「当然」は「当たり前」という意味なのに、どうして「当前」と書かないのだろうか、と不思議に思う T です。こんばんは。
全然関係ないが、今日の日記のタイトルは、今までで一番長いのではないか。
昨日の日記で、「作り上げたばかりのベクターには、原因不明のトラブルが意外とあったりする」と書いたそばからトラブル発生。予想とは違う分子量のバンドが出た。こうならないためにシーケンスを確認し、複数クローンから複数コロニーの大腸菌を取ってくるという、二重三重のセーフティネットを張ったはずなんだが。最初からトラブルの原因を潰しているため、皮肉なことに、実際に起きたトラブルの説明がつかない。どこも間違えていないはずなのに。
お疲れ、俺。
特別に好きというわけではなかったはずだが、いつの頃からか、水代わりにコーヒーを飲むようになっている。休日など、10杯くらいは平気で飲む。ブラックで、しかも煙草を吸いながら。これが身体に良いはずがない。疲れているときは、決まって腹がおかしくなる。特に先月は酷くて、自分でもわかるくらいに胃がガサガサになった。
そんなわけで、しばらく前からクリープを入れて飲むようにしている。俺が愛飲しているのはインスタント・コーヒーなのだが、さて、適切なクリープの量とはどれくらいなのだろうか、というのが最近の悩みである。俺が作っていたブラック・コーヒーの組成を、単純に「コーヒー: 湯 = 1: 9」としよう。これに、「コーヒー: クリープ = 1: 1」の割合でクリープを加えたい。コーヒー、クリープ、湯の混合比として、妥当なものが幾つか考えられる。順に検証していこう。
これは現在、俺が作っているコーヒーの混合比である。要するに、いつものブラックに、何も考えずにクリープを入れただけである。普通に考えれば、これが最も妥当なように思える。しかし、純粋にクリープを入れた分だけ、1杯当たりのコストが高くなる。濃度的にも、どうも腑に落ちない。
溶媒に対する溶質の比として見たとき、こちらの方がしっくりと来る。コストも低い。で、実際に作ってみたのだが、どうにもならない欠点がある。薄くてマズいのだ。
これは、ブラックと同じコーヒー濃度を追及した混合比である。試しに作ってみたが、確かにコーヒー (1) よりは旨い。ような気がする。注意しなければならないのは、コーヒー (1) と (3) の作成方法の違いだ。コーヒー (1) は、まず「コーヒー + 湯」で、いつものブラックを作る。しかる後にクリープを加える。コーヒー (3) では、最初からカップに「コーヒー + クリープ」を入れてから、ブラックと同じラインまで湯を注ぐ。
コーヒー(3)のメリットとして、攪拌の回数が 1回で済む点が挙げられる。逆にデメリットとして、単位容積当たりのコストが最も高くなる。湯の価格を 0 とすると、1杯当たりの値段はコーヒー (1) と同じだが、その「1杯」の量は (3) の方が少ないのだ。あ、いや、本気でそんなしみったれたことを言っているわけではない。あくまで数字上の話。
こんなことをせずとも、我が豪邸の近くに旨いコーヒーを飲ませてくれる喫茶店があれば問題ないんだがなあ。我が豪邸の近くには比較的大きな道路が走っており、そのため、各種飯屋、コンビニ、スーパー、酒屋、ガソリン・スタンド、本屋、古本/ゲーム/CD/レンタルビデオ屋、床屋、病院などなど、俺の生活に必要な、ほぼ全ての施設が徒歩5分の距離にある。しかし喫茶店だけがない。悲しいことである。