- Diary 2003/09

2003/09/25/Thu.

新潟から帰って参りました。さすがに新幹線連続搭乗 7時間はキツい。疲れたのでまた明日。

2003/09/21/Sun.

あくまで俺にとっては、という話であるが「食う」というのは非常な快楽である。味がどう、とかいうことではない。食物を口に運び、咀嚼して嚥下する。その繰り返し自体が快楽なのである。だから小洒落た店で小綺麗に盛られた、さも上品で美味い一口ばかりの肉片を勿体ぶって食べるよりも、小汚い部屋でアホのように丼に盛られた飯を海苔だけを頼りにガツガツ食い散らかす方がよっぽど快楽なのだ。幸福なのである。

食事中にベラベラと喋る人間がままおり、これは大変に不愉快である。そりゃあ、友人達と楽しく会話しながら、というのなら愉快である。俺が嫌いなのは、出された料理に何やかやと文句をつけ、蘊蓄を垂れるという輩である。黙って食え。文句があるなら食うな。俺が食ってやる。

何かで読んだことだが「〜なら食べるがなあ」と言い出したら人間お終いだ、という意見がある。これは年配の方に多い症状である。今まで不味いものも美味いものも食べてきており、ものの味がよくわかる。しかも歳を召されているからそれほど食欲もない。そのような人が、若い者から「食事でもどうっすか。魚でも」と誘われたら、つい「美味い鰻なら食いたいけどなあ」と答えてしまうという気持ちは、まあ想像ではあるが推察はつく。

どういう論旨が展開されたのかまでは覚えていないが、俺の読んだ小文は「それは大いなる損失であり、衰えである」と結んでいた。この意見も理解できる。吉野家の牛丼を「昔はあんな不味いものを毎日のように食っててさあ」と言うようになったら、やはり俺は老いているのだろう。

最近、満腹度と食欲の関係が思わしくない。腹一杯食って胃がゴロゴロしているというのに、時間が経つと脳が空腹を訴えている。で、食べることが快楽であるから、つい意地汚く食ってしまう。ああ苦しい、腹が張る、と思いながら食っている。馬鹿である。それとも、まだ若いということか。

2003/09/20/Sat.

大学が独立行政法人になるとかで、一部ではギャアギャア騒がれている。まことにうるさい。何が大学の自治だ。馬鹿め。自治ができていないから独立行政法人にされようとしているのではないか。

自治とはこれすなわち政治だろう。特に大学の場合、学生に主権はなく(そんなもんいらんが)政治力を行使する権力者自体のみに主権があるという、まことに厳しい政治倫理が要求される体制である。

ひるがえって、学者ほど政治力がない人種も珍しい。政治力がないので学者になったのではないかとさえ思える者も少なくない。こんな人間に政治、それも自治が行えるわけがない。実際できてないし。よって政府が大学の自治を認めず(政治力が充分ではないと判断し)行政権を剥奪しようとしたのが今回の独立行政法人化ではないのか。

意地悪な見方をすれば、ギャアギャア騒いでいる連中は独立行政法人化自体に反対しているわけではなく、自分に政治力がないと判断されたことに腹を立てているのではないか。たとえ無意識にでも。

学者はプライドが高い。会議だ書類だ手続きだと、そんな下らないことに時間を使い、本気で腹を立てつつ、それでもなお自治権を手放そうとしないのは、政治的に無能という烙印を押されたくないからに違いないと、俺は半ば以上信じている。

2003/09/19/Fri.

今夜の晩飯はN.N.嬢お手製のキムチチャーハン。ごっつぁんです。(食い物には必ず礼をする)

ここ 2、3日、夜明け近くまで本を読んでいる。眠いがやめられないので困る。ところで、寝食を忘れて、という表現があるが、あれはいかがなものか。忘れているくらいだから眠気も食欲も感じていないのだろう。しかしそれは、本当に眠くなかったり腹が減ってなかったりする可能性もある。区別できねえだろ、忘れてるんだし。だから「寝食を忘れる」という表現は正確ではないのではないか。

「寝食を忘れたい」というのなら理解できる。どんなに面白い本を読んでいても、疲れていたら眠くなるし、食ってなければ腹も減る。しかし、途中で寝るのは嫌だし、食い物を買ったり作ったりするのも面倒だ。ああ寝食を忘れて没頭したい、ということはままある。

「失笑」という言葉がある。これは以前からの疑問だったのだが、例えば「X氏は失笑した」という文章の場合、X氏は笑っているのか否か。俺はずっと笑っていないものだと思い込んできた。だって「失笑」は「笑いを失う」ということだろう。失っているのだから笑っていない。そう信じていたのだ。

ところが辞書を引くと「おかしさをこらえることができず吹き出すこと」とある。笑っているのだ。ということは、失笑というのは冷笑・苦笑・微笑・爆笑・呵々大笑といった、笑い方の一つのタイプを表す言葉ということになる。知らなかった。たまには辞書を引くもんだ。

2003/09/18/Thu.

(これまでのあらすじ)K先生は俺が博士課程に進学するものと思い込んでいる。

少し前まで「もう、K先生ったら俺がドクターに行くって勝手に思っちゃってるんすよ。そんなん一回も言ってへんのに。アハハ」と笑い話にしかならなかった K先生の思い込みだが、最近、ちょっとシャレになっていないのではないかと考えるようになった。

今日も K先生が B氏と投稿論文なんかの話をしていた場に居合わせたのだが、俺にも矛先が回ってきて「アンタも良い論文を一つ書いとけば早期卒業もできるから」とか何とか目茶苦茶を言う。これがまたエラく楽しそうなので、俺も「いや、就職するつもりなんで」とは言いにくい。

ま、いつものことと言えばそうなのだが、どうも近頃、いやに話の中身が具体的になってきているのが不気味なのだ。曰く、論文の投稿先、曰く、これまで溜まっている Dr. T のデータをどこで分けて何本の論文にするのか、曰く、奨学金の獲得、曰く、これからの(2年以上先の)研究計画、

曰く、博士号取得後の就職先(!)

などなど。本気だよこの人。どうしたらいいんだろうか? 俺、悪くないよね? それともやっぱり、早めに態度をはっきりさせといた方が良いのか?

2003/09/17/Wed.

「朝 9時にはちゃんとラボに来て、せめて 18時までは働かなければいけない」

昨日のセミナー後、K先生は全員の前でそうおっしゃられた。我々はその言葉を肝に銘じた。深い反省とともに。

そして今日、9時過ぎに来て 17時半に帰る K先生。

素敵すぎるぜ。

2003/09/16/Tue.

阪神優勝!!

良かった良かった本当に良かった。まだリーグ優勝やけど、そんなんどうでもええねん。半年間、黙って口を閉じていたのは願を掛けていたんよ。俺が中継を見た試合はよく負けるので、TVも我慢してあまり見んようにしとったんもこの日のためよ。

阪神優勝!!

選手の皆さん、そして星野監督、みんなホンマによう頑張った。めでたいめでたい。残すは日本シリーズ。是非日本一になってもう一度ここで書かせてほしい。

阪神優勝!!

と。

2003/09/12/Fri.

自民党総裁選、現状ではこれすなわち内閣総理大臣選出のための選挙でもあるのだが、それにしてもパッとせんなあ。パッとすりゃあ良いもんでもないのだが、それにしても小泉、亀井はいいとして、なんだ、高村、藤井ってのは。高村(こうむら)は名前と顔は知っていたが、この前ニュースを見ると、支持者から「たかむら」って呼ばれている始末。しっかりせえよ。

まあ順当に小泉の圧勝だろうが、もうすこし他候補も頑張ってもらわんと面白くない。俺は個人的に亀井静香というオッサンは好きなのだが、街頭演説のVTRを見て駄目だと思った。記憶ではこのようなことを言っていた。

「亀井静香! 非力な男ではあります。しかし、今の日本を黙って見過ごすわけには参りません!」

これではアカン。仮にも一国の総理にでもなろうかという男が、自分のことを「非力」などとは口が裂けても言ってはイカンのだ! 勿論、本気で非力などと思っているわけはないだろうし、日本独特の謙遜の美学でもあるのだが、総理大臣というものは世界における日本の代表でもあるわけだ。ブッシュ米大統領が「非力ではあるがテロ掃討に全力を尽くす」などと言うだろうか? 口が裂けても言わんよ。小泉首相の偉いところは、そのへんをキチンと理解していることだ。

実を言うと、俺は欧米人の「俺が俺が」「こちらが絶対に正しい」「謝罪しない」といった言動・態度には嫌悪感を示す保守的な日本人である。この先、国際社会できっと本来の日本が持つ精神的美意識が理解・必要とされる日が来るであろうとも思っている。しかし、現状では欧米ルールで戦わなければならないわけで。当分、日本的な総理は国際競争力に弱く、そこそこ強い総理は日本人としては変わっているという評価が続きそうだ。ちょっと可愛そうだわな。

2003/09/11/Thu.

運転免許を更新し、そのまま我が豪邸に戻ってきた T です。こんばんは。

それにしても暑い。残暑厳しく、というか 8月より暑くなっているような気がするのだが。いよいよ夏が到来か? それはともかく、クソ暑い中を我が豪邸に戻ってきて、まずは水分補給と冷蔵庫を開けたのだが、アルコールしか入ってないってどうよ?

普通の飲み物も入れとけよ、俺。仕方がないのでグビグビとやっていたら良い気分になってきた。ちぇっ。線虫の植え継ぎだけとはいえ、少しでもラボに行くつもりだったのだが。しゃあねえよなあ、飲酒運転は絶対にやっては駄目だと、今日の違反車講習会で聞いてきたばっかりだしなあ。優良ドライバーとしては酒飲んで運転なんてできませんよ貴方。

そういや、10日の夜は更新しなかったのだが、実は R女史・Z氏お手製のバングラ・カレーを食って帰省したのですよ。どうもごちそうさまでした(食い物には必ず感謝を捧げる)。

2003/09/09/Tue.

毎日毎日、午前中に来ては雑用や論文読みをこなし、11時頃になると腹が減り始め、12時前に飯屋R で昼飯をとる。ここ 2週間、飯屋R での連続記録を更新中。この生活もついに 3週目に突入。別に飯屋R で昼飯をとらないといけないわけでもないのだが、なんとなく行かねばならないような気がして午前中に来続けるのは良い傾向ではある。

午後は実験。変異体の観察が一通り終了したのでインジェクション(線虫へ注射)を行っている。まだ成功はしていないが、何とかなるだろう。

ところで、一昨日の夜、味噌汁を食した。余ったので次の日(昨日)に平らげようと残しておいたのだが、それを忘れて昼・夜と外食してしまった。帰宅して思い出し、鍋を開けると全面が菌糸で覆われた謎の液体が味噌汁の代わりに詰まっていた。誰の悪戯だろう?

とにかく臭い、というか酸っぱい。

で、今朝は 8時半に起床してゴミ袋に謎の液体を流し込み、他のゴミと一緒に捨てに行くことにした。火曜日がゴミの日なのである。ところが、いつも正午近くにならないと回収に来ないはずの収集車が今朝は早くに回ったらしく、いつものゴミ捨て場はもぬけの殻。仕方がないので、知らぬフリを決め込んで捨て帰ろうとしたのだが、微妙に人通りがあり、捨てるに捨てられぬ。一度、ゴミの日でもないのに人前でゴミ袋を捨て帰ったときには、目撃者のオバハンにこっぴどく叱られたことがあり、その記憶が俺を躊躇させるのだ。

ここはいかん。人気のないゴミ捨て場を探さねば。

菌糸入り味噌汁が充満した酸っぱいゴミ袋(しかも半透明)を下げたまま、朝からさすらうこと 30分。

ようやく回収前のゴミ捨て場を発見し、安堵の溜息とともにゴミ袋を置き去りにすることができた。やれやれ。

明後日に運転免許更新のための「違反者」講習会があり、明日の夜は帰省するので更新できません。

2003/09/08/Mon.

日記のページのソースがエラいことになっていた。毎日トップページに日記を書き、翌日には過去分のページにコピーするのだが、そのときに一部の余計なタグもコピーされてしまい、そのおかげで物凄いタグの入れ子構造になってしまっていたのだ。しかも新しい月の日記ページは先月分のものを複製して使っていたので、最新の月のページにはそれまでの入れ子タグが累計で挿入されているという恐ろしい羽目に。バグチェックをかけたら、

「273個のエラーです」

とても HTML のエラーとは思えない。

2003/09/07/Sun.

レンタルビデオで「es」というドイツ映画を見た。実際にあった心理学の実験を題材にしたとかで、リアルな人間描写が結構怖い。

問題の実験というのは、一般の人間に刑務所のシミュレーションをしてもらうというもので、被験者は看守役と囚人役に別れ、刑務所と同じ施設で実際の看守や囚人と同様の生活を送る。ほとんどの被験者は金をもらうためと気楽に考えて志願してきた人ばかりで、最初のうちは実験と割り切って、看守も囚人もそれなりに和やかに刑務所生活を送るのだが、そのうち段々と本気になってくる。

看守役は真剣に囚人達を管理・支配しようとし、様々な威嚇を駆使して刑務所の秩序を保とうとする。一方、囚人達は最初は反発するのだが(看守役と囚人役では当然ながら待遇が違う。しかし報酬は同額)そのうちに本気で看守を恐れるようになり、屈辱的な仕打ちにも甘んじるようになる。

実際、これはただの実験で「ごっこ」なのだが、誰もがそれを忘れ、状況はどんどんエスカレートしていく。精神に異常を来す者が出始め、最後には死人まで出る。でも誰もやめようとは言い出さない。これが怖い。

みんなでやめたらええやん、というのは当然の意見なのだが、あの状況では言えないよなあ、と思わせるだけのリアルさが「es」にはあった。加えて、演じているのが皆ドイツ人というのが説得力がある。

真面目、秩序。こういう言葉はやはりドイツ人がしっくりくる。悲劇は起きるが、でもそれは皆が真面目に(クソ真面目に)秩序を保とうとするがゆえに起きるわけだ。そこが怖いことなのだが。日本人も多分にこういう性質を持っているので、この種の怖さを実感できる。これがイタリア人だったらこうはならないだろうなあ。

(注: ここで述べられているドイツ人、イタリア人のイメージは俺の個人的なものである。ちなみに、俺にはドイツ人にもイタリア人にも知人はいない)

2003/09/06/Sat.

ずっとカラオケで歌いたかったにも関わらず、いつもエラーが出て歌えなかった「ルパン三世のテーマ」を今夜ようやく歌えて満足の T です。こんばんは。

何故「ルパン三世のテーマ」が好きなのかというと、やはり「♪男には自分の世界がある。例えるなら、空を駆ける一筋の流れ星」というフレーズに感銘するからなのだが、冷静に読んでみると、この歌詞の意味するところが全く理解できないことに気付く。

空を駆ける一筋の流れ星のような世界とは?

一筋の流れ星が空を駆ける世界ではない。空を駆ける一筋の流れ星そのものが世界なのですよ貴方。意味わかんねえ。

まあ、歌詞とか詩とかいうものは、前後が何となくつながっているような気になりさえすれば成り立つもんで(とか書いたら怒られるか)深く突っ込むのはヤボなのかもしれない。雰囲気さえつかめていれば、男の世界が「ネギの乗った一片のゴマ豆腐」でも「ミヨ子ちゃんが可愛がっている犬のタロウ」でも何でも良いわけで。そんな男の世界はイヤではあるが。

2003/09/05/Fri.

夜、帰宅前の K先生と変異体の表現型の話をしていたのだが、どこをどう間違ったのか、

知らぬ間に K先生が空海と最澄の話をそれは熱く語り出し、

もう早く帰れよとウンザリしていたのだが、そこへ唐突に Oh!氏が登場。お久し振りですと挨拶しようとする前に、

「突然ですが、明日結婚することになりまして」

と Oh!氏。突然過ぎるがな! どうしてここのラボの人達は話題に脈略がないのか。それはともかく、おめでとうございます。

2003/09/04/Thu.

観察している変異体だが、思わぬ表現型が出て、色々と勉強を余儀なくされている。現象としては面白いのだが、説明付けが難しい。

さて、その表現型の一つに Egl という現象がある。これがかなりキモい。線虫という生物は透明で顕微鏡での観察が容易なのだが、それゆえに不快度倍増という場合もあり、Egl もそれに該当する。

線虫は基本的に雌雄同体で、成虫になると卵を産む。先に書いた通りに身体が透明であるから、成虫を観察すると腹部に卵を抱えているのが見える。彼等は生涯を通じて 300 余りの卵を産む。結構な数なので、這いながらポンポコポンポコ卵を産み出している。

ところが、この Egl という表現型を示す線虫は様々な理由で卵を体外に産出できないのである。するとどうなるか。体内は受精した卵でふくれ、さしずめ葡萄をストッキングで包んだような悲惨な形態となる。しかし、悲劇はそれで終わらない。体内に溢れ帰った卵の発生は止まらないので、何と親虫の体内で孵化するのである。ぎゃあ! 気持ち悪い線虫の身体の中で無数の小さく気持ち悪い子線虫が蠢いているんですよ貴方。

で、この Egl の写真を是非とも撮りたいのだが、プレパラートに線虫を置き、その上からカバーガラスをかけると、親虫の身体が、体内に充満している子虫でブリブリと破けてしまうのだ。おえ。気持ち悪過ぎる。どうしてもこの不快感をラボの人にも共有してほしくて、何とか気持ち悪さ満点のスーパーショットをレポートで発表したいのだが、いまだ果たせずにいる。

2003/09/03/Wed.

とまあ、昨日の日記に書いたような苦労を重ねて撮影した写真が現像されて届けられたのだ、今日。ドキドキしながら袋から取り出すと、出てきましたよ写真が。

たった 4枚だけ。

何で? 24枚撮りのフィルムのはずなのに。A氏に聞いてみたところ、俺の単純な操作ミスであることが判明。深く反省。

ああ、もう! あの中には学会を震撼させる驚くべき事実を写し取ったショットがあったのだが。などと強がりを言っていたら、A氏に「取り逃がした魚は……」と突っ込まれる。

2003/09/02/Tue.

ここ 1週間、変異体を観察し続けている。決して気持ちの良いものではない。というか気持ち悪い。そもそも線虫という生物自体、とても美しい生き物だとは思えない。研究者によっては美しいという人もいるが、それは数学者が数式を美しいと表現するのと同じことで、やはり一般的な美的感覚とは異なるところから発せられる意見だろう。

で、その気持ち悪い線虫の変異体、ぶっちゃけて言えば奇形を拡大して観察しなければならない。生きたままでは詳細な観察ができないので、薬剤で殺し、カバーで押しつぶして検鏡する。サンプル作りで下手をすると、内臓飛び出しまくりの奇形の気持ち悪い生物を目にすることとなる。悲惨だ。

そもそも奇形自体が悲惨な状況なのだが、研究の世界では悲惨であればあるほど耳目を集め、研究する意義があると認められる。因果なことよ。

A氏や B氏が言うには、観察の日々が続くと、夢や瞼の裏に線虫が現れるらしい。俺はまだお目にかかったことはないのだが、考えるだけで嫌だ。

2003/09/01/Mon.

今日の日記では『』内の単語を是非とも声に出して頂きたい。

「月刊〜」という単語(別に「週刊〜」でも「日刊〜」でも構わないが)を付けると、それに続く言葉がいかに高尚なものであろうとも頭が悪そうに思えるから不思議だ。例えば『月刊湯川秀樹』とか。物凄く頭悪そうだな。これじゃあノーベル賞は取れんよ。

同じような働きをする単語として「ゼッタイ〜」とか「〜だより」とか、単語ではないが「XX でもわかる〜」とか。

『ゼッタイ湯川秀樹』『湯川秀樹だより』『俺でもわかる湯川秀樹』

さあ、みんなも色々作って友達に差をつけよう! というのは冗談だが、あ、それと湯川秀樹博士に深い意味はないことをお断りしておく。とまあ、今日の日記をこんなネタで書いたのも、最近、この手の安っぽいタイトルの本が多くて困っているからなのだ。タイトルが嫌なら買わなければ済むことなのだが、それでも中身は良かったりすることもあるので悩んだりする。かといって、いくら上質の内容でも「みるみるわかる戦国時代」とか「ゼッタイ 3D CG」なんていうタイトルの本を我が書棚に並べるのには抵抗がある。困った。