- 事実としてのアーティファクト

2004/11/23/Tue.事実としてのアーティファクト

なかなか進路が決まらないせいか、ついつい「科学とは何ぞや」と考えてしまう T です。こんばんは。

研究日記

アーティファクト
Artifact。(天然物に対しての)人工物。ここでは「結晶化したタンパク質の構造はあくまで特定の条件下におけるものであって、生体内で働いているときの構造とは違うのではないか」という意味で使われている。

実験の合間にネットをブラブラ。あるところで「タンパク質の結晶は全てアーティファクトではないのか」という議論を見かけた。俺はタンパク質結晶に関しては素人だが、この質問に誠意をもって答えようとするならば、恐らく回答は「アーティファクトである」になるんじゃないかと想像する。問題は、それがアーティファクトとして、果たしてその結果に科学的な意味があるのだろうか、ということである。

難しい設問だが、個人的には「意味がある」と答えたい。

数学には「虚数」という数があり、これも一種の人工的な概念、アーティファクトだと言える。しかしこの虚数は、我々が存在する宇宙の因果律を、我々が理解できる形で示すためには必要な数である。

「何のために学問をするのか」という巨大な哲学的命題にも関係するのだが、要するに「我々が宇宙を理解するため」に学問は発展してきたんだと思う。その根源には、「我々は何であるか」という深い疑問が横たわっている。全ての学問は、この疑問に答えるためのアーティファクトではなかろうか。

話がデカくなり過ぎてしまった。冒頭のタンパク質結晶に話を戻すと、「アーティファクト」の構造から既知の生命現象が上手く説明でき、かつ既存の説明体系と矛盾を起こさないなら、そのアーティファクトの解析結果には科学的な意味があり、学問として充分有効だと俺は思う。

まぁ、アーティファクトにも色んなレベルがあるけれど。非特異性に代表されるような、嘘のアーティファクトはいらない。必要なのは、真実を説明する「事実としてのアーティファクト」である。