「光陰矢の如し」「少年老いやすく学成りがたし」など、立ち止まることを戒める言葉も存在する。この事実が、もはや一般論など成立しないことを如実に証明している。全てから逃げ出したいならば、「何をしようと最初から結果は決まっている」と言って、悲観的な運命論者に転向ことすら可能だ。何を選ぶにせよ、それは自分の自由と責任である。

……と、こんな抽象的思考に淫すること自体、現実からの逃避ではないのか。という、冷静でメタな分析をする自分もいる。己の分身といえど、同時に全員と上手く付き合うことは難しい。困ったものだ。