- Diary 2003/08

2003/08/31/Sun.

気付けば 8月も今日で最後。しかも日曜日。しかし B氏と昼飯に出かけたときも、ラボへの行き帰りの途中でも人が少ない。みんな夏休みの宿題に追われているのかなあ、と自分を振り返って懐かしんでみたり。嘘です。俺は 9月に入ってから宿題をするタイプだった……。

今これを書きながら食っているのはジャーマンポテト味のポテトチップなのだが、これを「ポテトチップの歯ごたえを持つジャーマンポテト」と言うことはできないのか。法的にはどうなんだろう?

例えば俺のバイクには時計が付いているが、これを「バイクの機能を持つ時計」と言い張ることができれば速度違反で捕まることもないんだがなあ。

「時計を持って 100 km/h でランニングしたら速度違反なんですか!」

と逆ギレ。それ以前にバイパスを歩行した時点で道交法違反なんだが。

2003/08/29/Fri.

人間の身体を構成する原子はおよそ 8年間で全部入れ替わるらしい。ということは、俺の身体の半分以上は大学生になってから摂取したもので構成されているわけで、体調が悪いのも無理からぬところではある。などと晩飯に M弁を食いながら考える。

思えば、高校生の頃と比べて勝っているところなど何もないのではないか。確かに知識などは増えているのかも知れないが、それは蓄積による量的なものであって、頭の回転、身体のキレ、感受性の豊かさ、何をとっても質的には衰えていく一方である。

それでは、狡猾な大人は質的な衰退を何によって補うかというと、一つは先に挙げたような量的増大、もう一つは価値観の転換である。つまり、頭の回転が鈍くなった = 質的な衰退というパラダイムを変換するわけだ。例えば、ただ頭が回らなくなったのを「落ち着いている」と言い張り、身体が動かなくなったのを「動じない」と強弁し、感受性が鈍磨してしまったのを「冷静である」と胸を張る。いわゆる「シブい」という概念を表す形容句が、全て静的なものであることに気付くはずだ。

ところで、このようなパラダイムシフトというものは結構なエネルギーがいる。衰えた大人達は是非ともパラダイムを自分の都合が良いように展開したいのだが、衰弱してしまった彼等一人一人にそんな力はない。そこで彼等は結託する。

一見、どう考えても会話すら成立しないような関係にある 2人の大人が、何事もないように平気で顔を突き合わせているのは、パラダイムの維持という一点において両者の利害が一致しているからである。子供が必ず抱く、大人というものに対する一種の不信感はこの辺に根差しているのではないかとすら思える。

諸君、我々は騙されてはいけない。というのは半分冗談だが。……などと、M弁の話から大きく脱線してしまった。別のことを書くはずだったのに。

2003/08/28/Thu.

少年時代、夏が過ぎると寂しくなったもんだ。心が夏模様ってやつである。夏生まれのせいか、暑いのはそれほど苦ではなく、家の庭に植えられた薊(あざみ)を見ながら花火を打ち上げていたことを思い出す。

夏祭りでくたくたになり、家に帰るなり寝てしまうのだが、暑さで夢が覚め、廊下に映る長い影を夜目に見ながら、ああ、もう夏が終わるなあと星屑の空へ想いを馳せる。俺の想いは誰のたそがれにさまよっていたんだろうか。想いに胸は高まるが、それも青空に残されて、結局は一つの夏模様。

嘘です、ごめんなさい。

2003/08/27/Wed.

貴方は常に自分の汚れた部分を観察することを怠らない人間ですか?

何やら哲学的な響きが伴って聞こえてくる質問だが、簡単に言うと「お前は自分のウンコをいつも観察するタイプか?」ということである。俺は大便に限らず目糞耳糞鼻汁、とりあえず観察してしまうタイプである。帰宅したら靴下を脱いで足の匂いを嗅がずにはいられない。屁なんかが特にそうだが、他人の匂いは我慢できないのに、自分のものだと郷愁に似た感情を抱きながら吸引することができる。足の裏が臭い日など、ああ今日は働いたなあという満足感すら覚える。

変だろうか?

2003/08/26/Tue.

昨夜(というか今日未明)にラボに行ったのだが、雨が降ってきたので帰ってしまった。我が豪邸でネットをしていると、掲示板にヒゲマン氏の書き込みが。しめた。ヒゲマン氏に遊んでもらおうと思い、明け方に再度ラボに来たら誰もいない。またもやニアミス。

さて、このところずっと夜の 22時なんかに起きては深夜徘徊をしていたので、ここらで朝方に直そうと決心し、徹夜ならぬ徹昼を断行。本日は A氏の指導の元、検鏡に励む。感謝。

午後、K先生が企業の人達へのオープンラボか何かでプレゼンすることになっており、そのセットアップを少し手伝う。ところが、プロジェクターで映し出されたスライドの一つのタイトルが、

「最近から多細胞生物」

となっていることを B氏が発見。ほほう、最近になって線虫をやり始めたのですなあ。などと言いながら訂正せずに部屋を後にする A氏、B氏、俺。美しき師弟愛ですなあ。

2003/08/25/Mon.

昨夜も深夜にラボに行くと電気が点いている。勿論、部屋の鍵も開いていた。ヒゲマン氏でもいるのかと思ったのだが誰もいない。煙草でも吸いに行っているのだろうと納得して顕微鏡を覗く。それにしても顕微鏡を覗いていると眉間の辺りがムズムズするのは俺だけだろうか。などと考えながら観察を続けていると、実験室(顕微鏡の向かいの部屋)の扉が開く音がする。

お、帰ってきたなと実験室に行ってみると誰もいない。すると今度は無菌室(顕微鏡の部屋)の扉が開く音が。アレ? 取って返して無菌室に入っても誰もいない。K先生の部屋(無菌室の隣)かと思って廊下に出ると、

出ましたよ貴方、廊下の突き当たりに白い人影が。

このとき、廊下は全て消灯されていたのではっきりとは見えなかったのだが、確かに人影っぽいものが隣の S井先生の部屋の前に。で、そのまま S井先生の部屋にすっと入っていった(ように見えた)のだった。超早起きで有名な S井先生、本人という可能性も……ないか。さすがにこの時間は早起きという概念には含まれんぞ。

ちなみに、S井研の各部屋は完全に消灯、人の気配もなかった。S井研の人が来ただけなのかも知れないのだが、以後、いくらたっても電気が点くどころか、気配もない。ちょっと怖くなってきたのだが、培地をオートクレーブにかけているので帰ることもできない。ああヤダヤダ。

無菌室に戻ってきてしばらく経つと、今度は S井研のコオロギ(S井先生はコオロギの研究をされている)が一斉に鳴き出した。おいおい、何なんだよ。俺の方が泣きてえよ。

結局、それからも数時間はいたのだが何も起こらなかった。何だったんだろうかね、アレは。っていうか、うちのラボの鍵が開いていたのは何で? 誰かの閉め忘れだったらいいんだけど。そうじゃない方が怖い。

2003/08/24/Sun.

この夏、世界で一番格好良かった漢と言えば、カリフォルニア州知事選挙に立候補したアーノルド・シュワルツネッガーをおいて他はない。有権者へのアピールが奮っている。

「俺は金持ちだから利益供与とか関係ないし」

漢前! この夏、惚れるなら奴しかない。日本人も金持ちがいっぱいいるんだから、こんな奴が出てきても良さそうなもんだがなあ。企業の社長も、外車や絵画で海外に円を流出させるくらいなら日本のために使った方が余程人気が出る。そんなのが複数集まって金満党でも作ったらいかがなものか。

会合なんかも全て赤坂の高級料亭なんかでするのだが「俺らは手前の金で晩飯を食っとるだけじゃ」と一喝するくらいの覇気が欲しい。事務所なんかも高級マンションを買い取って構える。全てポケットマネーのクリーン政治。

「政党助成金? そんなはした金いるか」と国庫に返納。「給料? 年金? 議員手当て? 何じゃ、そんな木っ端銭」と国庫に返納。そのうち政権をとったら、ビジネスの厳しさを持って外交にも当たる。

金満党「大統領、今の閣僚達の子会社に一本電話するだけで、対日貿易赤字が次の四半期から2倍にも 3倍にもなりますなあ」
大統領「わかった。譲歩しよう」
金満党「だっはっは!」

ううむ、日本にもまだ立志伝中の企業家っているんだろうか。

2003/08/23/Sat.

ラボに行ってない。だはは。線虫を植え継ぎに深夜徘徊をしたりしているのだが、実際には何もやっていないに等しい。休みには休みたい俺は研究者に向いてない。休みより研究の方が楽しくないと研究者なんてやってられないということをこの 1年間で実感した次第。サイエンティストというものには変わらぬ憧れやリスペクトがあるのだが、俺には無理だ。あれには才能が必要だ。

今日も爺ィの独り言。

最近のゲームをやっていて思うのは、まあよくぞここまで綺麗になったものよという感慨で、ファミコンを知る世代からしてみれば、まさに隔世の感である。と同時に、現在のゲームが到達しているレベルに既に満足してしまっている自分を発見したりして、これが少し哀しかったりもする。

生まれて初めてのゲームが PS2 のファイナルファンタジーだったりする今の子供たちは「何でムービーシーンとゲームシーンのレンダリングが違うんだよ」なんて不満を持っているかもしれない。俺から言わせればそれは当然のことで、よくもここまで近づけたもんだなんて感心しているから始末に負えない。

要するに現状に満足してしまっている。不満が進化を促すわけであって、俺のような爺ィはもう、何も進化に貢献できないであろうというのが哀しい。

そりゃあ俺でも、これからのゲームはもっとグラフィックが綺麗になるし、扱うデータ量も増えていくんだろうなというくらいの予想はつくが、しかしそれはあくまで進歩の範疇であって進化でない。進化ってのは、もっと飛躍のあるもんじゃないか。とは言っても、普通の人間がいくら妄想をたくましくしたところで、飛躍もせいぜい一足飛びが関の山。そして現在の社会は、俺が子供の時からすれば既に一足、あるいは一足半ほども飛躍してしまった。その間に俺の頭はすっかり固まってしまい、もはや妄想をたくましくすることも飛躍することもできない。

今の子供が何を考えているのかわからんが、いずれ俺の度肝を抜くような妄想を実現してくれるかもしれないと思うと楽しみだ。俺の頭は固くなってしまい、これから世界がどうなるかなんてさっぱりわからないが、それは消費者としての余生が楽しみなものであると思えば苦にはならんなあ。せいぜい新しいものに「それは駄目なんだよ」とか、若者の言葉に「何をわけのわからんことを」などと頭ごなしには言わないことにしよう。と、また爺臭い発言をしてみる。

2003/08/18/Mon.

「CHAOS LEGION」というゲームを買い、1週目をクリアした(4時間くらい)のだが、2週目に 1週目のデータが持ち越せないという事実が判明して軽くヘコむ。システムとか、結構面白かっただけに残念。これをやるために新しいメモリーカードまで買ったというのに。

ノンアルコールビールの作り方がわからない。考えた方法は二つ。

  1. 「ノンアルコール」という表示が許されるのはアルコール度数が 1% 未満の場合。よって普通のビールを 5〜7倍に希釈すればよい。
  2. 普通にできたビールを 37℃にし、デヒドロゲナーゼを入れる。

どっちも嫌だ。

2003/08/17/Sun.

何を撮ろうと悩んでいたのも今は昔、デジカメで遊ぶのが楽しくて仕方がない。で、帰省中も我が豪邸に戻ってきてからも、アレやコレやと撮影しているのだが、ここらで少し内省。

俺は写真を撮られるのが嫌いだ。仲間内で面白い写真を撮ったりするのは構わないが、一番イヤなのが集合写真というやつである。何十人も集めて無理な姿勢を取らせ、揚げ句の果てには、もっと寄れだの何だのと注文をつける。どうしてカメラを手にしただけで、何十人に対して命令を出せる権利が発生するのか。そう思う。

思うに、本質的にカメラというのは浅ましい機械である。その証拠に、どう頑張ってもカメラを構えるポーズというのは格好悪い。最近ではカメラも小さくなったので一層ダサさに拍車がかかる。携帯電話のカメラで写真を撮る人達の姿はやはり滑稽だ。楽しくて夢中になるのだが、ふと我に返ると物凄いポーズをしていることがある。

俺の写真嫌いはこの辺に端を発しているらしい。何でこんなダサい人間の言うことを聞いてまで写真を撮られなければならんのか。

しかしながら、こんな俺でもやはりカメラを持つと色々と写したくなる。大体において、撮影に挑まんとする人間のテンションはやけに高い。これはやはり、カメラというものが人間が潜在的に持つ出歯亀根性みたいなものを刺激するからなんだろう。つくづく浅ましい、俺もカメラも。

まあ、しかし、こっちから写真を撮ってほしいときもあるわけで。後は、写真を撮るときの自分が滑稽な姿をしていること、嫌がっている相手にはレンズを向けないこと、これさえ肝に銘じておけば馬鹿な真似もするまい。

それにしても説教臭いな、俺……。

2003/08/16/Sat.

ようやく実家から戻ってきた T です。こんばんは。愛犬と愛猫の写真を撮ってきたので御笑覧を。

2週間以上の前の話題で申し訳ないが、今月 1日に市内で花火大会があった。昨年一昨年と見逃していた俺は、今年は行こうと考えていたが、打ち上げ場所の人混みを考えると尻込みしてしまう。あんなに人がいたのでは暑くてかなわん。納涼どころではない。

ところで、ふざけたことに我が豪邸の裏山の頂上は遊園地である。冗談ではない。証拠写真。ちなみに、一緒に写っているアパートは我が豪邸ではない。

裏山の遊園地

こんなに近くにある娯楽施設であるが、俺はまだ 1回も足を踏み入れたことがなかった。ところが、近所のポスターによると、この遊園地から花火が見えるらしい。というわけで、今年の花火大会はここから見物と決めた。大して流行ってるわけでもなさそうやし、穴場じゃなかろうか。

当日。

人、いっぱい。虫、いっぱい。花火、ちっこい。

おいおいおいおい! 何かポスターの殺し文句と違うんちゃうか?文句を垂れながらも、市街の上空に打ち上げられる花火というのは中々オツではあった。

そんな中で「何でそんなに怒るんよ!」「お前が『死ぬ』って言ったからやんけ!」と、訳のわからんことを叫びながら喧嘩しているカップルを発見。その側に子供が近寄ってきた。俺としては当然、

「なーなーおかーさん、あの人らケンカしてるよー。女の人泣いてるー」

なんていう純真無垢さを遺憾なく発揮してほしくてドキドキしながら見守っていたのだが、何も起こらなかった。残念。言ってくれたらジュースの1本でも買ってやったのに。

もう1人、印象深かったのが、帰りのロープウェーに乗るための行列で俺の前に並んでいた一家。一家は父母(ともに 30代半ば)と娘(6歳くらい)の 3人なのだが、このオッサンが面白い。

娘が父にジュースをくれとねだる。オッサンはペットボトルを 2本持っていたのだが「どっちかには毒が入っています」とか言って差し出す。娘は無視して片方を手に取るのだが、オッサンはしつこく「本当にそっちでええの? ホンマに?」と一生懸命だ。娘は無視して飲む。嫁さんも当然無視。

そのうち手持無沙汰な娘がペットボトルを振り出した。オッサンは素早く「振れば振るほど美味しくなるよ」とチャチャを入れるが、1分とせずに娘はシェイクを止めてしまった。

オッサンはずっと娘をいじくろうとするのだが、娘の反応は薄い。最後にはこのオッサン、後ろに並んでいる俺にまで話しかけてくる。俺はオッサンに親近感を持った。

ああ、俺は子供ができたら絶対ああいう親父になるな。

そう思った。つまらん冗談ばっかり言って。でも子供は相手をしてくれないという。絶対なるわ。

2003/08/09/Sat.

気付けば約 10日ぶりの更新。お詫びというわけではないが、デジカメを使用した新企画「Special」に立ち上げたので、良かったら御覧頂きたい。

この夏一番のホットな話題(個人的)はやはり就職で、暇があったらネットで仕事を探している。ぼちぼち募集というか告知というかが出始めており、見ているだけでも楽しい。

不況不況と言うが、俺の感覚では仕事はいくらでもあると思うのだが。みんな選び過ぎなんじゃねえの? 不況の場合、俺達が仕事を選ぶのではなく、仕事が俺達を選ぶのが主流なのではないかと思うんだが。大したスキルもないのに仕事を選ぼうなんて、それはおこがましいというものですよ貴方。ま、一番衝撃的だったのは、

陸海空自衛隊幹部候補生の募集がリクナビに登録されていること。

おいおい、我が国の防衛は大丈夫なのか。そこの安定を望んで公務員試験を受けようとしている貴方、どうですか、特種国家公務員。衣食住が付いてくる超優良職業。給料もすごく高い。

職はある。要するに選び過ぎ。確かに選ばなければならんのだが、それでもなあ、ろくに働いたこともない人間が「あの仕事はイヤ」「これは駄目やろ」と頭から否定するのはいかがなものか(というか、使えない人間ほどこの傾向が強いというのが俺の実感)。

ちょっと毒が入ったか。偉そうだなあ。まあ、マリッジ・ブルーならぬジョブ・ブルーということで、大目に見て頂きたい。やはり就職のことを考えると鬱が入る。考えても仕方ないのだが。

明日から帰省する。運転免許を更新せねばいかんのだが、交通違反前科者の俺は「違反運転者講習」なるものまで拝聴せねばならん。うぜえ。違反した俺が悪いのだが。反省。