- ネットワークの向こう側 (1)

2004/06/11/Fri.ネットワークの向こう側 (1)

他人の日記というものは、それだけで面白いと思う T です。こんばんは。

最近、日本でも Blog が流行しているらしい。確かに、俺自身も Blog を見かける機会が多くなった。単なる一過性のファッションかもしれないが、流行るには流行るだけの理由があるのだろう。簡単な操作で洒落たサイトができるのも、それはそれで魅力的だし、頻繁にテキストを書くような人にとっては、管理作業の大半が自動化されている点に食指が動くかもしれない。コメントやトラックパッドなど、簡便なコミュニケーションツールも搭載されている。

特に俺が「欲しい」と思うのは、テキストをカテゴリごとに分類して、特定のジャンルについて書かれた文章だけをまとめて読む機能だ。あれは良い。一読者としても、あのカテゴリ機能は重宝している。例えば、俺が「Diary」として更新しているテキスト群も、明らかに幾つかのサブ・カテゴリに分類できる。大きく分けて、「日常生活」「時事問題」「サイエンス」「バイク」「歴史」といったところか。Blog を使えば、バイクについて書かれた文章だけを流し読みできる。「ここ 3ヶ月のツーリング頻度」といったものも、容易に把握できるわけだ。これは便利である。

現在、俺は自分で HTML ファイルを作ってサイトを管理している。Blog にも興味はあるが、しかし、どうしても「自分で 100% 管理できない」という点に引っ掛かりを覚える。いや、何も Blog ばかりではない。いつも我が掲示板に書き込んで頂いている方々には申し訳ないのだが、俺は他人が管理する掲示板に、滅多に書き込みをしない。自分が管理することのできない場に、自分の発言を残すという行為が、俺に軽い違和感を惹起させるのだ。

こう書くと、「何でも自分で管理できないと嫌なのか」と言われそうだが、そうではない。上の例で共通しているのは、それが「ネットワーク上にある」という点である。平たく言えば、ネットワークの「向こう」にいる存在(あるいはネットワークそのもの)を、俺は完全に信頼できないのである。

長崎の小学 6年生殺害事件
2004年 6月、長崎県佐世保市の小学校で、6年生の女児が同級生の女児にカッターナイフで首を切られて殺された事件。加害者の女児は犯行動機を、「掲示板で被害者の女児に中傷されたため殺そうと思った」と供述している。

前置きが長くなったが、本題は長崎の小学 6年生殺害事件である。事件の内容も驚きだが、事件に至る経緯にも、色々とビックリさせられた。まず、加害者・被害者とも、小学 6年生で自分のサイトを持ち、そして、そこの掲示板で交わされたやり取りが事件の動機になっている。ここでもう、俺には驚きである。いわんや、中年の方々においてはどのような反応があったことやら。

このような事件が起こった場合、必ず議論されるのが、「今の子供たちは仮想と現実の区別がついていないのではないか?」という問題である。が、俺から言わせれば、これは愚問である。ハッキリ言って、子供をバカにしているとしか思えない。

現代の子供たちは非常に賢い。これは、俺がボーイスカウトで小学生を指導した経験からも言えるのだが、今の小学生は、もの凄く「リアル」ということに敏感である。彼等にとっては、テレビゲームごときが提供する「リアル」のクオリティーなど、お笑い草でしかない。「ゲームがリアルになった」と喜んでいるのは、ファミコン世代、つまり俺の年代のオッサンである。

1980年生まれ、今年 24歳の俺でも、小学生とはこれだけのギャップがある。白黒テレビを正座しながら観賞した御老体には、とてもじゃないが扱いきれない問題だ。そもそも、問題の設定自体がおかしい。この事件でクローズアップするべきは、「コンピュータ、ゲーム、ネットワーク、これらは果たして本当にヴァーチャルなのか?」という問題である。何をもって「現実」とするか、そして何が「仮想」なのか。リアル/ヴァーチャルを規定するパラダイムは、大きく転換しつつある。

素朴な疑問を投げ掛ける。コンピュータ、ゲーム、ネットワーク、これらは「現実に」存在する。それのどこが「ヴァーチャル」なわけ?「ヴァーチャル」は、それを「ヴァーチャル」と認識する人の頭の中にしか存在しない。だからこそヴァーチャルなわけなんだが。

今の小学生にとって、携帯電話でネットワークに接続することは、冷蔵庫で食品を冷却するのと同じくらいに「当たり前」なことだ。まさか冷蔵庫をヴァーチャルという人はいないだろう。彼等にとって、大人が「ヴァーチャル」と言うものは、実はその程度のヴォリュームの「リアル」でしかない。

我々が冷蔵庫に寄せるレベルの信頼を、彼等は無意識にネットワークの「向こう」にも寄せる。しかし、やはりこれは間違いだ。ネットワークも、コンピュータも、ゲームも、それはテクノロジーの産物で、「リアル」であるのかもしれない。だけど、ネットワークの「向こう」は、そうじゃない。

……長くなるので、次回に続く。