T です。こんばんは。
昨日、一昨日に引き続き、「日記と JavaScript」について書く。というか、日を追って段々とテーマが拡散しているのだが、今日は「文章と、プログラム(に代表される人工的な言語空間)」ということで。
文章とプログラムは、ともに「言語」を用いて記述されるという共通点がある。言語を使用する際に避けて通れないのが「誤用」の問題である。誤用が発生するには、前提として「正規の表現」というものが存在しなければならない。それは大まかに言えば「文法」であったり、学術用語や人工言語であれば「定義」であったりする。その規格から逸脱した使用が「誤用」と呼ばれる。
誤用には様々なレベルがある。例えば「俺の頭髪は、黒い。」という正規表現に対し、「。の俺、黒いは頭髪」では全く意味を成さない。完全な誤用である。しかし、「黒い、俺の頭髪は。」程度の誤用であれば、ほぼ正確に意味が理解できる。のみならず、ある種の新たな効果を生み出しさえしている。多くの人がそれに気付き、真似をすることによって、最終的に「倒置法」という「正規の」表現の一種として認知されたりもする。
人工的な言語空間でも、このような現象が起きることがある。このサイトの文書をマークアップしている HTML という言語には、<TABLE> というタグがある。本来これは、文書内に表を挿入するためのタグなのだが、誰が始めたのか、<TABLE> タグの中に文書全体を埋め込み、それによって複雑なレイアウトを実現するという使用法が広く普及している。この使い方自体は規格から逸脱していない。それゆえにテクニックとして流布しているわけだが、しかし最初から想定されていた使用方法ではなく、元来の定義に基づけば「誤用」であるとも言える。
HTML は文書の構造を記述する言語として策定されたため、最初から「レイアウト」という概念を持たない。だから、<TABLE> タグによるレイアウトが「誤用」となってしまう。しかし人々は、HTML 文書にレイアウト表現を必要としたため、新たに「スタイルシート」というレイアウトのための体系が作られた。
上記の例では、別の体系を受け皿にし、元の言語から「誤用」を排除しているわけだ。一方「倒置法」のように、既存の枠組みの中に「誤用」を吸収する言語もある。誤用を排除するか吸収するかは、誤用のレベルや母体となる言語の性格によるのだろうが、結果として表現が豊かになったという点では同じである。
DNAの塩基配列に起きたエラーが生物を進化させるのにも似て、言語における文法上のエラーは、しばしば言語表現を進化させる。昨日の日記とは一部矛盾するが、我々は正確な表現に留意しつつも、誤用(あるいは受け手としての誤読)に対して、決して否定的なだけに終わらない注意を払う必要がある。そこには新たな可能性の生まれる余地があるからだ。
もっとも「誤用」は玉石混合で、しかも圧倒的に「石」が多いのだろうけれど。無理して深読みをすることもないが、意図的に「表現としての誤用」ができるようになればしめたものである。