- Diary 2004/02

2004/02/29/Sun.

何事に対しても保守的な T です。こんばんは。

電子辞書というものの便利さは認めるが、やはり辞書や辞典というのは、面倒臭くても自分で引く方が良い。分厚くて重くて、殴れば人を殺せそうなくらいデカい、そんな辞書が好きだ。要するに、書籍というハードウェアが好きなのである。だから、昨今取り沙汰されている電子書籍というものには、基本的に興味はない。

書籍というハードが宿命的に持つ問題は、情報量と体積が比例するということだろう。辞書が巨大になるゆえんである。しかしそれは、一目で外見的な情報量がわかるということでもあるから、一概に否定されるべきでもないだろう。

ところで、このハード・デザインがどう考えても不利益にしか働かないジャンルの書物がある。探偵小説だ。俺が最も愛読する分野の小説であるが、これに今までどれだけ泣かされてきたことか。探偵小説の魅力的な要素の一つに「どんでん返し」がある。ダミーの解決編(真犯人)が用意されており、読者が「こいつが真犯人か」と思ったところで、「いや、それは違う」「本当の真犯人はこいつなのですよ」と、ひっくり返すことによって、更なるカタルシスが味わえる仕組みである。

ところが、まだ小説が 100ページも残っている段階で解決編が提示されても、「これだけページが残っているんだから、これはダミーだな」と気付くわけである。これが悲しい。読者が真犯人の見当がついていない場合でも(つまりソフトウェアの設計は完全でも)、ハードの限界によって、ダミーがダミーとバレるのである。

電子書籍というものは、恐らく PDA のようなハードで読むようになると思うのだが、そうだとすると、情報量に関わらず体積は一定である。残りのページ数がわからなくなるのだから、誠に喜ばしい(当然、残りページ数を表示する機能は搭載されるだろうが、OFF にする選択肢も用意してほしい)。

こと探偵小説に限っては、電子書籍で読むようになるかもしれない。

2004/02/28/Sat.

引きこもりを続けている T です。こんばんは。

たった 1日とは言え、通帳の預金残高が 894円になったのには自分でも驚いた。3桁てアンタ。引きこもりなどとうそぶいているが、実際問題として、動くに動けないわけだ。外に出れば金がかかる。実家にでも帰省すれば良いのだろうが、いつ就職関連の連絡が入ってくるかわからない今の時期では、それも難しい。我が豪邸を1週間以上も不在にするのは、かなり勇気のいることだ。

「人はパンのためのみに生きるにあらず」などというが、形而上のもののためのみに生きているわけでもない。パンのためにも生きている、というのが、少なくとも俺にとってのリアリズムだ。

この方向で話を進めると愚痴になりそうなので話題を変える。YAHOO! BB の顧客 450万人分のデータが流出した事件だが、このサイトのアドレスを見ればわかる通り、俺もその中の一人なのである。事件が報道された日に、プロパイダから「お客様のデータが流出している可能性がある」というメールが来たのだが、今日、新たに「流出した中にお客様のデータが含まれていたことを確認した」という報せが来た。今のところ二次流出は確認されていないが、怖いことである。

メールの内容を信じるならば、漏れた情報は氏名、住所、電話番号、メールアドレスなどで、幸いなことにパスワードやクレジットなどの信用情報ではなかったらしい。この 100バイトほどの情報が漏洩したことでわかったことが二つ。

  1. YAHOO! BB では、信用情報は別に保存されているらしい。
  2. 流出したデータは 100バイト × 450万人 = 450 MB である。

問題は2である。まあ、生のテキストデータではなかったのだろうが、アプリケーションファイルであったとしても、CD-ROM に収まる容量ではないか。犯人が内部犯であって、彼(ないし彼女)が、データの入ったパソコンから直接にディスクを焼いていたのなら笑えるな。セキュリティ甘すぎ。

2004/02/26/Thu.

「今の日本のポップスなんてクソ」と断言してはばからない T です。こんばんは。

洋楽一本槍の俺だが、決して日本の歌をバカにしているわけではない。とりわけ俺が生まれる以前の、そう、ポップスが「歌謡曲」と呼ばれていた頃の歌には、数多くの名曲があると思っている。

無性に歌謡曲が聴きたくなって、ピンクレディーのベスト盤を借りてきた。素晴らしい。今聞いても、とてつもなくポップでモダンだと思う。全然古くなっていないのには驚いた。むしろ、現在の日本で売り出したら、当時ほどの爆発的なヒットにはならないのではないかと思うほど新しい。

これは何も流行が変わったとか、そういう意味ではない。果たして今の流行の潮流には、ピンクレディーを認めることのできる余裕があるのかな、という危惧である。今のヒットチャートをにぎわしているのはラブ・ソングばかりじゃないか。歌い手の歌唱力の低下は、一部を除いて目を覆うばかり。編集の技術は格段に進歩しているはずなのにこれだから、もう言葉もない。

やっぱり昭和というのは凄い時代だったのだなと思わされる。ミュージック・シーンばかりではない。映像を見渡してみろ。リメイク、リバイバルばかりじゃないか。ビートたけしの「座頭市」にしろ、TV ドラマの「白い巨塔」にしろ、一体いつの作品なんだ。反対に、平成になってから、次の世代にも語り継がれそうなものができたか。はなはだ疑問である。

少し話は変わるが、「白い巨塔」のリメイクに関して、本当に問題にしなければならないことがある。あのな、これは医学部、病院の腐敗を告発して話題になった作品だろ? その題材が、今でも通用するというのが一番の問題じゃないのか。何も変わっていないということだろ? どうしてリメイクが歓迎されるんだ? まず嘆くのが、普通の感覚じゃないのかと思うのだが。

2004/02/24/Tue.

相変わらずダラダラしている T です。こんばんは。

久し振りに日常のことをダラダラと書く。金曜の夜にバイクでラボに行ったのだが、実は帰りに、まさかの転倒を喫してしまったのだ。幸い、バイクには傷一つ付かなかったのだが、倒れたショックでバッテリーがおかしい。寒空の下、交差点の明かりで応急処置をして、何とか我が豪邸までは帰還できたのだが、そのせいで風邪を引く羽目に。

バッテリーは応急処置をしただけだったので心配だったのだが、案の定、次の日には完全に上がってしまい、エンジンがかからない。月曜日、仕方なくバイク屋にバッテリーだけ持っていって充電してもらった。

今日、充電が済んだバッテリーを引き取ってバイクに取り付けようとしたのだが、ネジ受けがない。バッテリーの電極に配線をネジ留めするのだが、そのネジを固定する細かい部品 2個を紛失していたのである。バッテリーの持ち運びに使ったカバンの中を探して一つは見付けたものの、もう一つはどこを探してもない。駄目元で、最近できた近くのバイク屋(充電してもらった店とは別)に行って、ネジ受けがないか聞いてみた。

こんな小さなパーツはバラ売りしていないだろうなあ、と思ってはいたのだが、やはり販売なんかしていないとのこと。しかし、干上がってしまって捨てるだけのバッテリーがあるから、と言って、そこからネジ受けだけを無償で頂いた。有り難いことである。客商売はかくあるべし。今度、お礼にこのバイク屋でも何か買わんとアカンなあ。

無事解決した後、ネット上で就職活動を少し。そのまま 3D のモデリングをチマチマと。日常生活で3次関数を使う唯一の機会なので、せいぜい頭を動かす。たまにはやらないと、頭も腕も錆びつく一方だ。

昼寝して、夕方起きると、いつの間にか鼻水が止まっていた。嬉しい。

2004/02/23/Mon.

ダラダラしている T です。こんばんは。

風邪をひいている。今日も朝のラボ掃除だけに参加し、その後、郵便局で用事を済ませてから、すぐに帰って寝た。まあ大して重症でもないのだが、春休みにもなった?ことだし、まったりしている。

どうもバイトを辞めてから、生活力が減退したような気がする。午前 8時から深夜 1時まで、講義 > 実験 > バイトなんていう生活をしてたのになあ。その上、寝酒と称して結構呑んでたし。今じゃあ、普通に呑んでも当時ほどの量は呑めない。ホント、情けなくなる。肝心なときに動けないようでは困る。やっぱり、何事も足腰が強くないとな。

もっと速く走る車やバイクは、原理的には簡単に作ることができる。ただ、その速度に耐え得るタイヤがまだない。CG だって、もっとリアルにするためのプログラムが研究されている。しかし、そのソフトウェアが走るハードウェアがない。多分、作れないことはないんだろうが、コストが凄いんじゃないかな。

ソフトの方が大事なのはわかっているが、あれは面白いから、言われなくても誰かが進歩させるんだよなあ。その点、ハードやインフラってのは意識しないと中々整備できない。しかも、誰もそんなのに金(とか時間とか努力)を使いたくない傾向がある。

生活をインフラ、身体をハードと考えると、やはりあまり気を使ってない。もっと大事にしよう。

2004/02/22/Sun.

鼻水が止まらない T です。こんばんは。

ただ日常を垂れ流すだけでは芸がないと思い、数カ月前から、意図的に読み物めいた体裁の日記を書こうと努力している。毎日は中々難しいのだが。新聞や雑誌によくあるような、目の休め所としてのコラムのような感じで書いている。実際に書いたことはないけど。

特に気負っているわけでもないが、唯一の心構えとしては、何らかの普遍性があればなあ、ということだろうか。いや、別に個人的なことでも構わないと思うのだが、一つでも普遍的なことでも書いてあれば、後から読み返すときに面白いかも、という期待がある(この日記の最終的な目的は、10年後に自分で再読して楽しむことなんで……)。

一口に普遍性といっても、そこには様々な幅があるわけで、「普遍」=「いつ、どこで、誰にでも通じる」といった、辞書通りの可能性はハナから信じていない。要するに、この日記が日本語で書かれている時点で、その内容の普遍性は、日本語が読める人という集合に最大範囲が限定されてしまう。限定的普遍性というと、語として破綻しているようだが、それが実際のあり方ではないか。英語だって、誰もが読めるわけじゃない。

日記の内容によっては、俺のような保守的な男性にしか通じないような普遍性を示すこともあるだろう。ここまで限定されると、それが果たして普遍と言えるかわからないが、うまい日本語がない。ネイティブじゃないので自信はないが、これが恐らく「ローカル」ということではないか。「local」に対する、しっくりとした単一の訳語がないという事実は、多分、日本人の島国単一民族という性質に由来すると思う。

こういう人間から見ると、「いつ、どこで、誰にでも通じる」という「グローバル」なる思想は、誇大妄想の産物としか思えない。憶測だが、これはキリスト教の影響が大きいのではないか。

文化はローカルで、文明はグローバルだと言ったのは、確か司馬遼太郎だ。突然思い出した。記憶があやふやだが、『アメリカ素描』という紀行文で書いていたと思う。文化は不合理で、文明は合理的とも書いていたんじゃなかったかな。< 今日の日記の中で、一番普遍的な情報。

2004/02/21/Sat.

精神の貴族を自認する T です。こんばんは。

精神の貴族という時点で、そいつには現実世界での財力はないことがわかる。財力もあればどうなるか。それを単に貴族という。貴族なんてなくなったことだし、ならば精神の貴族でも良いから標榜するに越したことはない。でも、本当の貴族は、ちゃんと庶民からは見えないところに存在するんだろうなあ。というのはロマンチックな幻想であろうか。是非、いてほしいものである。

ここ数年、「豊かさ」を巡る議論が騒がしい。こういう抽象的な事柄を瞬時に説明できる人は、本当に語彙力が豊富だということがわかるので、良い機会だから色々な人に聞いてみるのも面白い。俺の言葉で言うならば、「豊かさ」とは「選択肢の多さ」に他ならない。「貧乏子沢山」というのは、実はそういう意味である。娯楽が交合くらいしかないので、自然とそうなる。金持ちは娯楽の選択肢が豊富なので、子供は少ない。そう勝手に理解している。別に押し付けるつもりはないが。

今日は「贅沢」に関してブチ切れた。とある広告で「高い食事で贅沢を」みたいな意味で使われている。アホか。高いには高いなりの理由があるわけだろう? 美味い食事に高い金を払うのは当然。それが資本主義じゃないのか。どいつもこいつも貧乏臭い。言うまでもないが、貧乏臭いのと貧乏は違う。

「贅沢」というのは「無意味、無価値、無駄、無為を自覚しつつそれを楽しむこと」ではないのか。贅沢という言葉は、そういうポジティブな意味を持っていると思う。いつから「貧乏人が(貧乏人にしては)多額の金を使う」というネガティブな意味になったのか。そういう行為には「分不相応」という立派な言葉が別にある。俺の辞書がおかしいのか。

俺は貧乏だが(学生だからそれで良い)、それでも分不相応ではない贅沢はできる。例えばこのサイトだ。誰からも注目されていない人間が、自分の意見や作品を好きなだけ開陳できるネットというのは、実に贅沢な場だと思う。だからこれだけ個人のサイトがあるのではないか。

誰が読んでいるのか知らないし、1日で数十のオーダーだが、それでも毎日カウンタが回っている。実に贅沢な気分になれる。いつも読んでくれている方々、ありがとうございます。と綺麗にまとめてみたり。

2004/02/20/Fri.

引きこもっていた T です。こんばんは。

年度末報告書も出した、卒論・修論発表会にも参加した、ということで、ここ 2、3日、我が豪邸でゲーム三昧の日々を送っていた。こんなことでタガが外れる自分が情けない。ちゃんとしないとなあ、というのはわかっているのだが、これが中々できないのは誰にも経験のあることだと思う。

線虫を見に行ったのだが、前から不安定だった形質転換体が、ついにマーカー遺伝子を発現しなくなった。いつか安定化するのではと期待しつつ継体していたのだが、案の定、そうはならなかった。こうなることはわかっていたのだが、インジェクションし直すのが面倒だったのだ。やはり中々できない。

(言い訳させてもらえるならば、バカみたく単に安定化を待っていたのではない。他の遺伝子の形質転換体もあり、インジェクションよりも優先的に、そちらの解析を行ってはいた)

ベランダにゴミが溜まっている。中々出せない。流しに汚れた食器が溜まっている。中々洗えない。書かなければ行けない履歴書が何枚かある。中々書けない。切羽詰まらないと、中々できない。人間なんてそんなもの、と半分以上は諦めてはいるのだが、それでもなあ、と思ってしまう。

2004/02/17/Tue.

修論発表会を傍聴した T です。こんばんは。

いくら口頭とはいえ、2年間の研究内容を発表するのに 10分という時間は短過ぎないか。それならまだ、卒論のようにポスター発表の方が良いのではないか。どちらにせよ、5分という質問時間の大半が愚問で占められていたのは残念だ。考えてから質問しろよ。内容によっては、質問する側が恥をかくことだってあるんだぜ。

俺が発表するまで、あと丁度 1年か。短いなあ。ああ、ヤダヤダ。

2004/02/16/Mon.

咽頭筋の勉強をしている T です。こんばんは。

卒論発表会があった。O君、K.N.嬢、お疲れさまでした。

思えば、俺が発表してから丸1年が経ったんだよなあ。早いなあ。俺の場合、卒論前にタイに行ったりしていたので、論文やポスターは早い時期から取りかかっていた。スケジュール的には余裕だったのだが、それゆえに幾度となく繰り返されるチェックにうんざりし、発表直前はラボに行ってなかったんだよなあ。発表日の朝にポスターを印刷しようと考えていて、直前まで何も用意していなかったら、当日の早朝に Dr. H から「今日、卒論発表って知ってる?」というメールを頂いたんだよなあ。懐かしいなあ。今考えるとスゴいメールだよなあ。心配をかけた俺が全面的に悪いんだが。若かったなあ。

2004/02/15/Sun.

今夜もヒゲマン氏に車で送って頂いた T です。ありがとうございました。こんばんは。

段々と暖かくなってきた。今週は暖房も使わず、炬燵だけで充分だった。今の実験が一段落つけば、春休みにもなることだし、久々にバイクで遠出をしたいと思っている。行き先も決めずにブラリと出発できるところがバイクの良いところだ。どこにでも停車できるし。

車だって同じではないかと言われそうだが、やはりバイクの解放感は捨て難いものがある。寒くて鼻水垂れ流しながらでも乗る価値はある。それだって強がりにしか過ぎないのだが。ま、強がってまで弁護したいものがあるのは幸せなことだと思い、自分の好きにすることにしている。他人に迷惑をかけない限り、それが一番ではないか。

一度、死ぬまでに読むことができる本の数を計算したことがある。これが驚くほど少ない。小さな書店の品揃えにも及ばないではないか。それ以後、半ば強迫観念的に自分に課していた、体系的な読書をやめた。読みたい本だけ読めばいいんじゃないか。これは読書だけに限らない。びっくりするほど、時間は少ない。

2004/02/14/Sat.

日記では怒っていることが多いよなあ、と反省している T です。こんばんは。

アンチ・クリスマスの俺は勿論、アンチ・バレンタイン・デーでもある。冷静になって考えてみると、バレンタインって人名じゃないか。つまり「バレンタイン・デー」というのは、英語圏の感覚では、「田中の日」とか「山田デー」と名付けられた日にチョコレートを送って愛の告白をしているのと同じになるわけだ。気違いじみている。

「田中の日」に、嫌いな上司にまで義理チョコを配ることができますか貴女。

いい加減、横文字なら何でも格好良いと思うのはやめたらどうなんだ。俺が怒っているのは、まさにそういう点にである。実に下らない。

最近は、新聞ですらカタカナ語を乱用しており、まともに読む気がしない。マニフェストにインフォームド・コンセント。更には、アルファベットの頭文字まで使う始末。DV に ED か。笑わせるな。日本語使え。

2004/02/11/Wed.

鉛筆で文字を書く習慣がすっかりなくなってしまった T です。こんばんは。

昔々、ワープロという機会が出回り、それを使って小説を書く作家が誕生し始めた頃、「ワープロで文章を書くと文体が変わるのではないか」という議論があった。この命題は大いに物議を醸し出したのだが、あまりの利便性と生産性からワープロ、そしてパソコンの普及が爆発的に進み、ワープロ世代の作家が名声を獲得するようになると、この話題は下火になった。現在では「キーボードなんかでまともな文章が書けるわけがない」という主張は化石のような扱いをされている。誰もこの話をしなくなった。

「キーボードでまともな文章が書けない」という極論には賛成しかねるが、俺は「手書きとキーボードでは文体が変わる」という主張については、これは本当ではないかと思っている。

京極夏彦以降、雨後の筍のように増殖した、難読漢字を駆使した文章などは、やはり IM(かな漢字入力変換ソフト)の強力な変換機能による恩恵が大であろう。また、キーボード入力による生産性の向上が、一群の長編小説を可能にしたのは恐らく事実である。結果、そのような大長編を読ませるための文体というものが新たに誕生したと思うのは俺だけだろうか。

手書きからキーボードへ。開放された面もあるし、制約を受けた面もある。それだけのことなのだが。

一般人の俺がここで日記を書いているように、ネット上で読める文章の量は本当に増えた。睡眠前のささやかな読書欲を満たすくらいなら、わざわざ本屋に行かずとも事足りる。活字中毒者には良い時代だ。さすがに、一般書籍並の(代価を払っても良いと思えるくらいの)文章にはなかなか出会えないのだが、それでも色々と読んでいるうちに、昔のことを思い出したりしたのですよ。< 何歳だ、お前は。

2004/02/10/Tue.

明日から吉野家の牛丼が販売中止となり、また一つ食事のローテーションが減ることになる T です。こんばんは。

昨夜は遅かったので昼頃まで爆睡していたのだが、目覚めて着替えようとクローゼットを開けたところ、

バキンッ

という音とともに、取っ手だけがスッポ抜けてしまった。しっかりと握りしめた取っ手を見つめて呆然とする俺。服、着れへんやん。取っ手は基部から引き抜かれており、クローゼットからはネジがこちらを向いて飛び出している。簡単には直りそうもない。何とかクローゼットを開けようとしたが埒が明かないので、仕方なく、外に干していたシャツ(まだ湿っている)に、スーツのズボンでラボへ行くハメに。何てこった。

2004/02/08/Sun.

昼間から酒を飲んでいた T です。こんばんは。

年度末になるとアンケートに答える機会が多くなる。特に大学関係のアンケートはくだらない。答えるのも馬鹿馬鹿しい。理由は質問の悪さだけではない。アンケートの実施者が本当に回答を望んでいるわけではないだろうというのが、回答者にも伝わってくるからである。そんなアンケートが役に立つはずがない。

良いアンケートの条件を考えるに、

  1. アンケートの目的が明確であり、
  2. そのために必要最小限の質問で構成され、
  3. アンケート実施者の誠意が感じられること。

これらが重要ではないかと思う。特に (3) は、回答者のプライバシー保護、アンケート結果のフィードバックなど、様々な要因に関係してくる。決して見逃せないポイントであるはずだ。

そこで突然だがアンケートを作ってみた。この日記の読者としての適性検査である。

1:男である。
はい。 いいえ。
2:ヤカンのことを「ケトル」という奴は嫌いだ。
はい。 いいえ。
3:今この瞬間、自宅をガサ入れされても困らない。
はい。 いいえ。
4:「タイタニック」は未見である。
はい。 いいえ。
5:「愛」とかって、正直笑える。
はい。 いいえ。
6:食事はクオリティーよりコスト・パフォーマンスで選ぶ。
はい。 いいえ。
7:周りで評価されているよりは人情家だと思う。
はい。 いいえ。
8:参加するより観察する方が好きだ。
はい。 いいえ。
9:底意地の悪いリップ・サービスをしてヒドい目にあったことがある。
はい。 いいえ。
10:ポエムは実にキツい。
はい。 いいえ。

さて、いかがだろうか。すでにおわかりだと思うが、「はい」の数が多いほど適性が高い。適性が高いからといって、何ら誇るべきものが存在しないというのは残念なことだが、気にしないことだ。

0〜5点
このサイトよりも、もっと貴方のフィーリングに合うサイトが、広い世界にたくさん存在します。御来訪ありがとうございました。
6〜7点
まだ引き返せます。これからはヤカンを「ケトル」と呼び、今から「タイタニック」を見て愛を賛美し、お洒落な店で食事をしましょう。多分、ここの日記を読む貴方は、いつも何かが引っ掛かっておられたのではないでしょうか。そんな小骨がノドに刺さったような感覚とも今夜からは Good-Bye! 今すぐブラウザを閉じて街に出かけよう。寒いって? 大丈夫。息を吐いてごらん。白いでしょう?
8〜9点
ようこそいらっしゃいました。これからも御愛顧の程、よろしくお願い致します。
10点
俺。

2004/02/07/Sat.

今夜もヒゲマン氏の車で送ってもらった T です。ありがとうございました。こんばんは。

DNA の塩基配列を二つ比較した。一致する塩基が約 50% ある。一応、相同性があると言えるのかもしれないが、DNA の塩基は 4種類しかない。デフォルトでも 25% の一致率が期待できるわけだ。

逆に言うと、相同性が限りなく 0 に近い二つの配列というのは、何者かの意志によって全く違う配列としてコードされていることにならないか。何となく、そんなことを考えた。

2004/02/06/Fri.

今夜はヒゲマン氏の車で送ってもらった T です。ありがとうございました。こんばんは。

BSE 問題で米国産牛肉が禁輸となり、存続が危ぶまれた吉野家が、その危機ゆえに駆け込み需要で売り上げがアップしたという。あり得ないことだが、これが吉野家と米国政府が仕組んだ芝居ならば、マッチポンプどころか、株式でのインサイダー取引に当たる頭脳プレイといえる。これを違法とする法律が我が国にあるのか。もしないのならば、原材料の提供側とその加工側が組めば、この不況の中でも売り上げ増を演じることができるかもしれない。

「デジカメの普及で画素部品の供給が困難になる見通し」とリーク > デジカメ駆け込み需要発生

なんてな。一昔前のパソコン用メモリのようだ。ま、やり過ぎると狼少年の二の舞いになるし、企業の信用が重要視される昨今、あまり勧められたものでもない。しかし本当に悲しいのは、駆け込み需要が発生しない場合だ。「なくなるの? あ、そ」なんて言われた日には泣くに泣けない。

アナリストがこの手のリークを駆使すれば、関連企業のブランド力を評価できる可能性もある。駆け込み需要あり、前途有望。駆け込み需要なし、激しく落ち目。という具合。ここで前途有望と判断された会社の株を買う。供給機器が去った場合、再び株価は上がるだろうから、儲かること間違いなし。って、これはインサイダー取引そのものではないか。

2004/02/05/Thu.

久し振りに学食で昼飯を食った T です。こんばんは。

後ろの席に留学生 2人が座って会話をしていた。英語だったので、何となく聞いていた。ところが、言っている意味はわかるのだが、話の筋についていけない。

なんでなんで? どうしてそういう結論になるんだオマエら。などと突っ込みを入れたいのを我慢しながら聞いていた。飯は食い終わっていたが、会話の着地点が気になって出ていけない。俺の混乱をよそに、やがて 2人は俺にとって不可解な結論に合意して席を立った。取り残される俺。

どうも最初の方で「disadvantage」を「this advantage」と聞き間違えてしまったらしいことに気付いたのは、食後の一服をしてからだった。そりゃ理解できんわ。

2004/02/04/Wed.

昨日履いていた靴下を今日も履いて行った T です。こんばんは。

だって洗濯物が乾かないのだから仕方がない。その前に、着るものがなくなってから洗濯機を回す俺の生活態度に問題があるのだが。でも、男の一人暮らしってそんなものじゃないか。米を炊く前に炊飯器を洗うところから始め、掃除するにはまず掃除機を探し出すところから始まる。それが嫌なら、汚い部屋でコンビニ弁当を食べるしかない。実際、そういう生活を送っている。

こんな暮らしをしていても「男だから」といって澄ました顔をしていられるのは有り難い。この手の男女差別は、是非とも 22世紀まで残ってほしいものだ。

2004/02/03/Tue.

夢は比較的よく見る T です。こんばんは。

昨夜の夢は凄かった。あまりに素晴らしく、感動して目が覚めた。こんなことは初めてだ。目覚めてからも布団の中で何回も何回も反芻した。そんなことをしているうちに泣きそうになった。何てことだ。この俺が。

忘れるのが勿体なさ過ぎて、心の揺れが新鮮なうちに書き留めておこうと思い、パソコンで誤字脱字もお構いなしに急いで打ち込んだ。一通り書き上げ、まだ頭に残っているディティールを加えているときも感動しっぱなしだった。夜中にも関わらず、誰かに電話して、自分が見た夢とその感動を語ろうかと本気で思った。

冷静になって夢の内容を読み返してみると、これは他者との共有が難しい種類の感動であることにようやく気付いた。そもそも、夢の舞台、登場人物、ストーリー、全てが過去の俺、現在の俺の個人的な体験からなるものばかりで、他人にとっては意味不明のエレメントの連続にしか過ぎない。他者には説明不可能だ。それを再構成して、普遍的な質の感動にするのは、作家レベルの構成力、筆力が必要に思われた。また、たとえそういう風に再構成できても、そこからこぼれ落ちるものの方が圧倒的ではないかとさえ思う。

今回の夢では、昼間の残滓や過去の経験が、かなり生に近いイメージで現れていた。各エレメントは、あまり抑圧や変換を受けていない。要するに、どうしてそんな夢を見たのか、その原因がはっきりと自覚できる。そしてまた、その一つの解答として、脳がこのような夢を俺に見せたのだと気付いたとき、深くにも再び感動してしまった。自分が原因の問題に、自分の脳が答えているだけなのだが、まるで俺を隅々まで知る人間が最良のアドバイスをくれたような錯覚に陥り、大いに勇気づけられたのだ。

やはり言葉にするとアホっぽいなあ。最初から正確に伝えることは不可能だとは思っていたけれど。それでも書かずにはいられないほどの感動だったのですよ貴方。ああ。もう一回、夢で見たいなあ。

2004/02/02/Mon.

意志疎通というのは難しいと思う T です。こんばんは。

例えば、俺がある女性を軽んじるような発言をしたとする。するとその女性は「またそうやって女をバカにする」と俺を非難する。

「いや、別に女性をバカにしたんじゃない。貴女をバカにしただけなんですよ」

などと本当のことは口が裂けても言えないから、黙ってしまうか謝るしかない。こういう理論のすり替えをされると困る。しかしながら、これはよくあることだし、俺だって気付かぬうちにやっているに違いない。

何かを論評するときに他の例と比較するのは本質的に無意味であること、発言者の中身と発言内容は本来無関係であること、理論と比喩は全くの別物であること。こういった事柄を理解するのは容易だが、常に意識の表層に置いておくことは難しい。

なんてことを、とある評論集を読んで思った。やっぱプロはこうでなくちゃ。満足。

2004/02/01/Sun.

一部ではその爆睡ザマが有名な T です。こんばんは。

元から眠りは深い方なのだが、ここ 1週間、目覚ましの音が聞こえないほどに熟睡してしまって困っている。睡眠時間が足りないのではない。少し多めに、7〜8時間は寝ている。二度寝でないのは、目覚まし OFF のボタンが押されていないことからも証明されている。結局 10時間ほど寝ている。起きると、決まって後頭部と咽頭が痛い。後頭部に関しては寝過ぎだと思うが、咽の奥が痛いのが解せない。風邪などとは違い、何とも形容のし難い鈍痛とでもいうべき感覚なのだ。

ちょっと症状が気になるので、ネットで調べてみた。少し違うかもしれないのだが、無呼吸症候群と似ていると言えないこともない、という結論を得るに至った。最近よく取り沙汰されている症例だ。舌下部の筋肉が気道に落ち込むのが主な原因だという。普通に寝ていて気道が塞がれることはなく、極度の疲労か肥満でないと、まずそういう症状は出ないらしい。俺にはどちらも当てはまらないので、やはり無呼吸症候群ではないと思われる。

非常に気になったのだが、無呼吸症候が酷くなると、寝ているうちにポックリと彼岸に召されることもあるという記述だ。これ、考えようによっては究極の幸せかもしれんな、などとも思う。本気で「死にたくない」と思うのは、自分が死ぬとわかってから実際に死ぬまでのことであって(経験ないけど)、無呼吸睡眠による死にはそれがない。

現世に未練も残らないから幸せだろう、と思って今日も床に就くことにする。などと書きながらも、明日の朝の掃除には間に合うように、相当の余裕を持って寝ようとする俺。< 現世に縛られ過ぎ。