- 皇室典範改定問題

2004/05/29/Sat.皇室典範改定問題

保守的ではあるが、ただ頑迷なのはいかん、筋は通っていなければと思っている T です。こんばんは。

皇室問題
2004年 5月、欧州歴訪を前にした会見で、皇太子殿下が「雅子(妃殿下)の人格を否定する動きが一部にあった」と異例のコメント。また、この時点で皇室には直系の皇太孫がおらず、愛子内親王の即位を可能にするべく皇室典範を改定するかどうか、盛んに議論されていた。

長くなるが、最近、少し騒がしくなっている皇室問題について書く。俺個人としては、皇室・皇族というものに、日本人として素朴な敬意を抱いている。日本国民の象徴として、「ザ・日本人」を貫かなければならないという使命は想像を絶する。激務を厭わず、日本を憂い、全日本国民のために完璧な平常を保ちきったままの生活というのは、どれほど大変なことであろうか。また、歴史好きとしては、本朝の歴史において重要な役割を果たし続けてきた家系である点も見逃せない。

さて、そこで皇室典範改定問題だ。現在、皇位継承順位第1位の皇太子殿下には、愛子内親王しかお子様がおられない。皇室典範では、皇位の継承は男児に限ると規定しているから、このまま男児の御誕生がなければ、早晩ややこしいことになるのは明白。混乱を避けるため、早期に皇室典範を改正し、女帝の即位を可能にするべきではないか、というのが改定派の主張だ。

この意見は耳障りが良い。加えて、お得意の「海外では」というヤツがある。英国のエリザベス女王を始め、海外の王室には女王、女帝の例が多数ある。さらに男女平等という世界的な流れ。皇室典範といえども、それは日本国憲法に基づいた法律である。主権者である国民の意思で改定は可能だ。ま、一見、筋は通っているように見えるわな。

しかしだな、と俺は思うのだ。皇室といえども、家庭ではないのか? ある家庭が、誰を跡目にするかで悩んでいるときに、ゴチャゴチャと他人が干渉しても良いのか? 大きなお世話だろう。俺としては、まず、今上天皇陛下がどのように考えておられるのかが知りたい。全てはそれからだろう。天皇家は単なる家庭ではない。皇室典範に「皇位は男児が継承する」と書かれてあるのは、それは何も前時代の価値観に基づく男尊女卑の思想に毒されているからではない。天照大神が言ったからだ。古事記に書いてある。

あ、もう少し我慢して読んで頂きたい。俺は何も国粋主義者ではない。よろしいか。現代でも「御先祖様の言いつけ」を守っている家庭はあるだろう。天皇家も同じである。実在の人物じゃないではないかという議論は成り立たない。誰だって、実際に会った御先祖様など、曽祖父母が限界ではあるまいか。それ以前の御先祖様の言いつけを守っている家庭は沢山ある。天皇家は、そのスケールがやたらデカいというだけの話なのだ。そして、その「言いつけを守っている」こと自体がアイデンティティとなり得る。茶道、華道、歌舞伎。基本的な構図はこれらと同じ。否、天皇家をオリジナルとして、これらはそれをマネしているのだとも言える。プチ天皇家だな。

逆に言うと、男児がいるにもかかわらず女帝が即位したその瞬間、天皇家は天皇家たり得なくなってしまうのではないか。それが俺の心配の正体である。

わかりにくいだろうか。ならば、女が演じる歌舞伎、男が舞台にあがる宝塚を想像して頂きたい。その時点で、それは果たして歌舞伎や宝塚と呼べるだろうか。似て非なるものになりはしまいか。そういう危惧である。形と本質は分けて考えられやすい。しかして、「形こそ本質」という思想が大成したのも日本ではなかったか。伝統技能で、最初にやらされるのが型稽古。形なくして本質なし。形に本質は宿る。形を繰り返すことで、その形そのものが本質となる。

ううん、うまく説明できないなあ。只管打坐という良い言葉もある。これとて禅なのだが。不立文字か。上手に言い表すことができないのも無理はない。

ま、そういうわけで、現時点で俺は皇室典範の改定に反対である。ところで、この問題で俺が再確認したことがある。皇室典範を改定しよう、という気運が高まったのは、愛子内親王が御誕生されてからである。もしもですよ、女帝を認めないのがおかしいと本気で思っているのなら、それは愛子内親王以前から議論されていてもおかしくはなかったと思いませんか?

要するにこれは、法律論ではなく感情論なのだ。法律論であるならば、皇室典範が作られる(作られた)ときに、「女帝を認めないのはおかしい」と議論されなければならない。ということは、皇室典範が作製・公布されたとき、誰一人として「天皇は男」ということに違和感を持っていなかったということだ。これが一つ。

ところが、今は反対に、皇室典範が足かせとなって、直系の男児がいない状態となってしまった。国民の本音は「皇統が絶えるのではないか」という心配にある。そのココロは「天皇家は存続してほしい(存続するのが当たり前)」である。潜在的に日本国民はそう思っている。それが不安となって噴出したのが、昨今の皇室典範改正問題ではないか。これが二つ。

そして、冷静に考えてみると、皇室典範が「皇統が絶えるときはどうするのか」というケースについて、何も考慮されずに作製されているという事実。この、最も単純にして最も危機的なケースについて、皇室典範は何ら選択肢を用意していない。つまり、皆「天皇家が絶える」場面が思い描けなかったということ。これが三つ。

凄いよなあ。上に書いた「天皇は男」「天皇家が存続するのは当然」「天皇家が絶えることがない」、この三つの幻想は、無意識のレベルで、完全に日本国民に刷り込まれている。これぞ歴史の力。

本人も気付かない潜在的なリスペクト。それを全国民から集めている天皇家。この関係がある限り、当分は楽観していても大丈夫なんじゃないかな、というのが俺の感想である。何せ、それが「この国のかたち」なのだから。