- 闘病中 (4)

2004/10/07/Thu.闘病中 (4)

T です。こんばんは。

研究日記

出歩けるまでには恢復した(と俺には思えた)ので、ラボへ。しかし道半ばにして、既に大量の発汗。ラボに着き、K先生に会った途端、「家に帰って休め」と言われる。とりあえず K先生をなだめて(何で病人の方がなだめにゃならんのだ)、資料を作成。「なくても困らないから」と言われても、俺が困る。これは仕事における信頼の問題なのだ。なあんて、カッコつけたりして。だが、N大学との共同研究をおろそかにしたことはないぞ。

資料作成後、K先生と少しディスカッションして論点を詰め、午後には帰宅。明日から K先生が出張なので、月曜日まで連休だ。今日は少し無理をしたが、後はゆっくりできる。それよりも他の人が心配。ラボに人がいない。みんな風邪を召されているという。お大事に。俺もな。

……寝るか。

と思ったが、「連休」で気になることがあるので、もう少し書く。資料を作ったせいか、久し振りに頭だけはスッキリしている。

ハッピー・マンデー構想改正案

今さらの感もあるが、「祝祭日 = 休日」にする必要はない。慣れ親しんだ各種記念日には歴史的・文化的な意味があり、勝手にその日付を移動することには違和感がある。確かに連休というのは嬉しいもので、その経済的効果も否めない。だとしても、「ハッピー・マンデー」として「祝祭日(を記念した休日)を直近の月曜日に振り返る」というアイデアは、ただそれを実行するだけで良かろう。カレンダーにおける祝祭日の日付まで書き換えるのはやり過ぎだ。

例えば今月 10日は「旧・体育の日」であり、今年はそれが日曜日であるから、翌 11日月曜日が「体育の日」として休日となっている。しかしこれは、やっぱりおかしいと思うのだ。10月 10日は我が国の戦後復興を象徴する東京オリンピックが開幕した日であり、「体育の日」には、それを記念するという重要な意味がある。だからカレンダーにはこれまでと同様、10日の箇所に「体育の日」と表示し、黙って 11日を休日にするだけで良いんじゃないか。法則としてのハッピー・マンデーは、小学生にも理解できるほど易しい。わざわざ記念日まで移動しなくても、誰にでもわかるだろ。

祝祭日は歴史における時間的固有名詞のようなもので、安易にイジるのは良くない。さすがに「みどりの日」はハッピー・マンデーの対象から外れているが、まあそのようなものだ。日本にはないものだが、仮に「独立記念日」や「戦勝記念日」、あるいは「国恥記念日」などを移動しようとしたら、これはもう政治問題になるのは目に見えている。

目先の経済効果だけで祝祭日をどうこうするのは、歴史に対する冒涜である。それが文化国家のやることか。数年来、我が国で歴史教育に対する関心が高まっているが、その前にハッピー・マンデーを見直せと言いたい。というか、「ハッピー・マンデー」という名称をまずやめろ。日本語を使え。