- 『科学は大災害を予測できるか』フロリン・ディアク

2012/11/29/Thu.『科学は大災害を予測できるか』フロリン・ディアク

村井章子・訳。原題は "Megadisasters: The Science of Predicting the Next Catastrophe"

災害の予知・予測は、科学的な問題と社会的な課題が交錯する複雑なテーマである。原理的に可能か、技術的にどれほど困難か、現実的にどれだけコストがかかり、社会的にいかほどの利益があるか——は、それぞれ別の問題である。

本書では、津波、地震、火山、ハリケーン、気候変動、小惑星の衝突、金融危機、パンデミックについて、各研究が発展してきた歴史、現在の取り組み、将来への期待が、豊富な具体例とともに述べられている。一般的にこれらの事象は、現象を近似した数学モデルを計算することによって解析される。

微分方程式で記述されるモデルは、全てのパラメータを入力できないこと、莫大な計算量が要求されること、系が chaotic であることなどの理由によって、現象の完全な予測をすることは不可能である。それでも技術の発展と不断の研究によって、系による違いはあれど、短期的な予測の的中率は向上し、巨視的な予言が可能になりつつある。社会的には、それで充分な恩恵が期待できる場合もある。

本書で興味深いのは、「科学者が予言をするということ」についての記述である。科学的な予測には、常に科学者による偏向がかかっている。社会に発せられるときは慎重になりがちだし、予算を獲得する際には誇大あるいは無責任になる傾向がある。

二人[デューク大学名誉教授の地質学者オーリン・ピルケイと、ワシントン州環境局の研究者リンダ・ピルケイ・ジャービス]は、アメリカで実施された養浜(浸食・消失した海浜の回復・増強)プロジェクトを過去二五年にわたって追跡調査した。その結果、連邦政府からの補助金を獲得するために、専門家が無責任な予測を出している実態が明らかになったのである。補強のために投入した砂が海浜でどの程度の期間維持されるかを予測するのだが、ほとんどが当たっていない。それも、必ず補助金を獲得しやすい方向にまちがっている。予測が外れた理由の説明を求められると、予想外の暴風雨に襲われたと釈明するのが彼らの常套手段だが、とりたてて異常な嵐が襲来したわけでもなかった。ひんぱんに発生する暴風雨は、当然考慮しておくべきものである。

(第9章「予測はどこまで可能になったのか」、[]内引用者)

耳が痛い。

科学的予測を歪めるのは科学者だけではない。予測を報道するメディア、報道を理解するために必要な教育にも潜んでいる。そのことを、我々は先の東日本大震災で学んだはずである。教訓は生かされなければならない。