- 男をするにも……

2003/06/13/Fri.男をするにも……

日記再開。ちょっと長いが。

男に生まれてきたからには男前になりたいものだと常に思っているが、これが難しい。

「武士は食わねど高楊枝」という言葉が好きだが、これは最低限「食える」状態でないと発生し得ない言葉でもあると実感した。恐らくこの言葉ができたのは江戸時代に入ってから、つまり武士が安定して「食える」状態になったからではないかと思うのだが、実際にはどうなのだろう。

では、食うや食わずの時代はどうだったのかというと、これは「腹が減っては戦はできぬ」という言葉がちゃんとある。こいつらなら、戦となれば楊枝を食ってでも飢えを満たしたのではないか。衣食足りて礼節を知る、とも言う。昔の人は偉いものだ。

どうも愚痴っぽい。これが嫌で日記を休止してたんやけどなあ。

閑話休題。といっても、この日記自体が閑話なのだが。今となっては想い出話だが、俺は小説を書いていたことがあったのだよ。若かったのだ。最近、ハードディスクの奥底から、遠い昔に冒頭部分だけを書いた小説が発掘された。ファイル名が『上杉謙信の哀しみ』となっているから、恐らくこれがタイトルなのだろうが、自分には全く覚えがない。目を通してみたが、どうにも書いた記憶がないのだ。

自分で書いておいて何だが、内容が凄い。最初の一行が

「僕と上杉謙信が狭い六畳一間のアパートで同棲するようになってから一ヶ月が経つ」

である。ちなみに「僕」は現代の大学生である。何故、謙信が現代にいて「僕」と一緒に生活しているのかについては一切の言及がない。しばらくは謙信と「僕」の日常生活が細かく描写される。会話はほとんどない。

そのうち謙信が「川中島に行きたい」と言い出し、2人は途中のコンビニで飲料を買いながら徒歩で川中島を目指す。段々と街から離れ、最後は山の中を歩いていく。そろそろ川中島に出る頃だなあと思わせる文章があったかと思うと、最後の一行「法螺貝の音が聞こえてきた」で唐突に終わる。

何なのだ、これは。ブッ飛んだ内容の上に未完かよ。法螺貝というからには、そこは戦国時代の川中島、今しも上杉軍と武田軍が激突する瞬間なのだろうが、そこからどうするつもりだったというのか、当時の俺。小説を書くときは必ずメモを取り、結末に至るまで構成を練ってから書いていたものだった。その段階で挫折することはあっても書き出してから放り出したことは、まずない。では「上杉謙信の哀しみ」は法螺貝が聞こえてきたところで終わるという小説なのか。違うような気がするのだが。

この作品に関するメモを探したのだが、ハードディスクの中にもノート(執筆ノートがいまだにあるのだ。ああ恥ずかしい)にも見当たらない。とすると実家(俺が小説を書いていたのは高校 3年生から大学 3年生までの間であった)か。

実は、学会でアメリカに行く前に一度帰って来いと親が言うので週末は帰省するのだが、その機会に古いノートを探してみようと思っている。