- 自然論

2004/08/30/Mon.自然論

正直、環境問題には関心のない T です。こんばんは。

俺が嫌いなのは、何かと方便に使われる「環境問題」である。そもそも、「環境」という言葉は漠然とし過ぎていやしないか。エコシステム(生態系)も「環境」ならば、俺が生活する 6畳間も俺にとっては「環境」だ。同じエコシステムでも、人間から見たものと、バクテリアから見たものでは丸きり違う。そこらへんをキチンと定義して、初めて「問題」になり得るんじゃないのか。

生物は「自然」か

美しい森林や小川の写真とともに「自然を守ろう」という趣旨のコピーが付けられた、環境保護を訴えるポスターを見るたびに思う。自然とは何だ? この問いへの解答は複数あるだろうが、その中に「生物」が入っているであろうことは想像に難くない。

本当に生物とは「自然」なんだろうか、と考えるのはヘソの曲がった俺だけか。しかしだな、零下何十度の地で、体温を 40℃近くに保ちつつ活動する動物や、年間降雨量数ミリという地で、その組成の 9割以上が水である植物などは、どう見ても不自然にしか思えない。不自然だからこそ、それを維持するのにエネルギーを要求する。不自然を維持するシステム、それが(個体レベルの)生命現象なのではないか。そのシステム自体も不完全である。システムの破綻、すなわち死がそれを証明している。

生物は不自然である。だから死ぬ。

不自然な自然

じゃあ自然って何よ、と最初の問いに戻る。解答から「生物」を除くと、残るは火星の地表のような茫漠たる荒野しかない。それではあんまりだと思うのは、我々が人間(=生物)だからである。まあ、そこまで考えが行き着くと、そもそも「自然」という概念自体が無意味なものとなるのだが。

火星の地表のような世界は、単純な物理法則にのみ支配される。生物学はサイエンス =「自然」科学ではない、とおっしゃられる数学者や物理学者にしてみれば、成程このような世界こそ自然なのかもしれない。という妙な納得もある。いや、嫌味でも何でもなくて。

こうなると「自然を守る」や「豊かな自然」という言葉は、ただの矛盾である。「守る」ことで「自然」ではなくなるし、「自然」に「豊か」もクソもない。そもそも、「守る」者も「豊か」と感じる者もいないのが「自然」なのだ。なんてな。これじゃあ、ただのニヒリズムだ。別に本気でこう思っているわけではないよ。